しあわせのかくご 2
Happiness to You



「…しょうがないとは、分かっているのよ」
 台所に近づいたところで聞こえたのは、そんな声だった。
(ん?)
 重く、意味深に呟かれた言葉が気になったときには、床がギシリと音をたてていた。しまったと思うがどうしようもなく、そのまま台所に入っていけば、母親を含めた女性陣に一斉に見られた。
(っ)
「…真悟。あんた何やってるの」
「アイス」
「まさか聞いてたんじゃないでしょうね?」
「いてぇっ! 来たばっかだってっ」
 耳を引っ張られるが納得がいかない。しかし騒ぐには、どこか部屋の空気がいつもより重い気がした。
 母親の手を振り払い、冷凍庫から毎年代わりばえのしないソーダ味のアイスを手に取る。台所に居たのは、母親の他、由美、奈々、そして聖美に直美だった。
「ちびは?」
 恭平は寝ていると加奈は言っていたが、もう一人いる最年少の親戚が、先ほど加奈と一緒に来なかったことを思い出す。あの二人は比較的年が近いせいか、とても仲がいい。
「遊びつかれたみたいで、ぐっすりよ」
「ああ、佳主馬か」
 自分も祐平も、真緒も多分遊んでいない。ふと思いついた、案外面倒見のいい親戚の名前を何気なく口にした瞬間、答えた聖美の表情が少し反応したように見えた。
(あれ)
 ドン、と何か思おうとした瞬間頭を小突かれる。
「ほら、さっさと行かないとアイスとけるわよ!」
「わかってるって!」
 暴力反対と文句を言いつつ、真悟は台所を抜ける。それから元の部屋に戻りアイスを渡すと、真緒は再び立ち上がってどこかに行ってしまう。祐平はセーブデータが、といいながらカードを取りに慌しく出て行った。部屋に残ったのは、自分とあとは加奈だった。
 シャリシャリと音を立てながら、冷たいアイスを口にする。
「…やっぱり、何かがおかしい」
 具体的なことなど何一つ分からないが、違和感が拭えない。真悟は誰に言うでもなく呟く。
 思考の過程がほぼ口に出るのはそろそろ止めろと、真緒によく怒られるが別に自分は困りはしない。
「あいつら、何を隠してんだか」
 妙に何かがひっかかる。すっきりしないあの先ほどの台所も。一体彼女らは何を話していたというのか。
「佳主馬」
 彼女らが反応した言葉を口にする。
 キーであることは間違いない。だが正面をきって何か口にしたところで、あの一癖以上ある親戚らが、何かを好んで話をしてくれるとは思わなかった。
「秘密、か」
 言いながらも、今更何を秘密にされるのか全く検討もつかない。
 佳主馬自身に聞いても無駄な気もしたが、可能性はまだ他の親戚達よりはある気がする。
 チラリと加奈を見る。何故か加奈がびくりと肩を震わせた。
(こいつなら…)
 佳主馬は自分や祐平には荒っぽいし乱暴だが(もっとも丁寧に扱われたくも無い)、真緒を含め加奈や彼の妹には優しい。
 その時、ふと加奈が呟いた。
「…しー兄」
 その顔は少しこわばっており、酷く真面目な表情だった。
「あ?」
「…絶対、言わない?」
「……言わねぇよ」
「本当?」
「本当」
 じっとその目を見ると、加奈もじっと見つめ返す。
「去年ね、見ちゃったけど秘密にしてって言われて、秘密にしてたの」
「はぁ?」
「直接関係ないのかもしれないけど」
「は?」
「私ね、佳主馬兄の秘密、知ってるよ」
「秘密?」
 それは非常に興味深い。
 先ほどの話しがなかったとしても、ぜひ聞いてみたい話だった。
「―――」
 加奈の小さな言葉を聞いた瞬間、真悟は立ち上がる。それから、台所へ勢いよく駆け戻る。
「し、しー兄!」
「戻ってろっ」
「ひ、秘密。秘密なのっ」
 運動神経はあまりよくない加奈は、あっという間に離され、泣き声のように声をあげる。
「分かってる! いいから、お前はもどっとけっ」
 ドタドタと激しい音とともに、台所へ飛び込む。先ほどと代わり映えのないメンバーがそこに座っていた。
「なぁ」
 肩で息をしたまま母親を見る。
「うるさいわねぇ、何よもう」
「健二は?」
 母親が言葉に詰まった。
「なぁ、健二はどうしたんだよ」
 つい言葉が荒くなる。見かねたのか、由美がそぐわない明るさで笑った。
「やだ。ちょっと真悟どうしたのよ」
「俺は!」
 大声を出す。
「俺は、真面目に聞いてる」
「こないわよ」
 口を代わりに開いたのは直美だ。直美の方を向き、真悟は机を叩く。
「なんでだよっ」
「なんでも」
「くだらねぇよ!」
 その一言が障ったのか、直美が真悟以上の迫力で机をたたき立ち上がる。その迫力にうっと真悟は息を飲む。
「くだらなくないのよ!」
 それは本気の大人の声だった。
 真悟は言葉に詰まる。静まり返ったその場で、他の大人たちの顔を見るが、誰一人何も喋らない。一番視線を伏せていたのは、聖美だ。
『佳主馬兄ね、健二兄とキスしてた』
 そう先ほど、教えてくれたのは加奈だ。
「戻りなさい」
 典子が重く口を開くが、真悟は動かない。動けない。
(あいつは)
 加奈は、大人ではない。黙っていたのは、純粋に約束を守るという以上に、自分が見てしまったものが、大切なものだと分かっていたのだ。
 分かっていたから、彼女は黙っていた。大切なものを守るために。
(それを)
 親戚として、兄として。
 壊されようとしているのに、黙ってみていられるわけが無い。それに、まさか自分の親戚達が。
「戻りなさい」
 典子がもう一度口を開く。
「戻れ!」
「っ」
 鋭い一言に、だが心が悲鳴をあげる。滅多に無い、母親の感情の消えたような瞳、声。
 真悟は背を向ける。
 そのまま廊下を走りぬける。加奈がどこかにいるのかもしれないが、そんなことは頭からすっかり抜けていた。
 あてがわれている部屋に駆け込み、荷物を漁る。
「もーうるさいよ、真――」
 真緒の言葉が詰まる。ぼろぼろと、真悟の目から落ちるのは涙だ。
(ちっくしょう)
 悔しい。悔しい悔しい悔しい。
 悔しくてたまらない。
(なんだよ)
「真緒」
「…な、に」
 涙も拭わずに真緒の顔を見て手を差し出す。
「今、幾らもってる」
「は、あんた、ちょっと。家出でもするの?」
「ちげぇよ」
 真悟は鞄から財布と携帯だけを取り出す。
「東京に行ってくる」





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