スターダスト 1




 うるさい蝉の声が耳につく。
(まったく暇なこって)
 ミーンミーンと、それしかないというようにひたすら鳴き続ける姿の見えない虫に、呆れるような視線を向ける。
 目の前には単調な道が続いており、足を止めることは簡単だが止めてしまえば再び動き出すまで更に時間がかかることは分かっていた。コンビニで買ったアイスも、そろそろ崩壊しそうな勢いだ。
(やっぱ、氷にすればよかった)
 たらたらと歩くな――そう誰かに見られたらそういわれそうだが、冷えたアイスのせいか、額からしたたる汗の妙な暑さを一層つよく感じる。少し伸びている髪はカチューシャで上げているものの、それでもぺたりとまとわりつく気がして、結論としては一言だ。
(あー…)
 夏は、嫌いだ。
(そ、嫌い)
 だからといって秋や冬が好きなわけではないが、とにかく夏は嫌いだ。それはおそらくかなり昔から、年期の入っている感情。
 憂鬱、という単語を頭に思い浮かべる。
 親戚らは間違いなく「あんたが?」と爆笑するだろうし、友人らは「それ何語?」と問い返される気しかしない。
『ゆー坊のくせに生意気よねぇ』
『あんた漢字で書けるの?』
(言われそう言われそう)
 確かに書けと言われたら間違いなくひらがなコースだし、自分でだって笑ってしまうくらい似合わないことは分かっている。
 ようやく終わった坂道。足を止め、視線をあげる。
 立派な門が自分を迎えている。疲れ果てた所に、この門構え。
 どこか、隣の学校に下げられている『闘志無きものは去れ』という文句を思い出す。
『なー、とうしってどういう意味?』
『金がないものは去れってことじゃね?』
 友人らの会話を思い出しても、気分は一向に晴れやしない。
 この門の存在がまたテンションを下げるのだと言って、果たしてこれから会う人物らの何人が理解してくれるだろうか。
 適当に、騒いで遊んで。楽しく緩くが一番と思う自分は、間違いなくこれから会う人物らに向いていない。
(ていうか、うちの親戚らは熱過ぎだって)
 恐ろしいことに、それは別に年配の人間だけではない。
 そこを筆頭に、その下の世代も、そして自分の少し上も、離れた下の世代すら、妙に暑く馬鹿みたいにしっかりまっすぐと生きている気がする。
 昔から、自分はこの親戚らにひいている気持ちはどこかにあったが、中学にあがり更にその気持ちは強く、ほぼ確信に変わった。幾らバカ中と呼ばれている学校だからといって、やはりこの親戚達がある意味異常な人間だということはもう分かる。
 おかしいのは自分ではない。
 確かに自分も適当な人間だとは思うが、何よりもこの場に居る人物らは本当に――異常だ。
「なーに、ちんたら歩いてんのよ」
「うわっ!」
 後ろからバンとたたかれ、思わず前につんのめる。それでもすんでの所で堪え振り返る。この周辺には、今自分の目指している屋敷しかいなく、声をかけられた時点で否応なく親戚だと分かってしまう。
 立っていたのは、派手な色の服を上手くまとめて着こなしている直美だった。
(う)
 年齢不詳のこの親戚は、強いと称される陣内家の女性の中でもかなり強烈であり、既に愛想笑いが引きつってしまう。
 嫌いではない。直美のセンスも豪快さもある種好ましくはあるが、それは多分この上田という土地で会わなければという話なのかもしれない。
「あれ、佳主馬は一緒じゃないの」
「兄貴は遅れるって。連絡きてない?」
 取り敢えずへらりと笑って知っていた情報を口にすると、何故か酷く驚いた顔をされた。
「へ、なんで?」
「さぁ」
 素直に首をかしげると、拳骨が落とされる。
「いって! だって興味ないしさ」
「興味も何もあんた兄弟でしょうが。そんだけ似た顔しといて何いってんのよ」
 彼女の言い分はもはや完全な言いがかりであり、ついでとばかりに今度は何故かデコピンされた。
(こりゃ、絶対に万理子さんか誰かに怒られたな)
 そもそも彼女がこんな門傍にいること自体が可笑しい。
 自慢ではないが――否、世間的には自慢になるだろうが、自分には兄が一人いる。その兄は、驚く程優秀な兄だ。見た目良し、頭良し。事業も成功し、酷く忙しそうではあるがその結果当然金も持っている。
(勝ち組すぎるだろ…刺されろ)
 過去何人のクラスメイトを自宅に呼び、兄に惚れられらことか。
 くぅと心の中で握りこぶしを作るが、それを直美の前で力説するつもりもなかった。
 陣内家は正論だろうが、同情だろうが勝てる相手ではないのだ。
(つーか、連絡くらいいれとけバカ兄貴)
 出来過ぎていて腹がたつくらいの兄の欠点は、昔ずっとチビだったことと無愛想なところらしいが、前者は既に解決されている。後者については、むしろその傲慢な無愛想さがこの親戚を相手にする上では羨ましいくらいだ。
 兄は自分と13歳も離れているし、離れて住んでもいる。更に無愛想というよりクールな性格のせいで、自分と絡むことも少ない。
 簡単に言えば、あまり自分と関係などない。
 と、言いたいところだが顔が似すぎているせいか、むしろその評判だけが自分について回り、ある意味鬱陶しいことこの上ない。
「あーあ。昔はもっとあんたも可愛かったのに」
「やー恰好よくなってごめんなさい」
「デコピンされたい?」
「すみません」
 直角に謝ると、直美が笑った気配がした。
「本当昔は女の子見たいだったのに、本当もったいない」
「…つーか、それは、まじで母さん達にいってください……」
 泣き真似をして顔覆う。にやりと笑う直美の顔は、だいぶスッキリしてきているようだがこちらはたまったものではない。
(ああ、もう)
 自分は生まれるその日まで完全に「女の子」だと思われていた。
 そんなこともごく稀にあるらしいが、生まれた方としてはたまらない。なんせ皆にことあるごとに言われるうえに、おかげで小さい頃は女の子のように可愛がられたものだ。
(兄貴もチビで、散々からかわれたって皆は言うけど)
 確かに自分の年齢のときの兄の身長を聞くと、ビックリするくらい小柄だ。クラスでも体格の良さでは、かなり上位に入る自分と比べるとその成長には差があるのかもしれないが、それは先ほどの通りあくまでも13歳時点の話であり、現在兄の身長は立派に伸び先ほど述べた通り現在は勝ち組だ。どう考えても自分だけが不公平な目にあっているとしか思えない。
(く)
 そしてそう思うこと自体がすでにどこか悔しい気もするが、所詮自分に八つ当たりの場所など準備されていないことは分かっている。
「っていうか、直美ちゃんどっか行く所だったんじゃないの」
「あ、そうそう。買い出し」
「手伝おっか?」
「あーいいわよ。あんた、別の仕事あるだろうから」
 直美は軽く手をひらひらと振ると、気もすんだのかそのままあっさりと姿を消す。その姿が完全に消えてから、はぁと深く大きなため息をついた。
「俺のアイス…」
 最後の一口は無残にも、話している間に地面に落下してしまったがさすがにこれはもうどうしようもない。
(覆水盆に返らず、アイスは棒に戻らず)
 幸先悪いものを感じつつ、屋敷に足を踏み入れる。屋敷に人のいる気配はするが、時間を予告していたわけでもなく、また非常に中途半端な時間のため玄関に人の気配は完全になかった。
 履きこんだスニーカーを脱ぎ、そっと中へ入る。出来れば最初はそっと離れておき、夕食前にくらいに挨拶をする。そんな流れで行きたい所だった。
 周囲の気配を伺いつつ、きしきしと音を立てる廊下を出来る限りそっと歩く。そして目指す場所は決まっている。
 基本開け放たれているこの屋敷の中で、ほぼ唯一ともいっていい個室。
(ちょい狭いのが難点だけど)
 それでも個室のありがたさには変えられない。
 運よく誰にも会わずたどり着いたその場所は、珍しく小さな音がしていた。
(あれ)
 そっと中の気配を伺うと、どうやら誰かがいるらしい。
「………」
 親戚らの中で、この場所をすき好む人物はいない。狭い密室で、荷物も多く積まれている。自分が知る限り、もう一名ここを使いそうな人物は今年はもっと後に上田入りをするといっていた兄だ。
(となると)
 覗いてみると、確かにそこは人がいた。人はいたが音の正体は、紙の束が風でまくられている音のようで、本人は机に突っ伏して眠っているようだった。顔を腕に隠すようにしているため、その顔を見ることはできないが、もしかしてという予感がする。心臓が、妙に緊張した音を立てた。
 出来る限り音を立てずに忍びよる。そっと途中で膝をつき、その少しだけ横を向いている顔を見ようと顔を近づける。
 細い首。色素の少しだけ薄い髪。
(もしか――して)
 頭の中を色々な情報が交差する。近づく距離が、少しずつ詰められていく。
(見えない)
 もう少しだけ横を向いてと、顔を近づけた瞬間だった。
 相手が横を向くと同時にぱっと目を開けた。至近距離でその目と目が合う。
(あ)
 悲鳴をあげたのは、相手の方が先だった。
「う、おおおおおおおお!?」
 その気持ちはわかる。確かに起きた瞬間に目の前に人の、しかも同性の顔があれば驚く。
 だが、相手が驚いた理由は別のものだった。
「キング!? え、ちょ、若くね!?」
「それは兄貴」
 思わず冷静につっこんでしまう。
「へ」
 狭い場所で本棚にへばりつくように縋っていた男が、間抜けな声をあげた。
「…大きいキング……」
 取り敢えず、相手がいまだ混乱から抜けきらないことだけは把握した。
 まじまじと自分を凝視してくる相手を、こちらも負けじとじっと見つめる。
 細い体躯。
 少しくせ毛で、色素の薄い髪。そして眼鏡。その人物に見覚えはあり、その結論から言うと。
「――小磯さんじゃない」
 すると、相手は驚いていたくせにそれをもう忘れたように、数度瞬きをした。
 それから軽く首をかしげる。
「俺を、健二だと思って近づいたわけ?」
「そう」
 それは真実なので、相手と同じようにしゃがみ込んで頷いた。動いていた髪留めを少し直していれば、相手は驚いたように呟いた。
「ガチでキングだ…」
「は?」
「いや、だってキングもすっげぇ健二に懐いてたからさ。ありゃーそっか、なるほどなぁ」
 健二好きの血か、と一人うんうんと頷いている。
「えーあの、」
「あーけどあいつなら今頃居間で引っ張りまわされてるし」
「来てるの!?」
 思わず強く反応すると、にやにやと笑われる。
「おうおう来てますとも。よーし、お兄さんが紹介してやろう」
「おにーさんって年じゃないでしょ、佐久間さん」
 すると、相手は再び驚いたように硬直した。
 その分かりやすすぎる、自分よりはるかに年上の大人に思わず笑いが漏れる。だが次の瞬間、何故か頭を撫でられる。
 佐久間より低いといってもその身長差は僅かであり、どこか違和感がある。
「あのー…?」
「いやもうすごいなぁと。俺ガチで人のこと覚えられないから」
(天然さんか)
 それでも悪意がないことが分かるので、取り敢えず笑って流すことにした。
「俺のこと分からない位気にしないって。ま、顔は兄貴に瓜二つって言われ慣れてるし。愛想は全然俺の方がいいけど」
 友人らからは絶賛うけのいいウインクをおまけでつけると、腹を抱えて爆笑された。
 望んだところだが、幾らなんでも笑い過ぎだ。
「わはははははは!」
「…あのー」
「やばい。キングが大人だ! 大人なミニキングだっ」
 身長も全然でけぇけど、と無防備に笑う大人はおそらく力では圧倒的に下回っている気がする。
(むしろ、こう抱えられそうだよなぁ)
 景気よく、むしろ正面切って堂々と笑う大人に取り敢えず毒気は抜かれた。もともとここで怒れる程の甲斐性はもっていない。
「あー佐久間サン?」
「いやもう、そうだよな。健二だ、健二! キングと言えば健二っ」
「ちょおおっ」
 無理やり引っ張るように走り出される。抵抗することは簡単だった。なんせ先ほどの見解ではないが、相手より断然自分の方が力がある。
(ほっそい腕)
 むしろその細さと、更にこの屋敷の中では身についている『年上には逆らうな』という気質に従ったとも言える。
「ちなみに居間はそっちじゃないけど」
「え、ガチで!?」
 同時に足が違う方向に向けられる。
「そっちでもないけど」
「ええっ」
「迷子かよ」
 思わず笑ってしまう。確かに広い屋敷ではあるが、実際に迷子になる人物を見たのは初めてだ。掴まれていた手を逆に引っ張るようにして、目的の場所に案内をする。
 近づくにつれて、確かににぎやかな話し声がする。
(…万助じいちゃん達か)
 どうせ挨拶はしなければいけなかった。諦めて小さく息をすう。 
 そうして入ろうとした瞬間、先に佐久間が足を踏み入れた。障子があればまさしくスパーンと音を立てて開けそうな勢いだ。
「じゃっじゃーんっ、おう健二これみて驚けっ」
「お、ようやく来たか!」
 佐久間は明らかに挨拶をすましている。となると、との単語が向けられた先はどう考えても自分だ。続いて容赦ないコメントが降ってくる。
「やだ。何あんた腰ばき? だらしない」
「おお、でかくなったなぁ」
 親戚らから色々な言葉が飛ぶが、今はそれも気にならなかった。確かに、数年ぶりに見る顔がそのテーブルに座っていた。
 確かに広い場所だが、どこか余分なスペースを多分に感じさせるような存在感で、控えめに笑っている人物。
(小磯、健二)
 見た瞬間に分かった。記憶での顔は、少しだけ曖昧になっていたが見た瞬間にはピンときた。
「あ」
 言いかけた言葉がのどに詰まる。
 小磯健二は、酷く驚いた顔で、けれど驚く程静かな瞳で自分を見ていた。
「あれ、あんた会うの初めてだっけ?」
「前に来た時にもあってますよ。ただ5,6年は前ですから…」
 健二のかわりに佐久間が丁寧に答える。
 当の健二は、パカリと口をあけたまま数秒停止をしていた。それから、恐ろしくペースの違う、驚いているのか疑いたくなるような悲鳴をあげる。
「う、わあ」
「なんかさ、健二くんのこういうペースって相変わらずだよねぇ」
 太助ののんびりしたコメントに誰かが笑うが、本人は気にせず悲鳴をつづけた。
「うわ、うわあ」
「お前うわぁしか言ってねぇし」
「うわぁっ!」
 動揺が収まらない健二は、それでもゴクリと一度唾を飲み込んで佐久間に勢いよくしゃべる。
「だって! 佐久間だって驚いたろ」
「おう。もう十分悲鳴をあげてきた」
 それはえばる場所なのかと思っていれば、そのまま引っ張られ健二の隣に座らされた。その逆側に佐久間が座る。
「ちょ」
「ん?」
「……や、なんでもないけど。つーか、二人とも細すぎない? しっかり食べてる?」
 親戚らが好きそうな話題を口にすれば、皆が一斉にそれぞれ好きなことを口にしだす。
「あんたも好き嫌い激しかった割には育ったわよねぇ」
「今は好き嫌いないし」
「健二くんは、食べる量がやっぱり少ないからねぇ」
「でもこいつだって昔は小食だったじゃない。だから本当女の子みたいだったわよねぇ。あ、こいつの昔の写真見たことある?」
「ちょ、理香ちゃんもうそれやめてよっ」
「理香さん、でしょ」
 机越しに理香にデコピンされると、皆がはじけたように笑った。
 両隣では佐久間も健二も楽しそうに笑っている。同じようにへらへらと笑いつつも、多分この空間の中で自分だけは恐ろしく頭の中が冷静だった。
(……会えた)
 小磯健二に。
(とうとう、会えた)
 もう一度どこかでと思っていた人物。その人物と、自分はこうして会えた。否、会えるかもしれないと思っていたからこそ、予定通りの日程で、自分はこの場所にやってきたのかもしれない。
 適当な理由でもっと遅れてくることだってできた。けれど自分が来たのは。
(俺は、この人に会える可能性に、かけていたのかもしれない)
 そして、本当にこれ以上ない程の機会が、やってきた。
「はー、あの頃のキングサイズでさ、これくらい愛想よかったらガチ可愛かったのになぁ」
「ちょっとちょっと佐久間さん」
「んーもうちょっと淡々として、さげすむ感じで」
「ちょっと、誰か助けてっ」
 げらげらと笑い声に包まれて、取り敢えず今は身動きが取れないことを痛感したのだった。




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