池沢佳主馬と小磯健二の交際
第一話「若き佐久間敬の悩み」A



 健二自身、積極的に誰かを好きになるタイプではなく、多分その手のことは苦手にしていることは分かる。
 逆に言うと、彼自身、恋愛に対する垣根が非常に低く、世間一般で当然のようにされている感覚や、正常と呼ばれる規則が理解できないからこそ怯えていると、佐久間は分析している。ようするに、多分彼の中で、性別というものは壁でもなんでもないということだ。
 その時の写真の相手も、彼に告白をされ押し切られる形で数ヶ月ほど付き合い別れたと聞いた。
 塾の講師とかなんだとか言っていたが、その男の顔が佐久間はイマイチ好きにはなれなかった。偏見とかではなく、ただその男の笑った顔に眉を少し寄せ、『お前のタイプなの?』と聞いてしまったことを、今でも覚えている。
 健二はひどく驚いた後、もうこの話は終わりだというようにアルバムを佐久間の手から奪い取った。
『あまり、こういう付き合いみたいなのって、あわないし向いてないんだ』
 そういって、健二は笑っていた。少しだけ寂しそうな顔で。
『ふぅん』
 その時の佐久間の感想など、本当にその程度だった。
『ま、お前に得意とか言われた方が困るけど』
『う』
『俺の方がいい男だろうが、俺にほれるんじゃねーぞ』
 冗談のような軽口で笑って肩を叩いたのは、その時の紛れもない本心で、佐久間にとっては、それは別になんでもない話だった。
 自分は物理が好きで、パソコンが好きでここにいる。健二のことも友人として気に入っている。なので、この関係がそのまま続けられればオーケーなのだ。
『…俺にだって選ぶ権利はあるんだけど』
『あ、なんだよお前偉そうに』
 そんな軽口の応酬をしつつ、健二が酷くほっとしたことも感じていた。多分本人は無自覚だろうが、その時も嬉しそうに彼は笑っていた。
 それからだ。
 どんどんと付き合いが長くなり、深くなるにつれ、健二のふとしたときの笑顔や、抱えている寂しさに、吸い寄せられるように彼の笑顔をもっと見たいと思うようになっていったのは。
 直接力になれるものもあれば、なれないものもある。自分は彼と同じ年の子供であり、友人という立場だ。
(けれど、俺は小磯健二の笑顔を見たい)
 笑っていて欲しいし、楽しく過ごしていて欲しい。彼だからこそ、心からそう思う。
 佐久間敬と小磯健二の関係は、友人だ。多分、外から見れば、非常に仲の良い、とつくくらいの。
 そして佐久間は、ノーマルで女好きの、男友達。そんなポジションを健二が自分に望み、そしてこの現状に喜んでいることも知っている。
 だというのにだ。
(俺の方が好きになってしまったって、どんな冗談だっつーの…)
 何度人知れず頭を抱えたことか。
 何を好きになっているのだろうか。一体自分は何をしているのだろうか。
(いやいや、まだ好きになってねーから)
 気になってるだけ、と佐久間は自分自身に悲鳴をあげる。
 夏希を好きになったかもしれない健二を応援しつつも、時に思わず邪魔をしてしまったり。けれども、物理部に泊り込み彼を必死にサポートしている自分はなんなのか。
 その行動理由をもう考えたくない。安い購買のコーヒー牛乳で、全てを腹の底へ押し込んで早半年以上。
 けれども、彼を心配して過ごす中、いっそ早く引導を渡してくれと思っていた。
 その機会はきたのだ。この夏。
(とうとう、あいつは)
 地味で冴えないと思われていた彼が、大活躍をした。
(きっと、健二は夏希先輩と付き合う)
 それがだ。
 それが、なのだ。
「か、れ、し…だと?」
 もう一度呟く声は、まだ衝撃で掠れていた。
「うん…」
「なんで! どうして!」
「僕が男の人としか付き合ったことがないって、バレちゃって」
「はぁ!?」
「なら、いいじゃんって押し切られ…」
「押し切られたのかよっ、このあほ!」
「うううう、だってさ」
 そこで佐久間は気づく。
「っていうか、相手」
 相手はそこでビクっと肩を揺らした。視線だけで『言わないと駄目か』と問いかけてくるが当然だ。
 睨みつけるように見れば、相手も控えめながら無言で見つめ返してくる。だが、最終的に根負けしたのは相手のほうで、肩を落とし非常に小さい声で呟いた。
「……くん」
「は?」
 佐久間は身を乗り出して聞き返す。
「佳主馬、くん」
 完全に言葉を失った。
 しかし我に返ると同時に、大量の言葉が押し寄せる。
「佳主馬ってキングかよお前キングと付き合うのかつかもろ年下だしキングがお前を好きなわけ無理強いじゃねぇよないやなんでてか夏希先輩はどうしたんだよつかつかなにそんなことになってんだよ!」
「うわっ、落ち着いて落ち着いてよっ」
「落ち付いてられっか!」
 ドンと思わず机を叩いてしまう。
「はは、だよね…」
「だよね、じゃねぇって! おい」
 もう一度勢いよく机を叩く。
「…ありがと」
「は?」
「ごめん。いつも心配してくれて、ありがと」
 健二が笑った。優しい――自分がいかれているのかもしれないが、可憐な笑顔だった。
「……」
 思わず今度は佐久間が机につっぷす。興奮は一瞬にして抜けてしまった。
(もう駄目だ。俺、死にたい)
 佐久間は、それでも健二のためにテーブルに頬を貼り付けたまま言葉を続ける。
「…お前、好きなわけ」
「嫌いじゃない」
「それでいいのかよ」
 健二はそこでふっと、今までみたことのないような複雑な顔をする。健二はもともとハッキリした性格はしていない。
 それでもその顔には、強い嫌悪や憂鬱の色はなかった。酷い困惑はあっても拒絶は無い。
 佐久間は思わず拳を握り締めていた。
(…前言撤回)
 夏希の応援をして引導、ではない。
 自分はただ諦めるだけではいけない。もうこの際ポジションはなんでもいい。
 こんな健二の顔など見たことがない。それを、どこぞの馬の骨――ではなく、憧れのキングではあるが、簡単にそう――。
(優しそうに見えるけど、案外頑固で、他人の機微にも超疎いこいつと、こんなに上手く付き合えるヤツがそもそも他にいるってのか?)
 誰かがこれ以上、彼の何かを踏みつけたりするのであれば自分は絶対に許せない。半端な人物に、彼をやすやすとやるわけにはいかないのだ。
(俺を倒さないで、先に進めると思うなよ)
 もはや思考はよく分からないところで、こんがらがっている。
「でも、本当佐久間がこういったことの偏見がなくてよかった」
 しかし、自分から見れば、とことん他人の感情の機微に鈍い男は、絶妙のタイミングでそんなことを言うわけで。
「っ」
「そういえば、佐久間はいい出会いあった? またナンパしてたんだろ?」
 話を切り替えるように笑顔で問いかけられるが、今はもはや憎くてたまらない。
 詳細を聞きたい。根掘り葉掘り、夏希のことやその佳主馬のことを聞き出したくてたまらない。そもそも一体どんな流れで付き合うことになったのかとか、もうあれこれ。
 しかし佐久間はそこで一度息をつく。
 そう簡単に、このポジションを変更することはできない。このポジションも、結局気に入っているし、大切なのだ。
 だから今は握り締めた拳をしまい、佐久間はいつものように口を開く。
「あー俺はなぁ…」
 こっちに戻ってきさえすれば、自分達には沢山の時間がある。これから見てろよ、と思いつつ、佐久間は話を続けるのだった。



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一話目終了。
佐久間→健二になる前にラスボスフラグが成立してしまった可哀想な子です(笑)

この後はほぼ健二視点です。後日二話目をUPします。