池沢佳主馬と小磯健二の交際
第二話「流された小磯健二の挨拶」A



 佳主馬は今なんと言ったのか。
 あまりのふり幅に、健二は完全に置いていかれていた。
「……え、ちょ、あの?」
「付き合って。付き合ってくれたら、何も言わない。健二さん、今付き合いたい人はいるの?」
 佳主馬は好きな人とは言わなかった。
 だから、とっさに健二は素直に戸惑いを見せてしまった。そして、当然それを見逃すような佳主馬ではない。
「ならいいじゃない」
「え、や、あれ」
「言ってもいいの?」
「だ、だめ! だめだめだめ!」
「僕のこと嫌い?」
 僅かにだが揺らいだ瞳に、健二は反射的に叫んでしまう。
「まさか!」
「うん、じゃあよろしくね。健二さん」
 握手をさせられ、はっと気づく。
 自分はいったい今、どんな状態になっているのかと。
 目の前に居るのは、この夏知り合ったばかりの少年だ。といっても、濃密な時間を過ごしたせいか、学校のクラスメイト達よりもはるかにその距離は近い。
 性格は自分と佐久間以上にかけ離れているが、何故か話が合うし、一緒に居ると楽しい。呆れられることも多いが、それは普段の生活から多々あることであり気にならないし、彼の気持ちが、この家に居る家族達の気持ちが温かいものだと、健二はもう、とてもよく知っていた。
 だが、何よりも彼は、まだ十三歳という少年だった。
(…といっても、僕よりはるかにしっかりしているけど)
 キング・カズマとしての過酷な戦い、プレッシャー。青年実業家としても働いていると誰かが言っていた。
 成長途中の体は細いけれども、健二と違いうっすらと筋肉もついている。
(将来、どう成長するのかなぁ…)
 手を握りながら、健二はぼんやりと想像する。
 きっと自分と違い、陣内家にふさわしい明るく、力強い道を進むのだろう。
 佳主馬の手はまだ小さいが、少林寺拳法とキングとしての戦いのせいか、表面はとても硬く男らしい手をしている。
 それは、どこかあのウサギのアバターを彷彿させた。
「…キング・カズマみたい」
「――本当のんきだよね。まぁいいけど」
「はっ! ごごごご、ごめん」
 佳主馬の一声に、健二は我に返る。いつものことだが、数学以外になると、自分の思考は道筋をすぐに見失い、どこかにすぐそれてしまう。
 それてしまうが、今はそんなことを感心している場合ではなかったのだ。間違いなく。
「いいよ。どうせ僕は名古屋に居るんだし。健二さんが無理ない範囲で距離を縮めてくれればいいよ」
 言われて気付いたが、自分達はこの夏が終われば皆がばらばらに別れてしまう。それは、とても寂しいことでもあったが、何故か、陣内家の持つ力なのか、またどこかで会えるような、離れていても距離を感じさせない繋がりをぼんやりと感じていた。
(なんか、変なの)
 自分が、そんなものを感じられる日が来るとは思ってもいなかった。
 言っては何だが、健二は完全な他人であり、そして皆ほど魅力的な何かを持っているわけではない。それでも、確かに自分が、その繋がりに、僅かにでも入れて貰えていることを感じていた。
 健二はそこで、ふと首をかしげる。
「あのさ。えっとなんで、僕なの?」
 佳主馬は一瞬呆れた顔をしたが、不敵に笑った。
 まだ十三だというのに、その表情のなんと似合うことか。思わず視線をそらせずに、将来の恐ろしさを感じていれば、あっさりとそれ以上の爆弾を落とされた。
「そんなの、好きだからに決まっているじゃない」
「へ」
「健二さんが好きだから」
 手を再び――今度は、指を絡めるように握り締められ、健二はその場で気を失うかと思った。
(……あれが、二日前…)
 ピロリンと音がしてメールの着信音が響く。
 ばっと顔をあげると、佳主馬からのメールだ。
『寝すぎ。生活は規則正しくしないと駄目。早くご飯食べないと、もう昼になるよ』
「……はは」
 健二は転がって小さく笑った。
 家族のような、小言だ。けれども全く鬱陶しいとも、煩いとも思わない。きっとあの夏、何度かみたように少し呆れた顔でメールを打っているのだろう。
 最初、あの納戸で夜に会ったときには想像がつかなかった程、彼の生活も思考も、驚くほど健全だ。
(けど、宵っ張りなんだよね)
 それは彼が夜を好きなわけではなく、ただ純粋にやることが多すぎて時間が足りないという状況なのだとは思う。
 眠りは深く短く、昼間も活動的なことは、それだけで健二にとって賞賛に値する。極まれに昼寝をしている姿を見たこともあるが、妙に安心して、思わず隣に座り団扇で扇いで昼間を過ごしてしまったこともある。
(あの後、筋肉痛になって、直美さん達に散々笑われたけど――)
 当然ながら、もうなんともない片腕をなんとなく触る。
(小言、か)
 同時にどこかこそばゆくもなる。彼が自分を気遣っているのだと思うと。
 付き合うといっても、佳主馬の言ったとおり、自分たちは離れている。実際に何かというわけでもなく、急速に何かが変わるわけでもない。
(子供の、独占欲みたいな、ものなのかな)
 けれどこれはこれで、もしかしたらありなのかもしれないと思う。聖美は佳主馬がいじめに合っていたというが、健二はそういったことがなくとも、あまり他人と距離を上手く詰められる方ではない。
(名目っていったら、変だけど…)
 健二は小さく苦笑いを浮かべる。
 この家に戻り、どこか固まっていたものが、少しだけ様子を伺うように、怯えつつも再び解かれていく。
 だがのんびりとしていれば、さらにメールが届く。
『寝癖、撫でたい』
「ひっ」
 その言葉に、妙に反応して携帯を放り投げてしまった。そして空いた手で頭を押さえてから、放物線を書いて落下した携帯のぶつかる音を聞く。
「わわ!」
 慌ててそれを拾いつつ、健二は無駄に周囲を見回してしまう。
 側に佳主馬が居るはずはない。
 けれども、見られているかのような内容に、健二は思い切り体を震わす。
「なんで、分かったのっ!?」
 多分、見なくても寝起きだし、触った感じでも後ろが横へ思い切り跳ねている。
 思い返して見れば、あの夏の間、やはり呆れたように佳主馬が何度か自分の髪をなおしてくれていた気がする。
 今更ながら、指先からかーっと血がのぼってくる。
(友達…じゃ、ないんだよね…)
 彼の宣言は、佐久間との位置とはまったく違うものだ。
(そういえば、佐久間も昨日何か話したそうだったなぁ)
 お土産を渡した後は色々慌しかった。お互い報告することも沢山あった。健二自身も、確かに喋りたいことは沢山あったが、それでも昨日はほとんどその話はしなかった。上田で得た楽しい思い出達。
(なんか、口に出したら…)
 全てが夢になりそうだったが、夢ではない。
 佳主馬とこの繋がりがあるということは、全てが夢のわけないのだ。
 佐久間には、今日また連絡をして、夏希にもあわよくばお礼などを伝えてみたい。行きは無理だったが、帰りは無事にメールアドレスの交換を出来たことが、ある意味この夏一番の功績なのかもしれない。
 しかし、その前に、まずは目の前にメールがあって。
 はたして自分はこれに、どう対応するべきなのか。
(もう一回寝てから…)
 思ったものの、健二はベッドから降り大きく伸びをした。
 惰眠は十分すぎるほど貪った。
「ご飯、食べるか」
 年下の少年に怒られるには、あまりに忍びない内容だ。せめて、これからこの家に戻ってきても、お腹をすかすことだけは、もう止めようと思っていたのだ。
『…ひとまず、ご飯食べてきます』
 きっと彼ならばこれで察してくれるだろうと、逃げる気持ちで送信する。察したからといって、彼が手加減してくれるかは別の話だとしても。
 健二は、そのまま顔を洗うために洗面所へと向かう。久しぶりの実家。陣内家とは違い静かで、無音の場所。
 顔を洗い、寝癖を一応は治してからふと思う。
(佳主馬くんが)
 挨拶をくれた。たったその一言で、何かが全て変わったように思える。
「挨拶、か」
 誰も居なくとも、これからは口にしてみようかと、ふと思う。起きた自分を待っている、陣内家とは違う朝。けれども、同じ朝だ。
(……けど)
 健二は思わずにはいられない。
「彼氏じゃなくて、友達じゃ…」
 駄目なのかなぁと。
 友人としては、間違いなく得がたい存在だと思う。
(むしろ不釣合いか)
 呟いて健二はため息をついて、それから小さく笑った。
(本当、ありえないことばっかだなぁ)
 この夏のことは、本当何を思い出してもぶっ飛んでいる。
「彼氏、か」
 もう一度呟いて、過去の少しだけ苦い思い出と、妙に恥ずかしい気持ちと、押し切られてしまった自分の不甲斐なさやらで複雑な気持ちを追っていく。
(そういえば、佳主馬くんは男の人が好きな子なのかな?)
 佳主馬はあの年頃にしては色気もあるし、しっかりもしている。あの家系であればきっと体格を含めた見た目もきっとよく育つだろう。
 そして、彼は世界的に有名なキング・カズマでもある。
 その彼が何故自分を、という疑問はつきないが、嘘をついたり、こういった内容でからかう人物ではないことは、確かだ。
(ひとまずは、暫く様子見、しかないかぁ)
 自分も夏希にバラされたくはない。
 せっかくの憧れの先輩と、少し近づけたのだ。夏希の眩しい笑顔。それを手に入れられるとは思っていない。けれど、少しだけ側に。あの明るい光の側に、少しだけでも居たいと思う。
 静かな台所に、パンの焼けた合図音が響く。
「あちっ」
 トーストとジャム。それに牛乳だけの簡単な朝食。
(目玉焼きくらい、つけてもよかったかな)
 食べようとしてから、健二はふと手を止める。
「…頂きます」
 丁寧に呟いてから、もそもそとそれを食べる。今日も、起きたからにはきっとすることと、考えることが山盛りだともう分かっているのだった。



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とりあえずサンプルはここまで。