スターダスト 2



「おー健二探してるのか?」
「佐久間さんのおかげで、直美ちゃん達にまでからかわれて大変なんだけど」
「いやぁいやぁ」
 佐久間は完全に答えになっていない答えを返してくる。
 自分も人のことはいえない緩い恰好だが、この完全なる他人のくつろぎっぷりも中々のものだ。ハーフパンツに緩いTシャツで転がって、団扇でパタパタと煽いでいる。
「健二って、本当この家の血筋に人気だよなぁって」
「何それ」
「本当その年くらいのキングなんて、健二に懐いててさ」
 皆が口ぐちにする話だ。
 陣内家でいう『あの夏』に活躍した小磯健二。そして一緒に頑張ったとされている兄。その兄が一目置き、不器用ながらも懐いていた姿が皆の笑いを誘っていたらしい。
「佐久間さんだって負けてないし」
「俺は勝手にこの家を好きなだけだからなー」
 佐久間のあっさりとした言葉に、正直目を見開いた。
(この家を…?)
 親戚らは、多分この家を好きだ。
 だがまさか親戚でもない人間から、そんな言葉を聞くとは思わなかった。
「小磯さんも?」
「おー好きだろうなぁ」
「ふぅん」
「ってか、よく健二覚えてたよな」
 佐久間は屈託なく笑っていた。なんとなくその首筋に持ってきていたソーダアイスをぴたりとあてると、予想通りの悲鳴が佐久間の口からあがる。
「ちょおおお」
「あげる」
「おおおおお」
 文句は一瞬にして喜びへと変わる。
(単純な人っていうかさ)
 呆れかえる気持ちもあるが、どこか学校の友人らを思い出すような気持ちになる。
「俺さ、案外人の覚え悪いんだけど」
「そう?」
「うん、けど佐久間さん覚えてたのには理由があるよ」
 にやにやとした笑みで、相手を見る。
「昔、ここに来てた時にすっげぇ真面目な顔で、『あの時、俺本当に画面が――』」
「う、わあああああああああっ」
 唐突に佐久間が悲鳴をあげ、破った袋のアイスを問答無用で自分の口に差し込んできた。
「っ」
 冷たい感触がもろに歯にあたり、思わず悶絶するがそれ以上に佐久間が悶えていた。
「やめやめっ、記憶力いいやつ反対っ」
「…、!」
「あーもう健二? 健二呼んで来ればいいですかあっ」
 あまりの動揺っぷりに、軽くからかおうと思っていた気持ちは突き抜けてしまった。
 僅かにその首筋まで赤くしている人物を、少し新鮮な気持ちで見る。この家において、こんな素直な反応を見せられるのは酷く久しぶりな気がした。
「いやだって、そんなこと言ったら俺なんて、みんなから女の子扱いだし」
「へ」
「生まれた頃から幼稚園。両親達がもらったり買ってた女の子グッズで生活させられたからさー、もう写真なんてトラウマの宝庫」
「ガチで?」
「ガチもガチ。本当途中で男らしく成長できてよかったし。噂の兄貴の体躯だったら、俺死んでたね」
 佐久間は笑っていた。
「どうせ、ここにもきっとアルバムあるし。俺の痛い過去はあふれ返ってる…」
「あはは」
 それは先ほどまでの慌てたような笑いではなく、自然で穏やかな笑顔だった。
 皆は少し離れた所にいるのか、風にのって喧騒は聞こえるものの言葉までは聞こえない。ところどころ、子供の声で「健二」と叫ばれているのは分かる。
「小磯さん、いっつも誰かと居るね」
「あーあいつ、本当に人気者だから。ここ限定で」
 自分がこの家に来てから三日が経つ。その際、健二はずっと誰かと一緒に居た気がする。
「見てるだけじゃ、話す機会持てないぜ」
 その言葉に笑った。
「いーのいーの。みんなに邪魔されたら、深められるものも深まらないし」
「はは」
 シャリと結局は自分が食べることになってしまったソーダ味のアイスが、優しく胃に落ちていく。
 佐久間は再び、団扇で煽ぎだす。
(昔だ)
 ミーンミーンと、セミたちが必至に鳴き声をあげている。
 あれは自分がまだ小学生の低学年だった頃。どんなタイミングだったのかは分からないが、居間に皆が集まっていた記憶がある。全員が全員そろっていたわけではないが、それなりの人物らがいて、懐かしそうに『あの夏』の話をしていた。
『あの時、俺本当に画面が急に落ちて』
 佐久間は真剣に口にしていた。多分その当時ですら、それなりにいい歳だったとおもう。
『次に無事だってつながった時、ガチで皆が偽物になってるんじゃねーのって思いましたもん』
『やだ何それ』
『偽者になってどうすんのよ』
『いやもう騙されてるんじゃねぇの! みたいな。だって皆一転して超笑って楽しそうなんすよ』
 げらげらと大人たちの笑い声が、酒も入っているせいか響きわたっていた。
(ま、それが唯一の記憶ってのも、申し訳ない気もするけど)
 兄は昔、キング・カズマだったらしい。
 今でもその名前は知っているし、少しネットで調べればどれだけ凄い存在だったのか分かる。
 知る人は知っているらしく、たまに兄のことを知っている人から尋ねられることがあった。それは主に近所の大人だったが。
『健二くんは、夏希と結婚すると思っていたんだけどなぁ』
 そう広場で言っていたのは誰だったか。
 優しい控えめな笑み、クラスに居たら見過ごしてしまいそうな存在感。その人物と、夏希が手を繋いでいる写真を昔見たことがある。
 それを、自分は誰に見せてもらったのか。
(それは――)
 古いアルバム。多分、大切にしまわれていたもの。
 シャリシャリとアイスが音を立てる。
「ま、でも早く素直になっといた方がいいぜ」
 佐久間がポツリと呟いた。視線を向けると、佐久間は遠く空を見つめていた。
「俺ら、多分明日の夜には帰るからさ。誕生日祝って」
「ふぅん」
「一応仕事もある身だしなー辛い辛い」
 佐久間は煽ぎながら、教えてくれる。
「ちょっとまってて」
「へ」
「アイス取ってきてあげる――から、一本目の証拠隠滅しておいてください」
 アイス棒を袋にいれて、丁重な動作で佐久間の方に動かすと、可笑しそうに喉で控えめに笑われた。
 その声を聞きながら立ち上がる。
(ま、でももう一本食ってもどうせソーダしかないわけだし)
 何故かこの家のアイスはいつもソーダ味だ。たまには違うアイスもほしいが、その場合はまたあの坂道を降りて、コンビニまで歩かなければならない。理香がいればせめて自転車を借りれるのにと歩く。
 台所までの道は、とても静かだった。昼食も終わった時間だからか、買い出しに行っているのか女性陣の気配はない。それにどこかほっとしつつ、足を踏み入れた瞬間思わず体が固まった。
 狭いそのスペースには既に先客が一人いた。
「あ」
 彼は、麦茶の入ったポットを手に持っていた。グラスはとても冷たそうだったが、それ以上にそれを持っている健二自身が酷く涼しそうにも見える。
「アイス?」
 彼は何故か、自分の目的を見知ったように声をかける。
『あんたは本当甘いもの好きよねー』
 親戚に、最初そういわれたのはいつだったか。
『あいつは甘いもんダメなのに』
 健二は、目の前で麦茶のポットをしまうと冷凍庫をあけた。
「あ、」
 中途半端に喉に声がひっかかった。
(っ)
 情けない。だがそれでももう出てしまったものはしょうがない。
 健二は動きを止め、少し不思議そうに、そしてとても穏やかな瞳で自分を見ている。
「…、小磯さん明日、帰るんだって?」
「ああ、うん。十分すぎる程お邪魔しちゃったし。夏にこれたのは本当に久しぶりだったけど、会いたかった人たちにも会えたし。あとは、お祝いだけしたいなと思って」
「あら、夏希に会ってなくないー?」
「うわぁっ!」
「今年に限って夏希はこれないみたいだしねぇ」
 買い物に出ていたのは、勝手口から女性陣が顔を出す。健二は驚いたものの手伝おうと慌てた素振りを見せた瞬間、 ポケットからカツンと音を立てて携帯が落ちた。
 足の先に固いものが当たる。
 それを拾おうとした瞬間、動きが止まった。
 ついていた一つだけのストラップ。古くて、少し傷んでいるそれ。シンプルな布地に書かれているのは、控えめなキング・カズマのロゴ。
「ごめんね」
 健二が拾った自分に謝罪の声をかける。怪しまれないように携帯を拾い、開いてしまっていた画面を閉じる。
 画面には、朝顔がただ映されていた。
 青い空と朝顔。
 差し出した健二の手に、携帯を置く。荷物をいったんおいて、まだ荷物があるのか再び女性陣の姿が消えていた。
 顔をあげると、健二と視線が近い位置でぶつかる。
 健二の瞳に、自分の見慣れた姿が映っている。
 カチューシャを外している、自分の少し伸びている髪。兄に似ていると言われる顔。
「あ」
 健二の口から、空気の抜けるような音がして一瞬瞳が揺れ、そらされた。それを見て、笑おうと思った顔が、勝手に奇妙な形に歪んだ。
「そんなに――似てる?」
「あれ、健二?」
 割って入ってきた声にはっと顔をあげる。入口に立っていたのは佐久間だった。
(っ)
 我に返りはじけるように健二から離れ、佐久間を突き飛ばす勢いで走り出す。
(俺は、今)
 勢いあまりそのまま外へと飛び出す。無意識に逃げるように、山へと入っていく。駆け上がり、休憩用に置かれている木製の椅子にドサリと倒れこむように座り込んだ。
 呼吸が粗く、心臓がうるさい程音を立てている。
「何、してんだ……」
 先ほどの健二の表情がよみがえる。
 もしあのまま、あの場にいたら。
(熱くなるな)
(らしくない)
 色々な言葉が脳裏をぐるぐるとまわる。
 少し強い風が吹く。それは走った体に心地よい。人の声は一切しない。ただセミ達の狂ったような鳴き声だけが耳に響く。
(セミ爆弾――)
 夏の終わり。
 地面にセミの死骸が、無造作に、山のように転がっている。
 傍に行くと、ごく稀に生きているセミ達は飛ぶこともできず、ただ羽で最後の力のような音をたて、アスファルトの上を転げまわる。
(どんなに必死に鳴いたって、)
 彼らの行く先はそこだ。
(だから)
(熱くなるな)
(鳴くな)
(鳴くな喚くな鳴くな)
 セミの声と風に揺れる木々の音。だがそれ以外に、音がそた。顔をあげると、明らかによろめくような足取りで山道を上がってきている人物がいる。
 しばらく驚きで、ただ茫然とその姿を見つめた。
 やがて、最終的にその人物はよろよろと自分の前まで倒れ着いたが、先ほどの自分とは比べものにならないほど精魂尽き果てたというように倒れこんだ。
「……、し、ぬ………」
「すごく、伝わった…」
 笑うつもりだったが、面白みのない声しか出てこない。
「って、いうか、なに、足、速すぎ」
 目の前にやってきていたのは佐久間だった。
 汗をかきすぎたのか、急に走ったせいか、完全に顔色まで悪くなっている。
(それでも、追っかけてきたのか)
 無謀というのか、無茶というのか。
 その大人とは思えない行動に、笑いそうになったが声は喉につっかかった。
「なぁ、そんなに――」
 佐久間は顔をあげなかった。
「健二が、嫌いか」
 その問いは、風に流されそうだった。まさか、と直ぐに言おうと思った。最初に、好きだと言ったのはそっちじゃないかとか、嫌うような理由ないし、必要ないしとか軽いどうでもいい話題をするべきだと思った。
『次に無事だってつながった時、ガチで皆が偽物になってるんじゃねーのって思いましたもん』
(けど、この人は)
 真面目に、大人たちの前でそんな話をした。
『本当に、女の子だと思ったのにねー』
『夢かと思ったわよ』
 池沢家は二人兄弟。兄貴は非常に優秀。弟は――生まれた時から、がっかりさせました。
 女の子じゃなくてごめんなさい。
 けど、そんなの言われなれてるし、笑われなれています。だから大丈夫です。
(けど、この人は)
 あの時かばってくれた。かばって、自分の話を振ってくれた。
 皆が笑ったあの話を、自分は笑いたくなかったけれど、笑うことしかできなかった。
「――嫌いだよ」
 真面目になるのは恰好悪い。真面目になったって、自分にはさしたることなど出来ないのだから、恰好悪い。
 自分は、どう足掻いても、あの兄のようにはなれない。
 あんな優秀な人物に、なれるわけがない。
 必至に鳴き声をあげることも、アスファルトに這いずり回ることも、選べない。
「大嫌いだ」
 口にすると、言葉が後からどんどんと自分を追い込んでいく。
「兄貴を振って、」
 いつか見た夏の光景。家にある古いアルバム。
「何事もなかったかのように、存在してないかのように振る舞うあの人が――心底、腹が立つ」
 ぼたりと、何かがあふれ出た。
「何が不満、なんだってんだよ!」
「…まぁ、そればかりはハートの問題だしなぁ」
 そんなことは分かっている。
 分かっているが、ずっとずっと、昔から納得がいかなかった唯一のこと。
「なんでも出来るし、強いし恰好いいし」
 久しぶりにあった健二は、かすかに残っていた記憶通りの人物だった。兄貴が来るタイミングを避け、のこのこやってきた男。
 兄が、夏希に声をかけ、二人して欠席したこの夏。
「優しいじゃないか……」
 それは絞り出すような声になった。
 比べられることが辛くても、それを全く口に出せない自分のために、兄は早々に家を出たようなものだ。
 兄は無愛想だ。
 けれど、優しくないわけではない。
 優しい兄だと、自分は誰よりもちゃんと知っている。
「お前程じゃないだろ」
「え」
 優しいの、と佐久間は笑った。
「ゆー坊」
 幼い頃の、親戚達だけが呼ぶあだ名を口にされた。
 懐かしさのあまり数度瞬きをして佐久間を見る。
『前途有望だな!』
 人より少しだけ喋るのが早かった自分に、親戚達が口ぐちにそういうのを聞いて、自分の名前を「ゆうぼう」と勘違いをしていたためついたあだ名。
 そういうあだ名がつく程、親戚達が自分を可愛がり、未来を夢みてくれていたことを知っている。
 ただ勝手に、それに答えられなくて苦しいと思っているのは、自分だけでいつだって彼らは変わらない。
「自分が笑われても、人をかばう。さっすが陣内家だよな」
「っ」
「しかも、大人になってもちっとも変ってねーの」
 笑っている佐久間の声がするのに、その姿は全く見えなかった。
「うるさい」
 涙と鼻水をすすると、軽く笑われた。
「うるさい…っ」
「はいすみません」
「うるさい!」
(なさけない)
 けれども、涙は止まらなかった。そして思ったよりも、苦しくなかった。
 佐久間はやっぱりまだ疲れているのか、静かにテーブルに倒れこむように休んでいる。風が吹く。二人の間に何度も何度も、涼しい上田の風が吹く。
『次はこう』
 幼い自分に、少林寺拳法の基礎を教えてくれたのは兄だった。
 兄に時間がないと言われるのが怖くて、練習を先に断ったのは間違いなく自分だった。
 そんな懐かしい記憶達が、よみがえっては過ぎて、繰り返されていく。
 ふと、頭に優しいものが振れる。
「いや、なんかそうしてると年相応で可愛いなぁと」
 どうやらその手の犯人は、少し落ち着いただろう佐久間のものだった。
 佐久間も回復したのかもしれないが、同じようにこちらも悪いが回復してきている。
「――年下舐めるな」
「は?」
 まだだるそうに木のテーブルにへばりついている佐久間の頭を、ガシリと掴み押えた。
(ああ、本当どうしてくれよう)
 無防備で天然で、優しい人。
 少し傾いてきた日差しが自分の体で影をつくり、佐久間の顔を少し隠す。
(俺の初恋は)
 小磯健二を好きなのかと、最初笑っていたこの人が、初恋だったのだと言ったらこの人はなんというのだろうか。
 焦る顔も見てみたい気もするが取り敢えず。
(俺はまだ子供で、バカだから)
 取り敢えず、何事も言葉の前に体験派だ。
「…、っ、! …っ!」
 茫然とした顔で、こちらを見ている相手に、メガネを戻す。その首筋が赤くなり、茫然としている顔を見て、ふふんと笑う。
 唇を拭うように触れてから、笑った。
 予想通り、同性とは初めてだがなんの問題もなかった。
「ざまーみろ」
 不敵に笑う顔は、兄に似てると言われるので封印していた。
 とても久しぶりに、発掘した表情だったかもしれない。




BACK NEXT