その戦の名前は
翌日の晩御飯。健二は色んな意味で圧倒されていた。
いつもの大きな机の上には、鉄の鍋が3つ。そしてそれを埋め尽くすような野菜や肉や豆腐達。
それ以上に圧巻なのは、机の周囲にいる皆の表情だ。
「健二くん、ルールは大丈夫?」
「へ、は、はぁ!?」
夏希がこそっと横から聞いてくる。
「ルールって――…すき焼き、の?」
そんなものがあったのかと、健二は唖然としたまま横を見る。頷く夏希は大真面目だ。
「そう。えっと」
「まず、生煮えの肉は食ってはいけない」
力強く教えてくれたのは克彦だ。
すき焼き、という力もあるせいか、今日は夜勤のはいっている頼彦以外は兄弟達も戻ってきている。
「そうそう。半生が食べたいなら、一応うっすらと両面色ついてからね〜」
のんきに言っているのは万作だが、それでもいつもより目が本気だ。
「あと、肉だけ連続して食べてはいけない」
「――横取りもね」
「あれは、俺が掴んだ肉だったろうがっ」
佳主馬の言葉に、過去何かがあったのか翔太がほえる。
「とにかく、それぞれ好きな具材を、肉だけ連続でとらないように食べればいいから」
「は、はぁ」
「一応、それぞれの鍋には奉行も決まっているし」
奉行はどうやらいつもの配役で決まっているようで、テキパキと準備を進めているメンバーが確かに居る。
万理子含む数名の女性陣は給仕もあり席についていないが、どうやら鍋奉行は男性がやる役割のようだ。
一つ目は克彦、二つ目は太助、三つ目は理一。健二には基準が全く読めない。
「頑張ってね、健二くん」
耳元でそっと夏希に囁かれる。その近さに一瞬にして、脳が沸きそうになり、思わずガクガクと頷けば、夏希は楽しそうに笑った。
「健二くんのおかげで、またすき焼き食べれて嬉しいなぁ」
「喧嘩しても、仲裁はしないわよ」
最初の、台所でちょうどよい頃合まで準備された鍋をセットしつつ、万理子が呆れたように呟く。
「何いってんだ! これで負けるようじゃあ、男がすたるだろっ」
「はいはい。火つけたわよ」
途端に皆が無言になった。
その途端の切り替えに、健二はもはや唖然とするだけだ。
「じゃあ――」
誰かの声が響く。
「頂きます」
呟いた後は、まさしく一瞬だった。
「え、えええええええええ」
一瞬にして、目の前の鍋から肉が消えた。まさしく瞬きの間だというに相応しい。野菜も少し消えたが、それ以上に肉が。
呆然としている暇もなく、奉行が空になったスペースに新たな肉を投下していく。
肉はあった。
今の前にも、確かにあったはずだ。薄くておいしそうな肉があったのだ。
「……」
「アレ、健二くん食べないの?」
「……食べます」
ひとまず残っているネギや野菜を貰う。甘めの味付けが美味しい。だが、まだ衝撃から抜けきらない。
続いて再び箸が光速で走る。見れば皆が真剣に肉を見て、そして恐ろしい速さだ。
「あー! 俺の肉っ」
「肉に名前は書いてないわよぉ」
「ち、ちっくしょお! あ、佳主馬てめぇ食いすぎだっ」
「成長期」
隣の鍋よりはきっとましなはず、と健二は我に返り己の鍋を見つめる。肉はある。まだ若干赤い。
うっすらと全てが色づいた瞬間。
「もーらいっ」
「うん、美味しいね」
「ちょっと、理一でかいの取らないでよっ」
「……」
奉行の関係でいつもと席配置が違うが、それでも健二は箸を動かすことができなかった。
会話は暢気だ。しかし、箸と目だけは皆真剣すぎるほど真剣なのだ。
「はい、まぁ最初だからね」
「あら。あんたまだ食べてなかったの」
「あははー、遠慮しちゃ駄目よぉ」
「そうだそうだ。この肉もうめぇぞ。しっかり食え」
笑いながら言われるが、健二は乾いた笑いしか返せない。
遠慮をしているわけではない。
全く動きについていけないのだ。
「…ありがとう、ございます」
理一の情けでもらった椀を受け取る。食べた肉は柔らかく、甘くとても美味しい。
美味しいのだが、やはり。
「お、やる気になった?」
「…はい」
健二も今度は気合を入れる。
だが。
「っ」
「ええ」
「あれっ」
三戦三敗。
皆はすいすいと取っていき、目は笑っていないが会話も生まれている。
(な、なんで)
箸をもったまま呆然としてしまう。
「健二さん」
「え」
声をかけられ顔をあげれば、いつもの無表情ながら佳主馬が離れた席から椀を差し出している。
その顔にあるのは、完全に――。
「あげる」
「……ありがとう」
情けだ。
情けだとしか言いようがない。
年下の友人からの情けに、涙がでそうになるがありがたくそれを受け取る。
「あ、ずりぃぞ佳主馬! それうちの鍋だろっ」
「なんだ。翔太。自分で取れないなら俺がとってやろうか?」
「うるせぇ!」
しかし、もらった肉はやはり美味い。その味をかみ締め健二は決意を更に固める。
(なんとしても)
一枚は。
一枚くらいは、取ってみせる。
まさかすき焼きが、こんなにも難易度が高いものとは健二は全くしらなかった。
「あ、馬鹿っ。お前野菜も食えよっ」
「ちょっと、今肉連続でとったでしょ、おじさん!」
そして迎えた次の戦いは――。
「はい、健二くん」
「……あり、がとうございます…」
夏希からの情けで、肉を食べることとなった。
皆の腕がとにかくすごすぎる。だが、夏希から皿を受け取った健二は、ふと顔を赤くする。
夏希から食事のはいった椀を渡される。
それは、どこか。
「あー赤くなってるーっ」
「ひゅーひゅー」
「かっぶるだぁ」
「カップルじゃねぇよ!」
子供達にひやかされ、健二はより顔を赤くする。だが隣を見れば、夏希の顔も赤い。
(あれ)
「肉、食べれなくてもよかったかな?」
「あ、い、いえいえいえいえ! すごい美味しいです。なんか、幸せです」
「夏希がいるから?」
くねっとしたポーズ付きの直美のからかいを、健二は笑ってごまかすが、どわっと皆はまた騒ぎ会話が弾んでいく。
その穏やかで暖かい空間に自分がいることを、健二は一瞬夢ではないかと思う。
「楽しいね」
だが、隣で囁いてくれる存在が。
「――はい」
笑って答えた後、健二は続ける。
「戦争ですけど」
「今回は、健二くん惨敗ね」
「……はい」
「来年リベンジしよ。特訓してあげるから」
「はい。よろし――え、えええっ」
賑やかで幸せな夜に、終わりはないのかもしれないと、健二は少しだけ夢を見てしまいそうな胸の高鳴りを感じていた。
END
肉はいつでもマジで戦いっすよ!当然!
下らないことでも、ついつい真剣にさせたくなるのは何故だろう…