今日も世界は敵だらけ



 葬儀が終わり、屋敷の修繕計画や温泉の管理などが話し合われる頃、その男は帰ってきた。
「侘助おじさん!」
 よく響く夏希の声に、佳主馬も顔をあげた。そしてあげたことを後悔するように、再び目の前の食事に視線を戻す。
 かろうじて形を維持している居間で、いつものように賑やかな食事をしていた他一同は、佳主馬と違い皆が箸を止めていた。多分それは深い意味はなく、ただ純粋な驚きがそうさせただけだ。
「なんだ、もう平気なの」
「案外はやかったじゃない」
「あ、そこ詰めますか」
 一瞬の間を埋めるように、皆が口々に話し出す。
「終わったの?」
 腕にまとわりついていた夏希も嬉しそうな声を出す。
「一時、な。ほら、離れろ。明後日から今度は東京に行ってくる」
 侘助は縁側の外に立ったまま、少し大きめな声でそう告げた。
 それは、まるで居間に居る人々にその言葉を届けるような――別れの挨拶のようだった。
「…ババアは?」
「奥の部屋だ。あっちは壊れちまったからな」
「二人とも」
 会話を断ち切るように声をかけてきたのは、万理子だ。
「まずは席に座って。先にご飯食べちゃいなさい」
 いつの間にか立ち上がっていた万理子は、手に新しい食器を持ってきている。その声は、穏やかながら、どこか有無を言わさぬ強さがある。
「はーい! ほら、おじさん」
「母さんに挨拶するにしても、お腹いっぱいになってからの方が喜ぶわ」
「…ああ」
 どこか困惑するように、だが断ることはせずに頷いて、侘助が縁側から畳にあがる。
 それは、どこかいつもと違った光景ではあったが、上がってしまえさえすれば、違和感の無い光景でもあった。
「侘助さん、お帰りなさい」
 一度、強制的に屋敷から連れ出された経験がある健二は、彼にしては珍しくしっかりとした声で、そう侘助に声をかけた。
 親戚とはまだ直接的な関係のない健二をみて、侘助は返事の代わりに、少し息を抜くような小さな笑みを口元に見せた。背中を合わせるように、最前線で命を張った仲というのもあるのだろうか。
 健二がずっと侘助のを心配していたことは知っている。
(さっさと話せばよかったのに)
 侘助との会話をすぐに夏希に奪われた健二をみて、そう思ったところで佳主馬はその視線を逸らした。
 佳主馬は、無口だといわれるが、それでも親戚の煩さは嫌いではなかった。
 子供達も煩いし、邪魔でもあるが、それでも可愛くもある。親戚だから、という一言が大きいことを、佳主馬はだいぶ昔に学んでいる。
 いつもの世界に戻ってしまえば、煩わしい大人も、同学年も子供達も、この空間に居る人間は嫌いではない。血のつながりを差し引いても、あの「大ばあちゃん」のせいなのか、佳主馬にとって素直に凄いと思える人間ばかり存在していた。
 その空間の中に、突然入り込んできた大人。同じ親戚でもある存在。
(…苛々する)
 健二が初めて同席した日以上に、強く湧き出てくるその感情に苛まれつつも、佳主馬は静かにその日の食卓を囲んでいた。



 朝、珍しく少し早い時間に目が覚めた。
 水を飲もうと向かえば、朝食を準備する女性陣が数名、とある部屋を覗くように立っている。
 同じように後ろから覗き込み、その理由が分かった。
「けど、それだと定数が――」
「ばーか。だからそのために、ここで――」
 話をしているのは男二人。
 明らかに徹夜していることが分かる、話題の熱さだ。覗かれていることにも全く気がついていない。
 畳の上には馬鹿みたいな量の紙が散らばり、よく分からない数式が書かれている。
(…なんだよ、これ)
 二人の議論は、まだまだ終わりを感じさせない。
「やだ、驚いた」
「…本当。でも、あいつと話が合うやつが居るとはねぇ」
「よかったじゃないですか」
 皆が口々に話しながら台所へと向かっていく。
 それから一時間後の朝食になっても、二人の姿は現れなかった。
「夏希、呼んで来て頂戴」
「はーい!」
 元気な声と軽快な足音が遠ざかる。
 朝、あの光景をまだ見ていなかった夏希は、暫くすると笑いを堪えるように帰ってきた。
 その後ろからはまだ男二人、話を続けている。
「あの式じゃ次につなげられませんよ」
「その発想が悪い。答えにあわせて組めばいいだろうが」
「…16.346232533の差は大きいと思いますけど」
 言い合いながら二人は席に座る。
 そしてそこでようやく、視線を集めていることに気づき不思議そうに周囲を見回した。
「はぁ、…仲良くなったんだな」
 メガネを直しながら万作。
「こいつがくだらねぇ疑問を出しただけだ」
「そういえば健二くん、計算速かったものね」
 あの日、具体的にどんな計算がなされていたのかは誰も分かっていないが、健二が天才的なことだけはよく分かる。
「じゃあ、じゃあ、345かける238はー?」
 真緒が悪戯を思いついたように、精一杯の難しい数字を口にする。
「こらっ」
「82110です」
 即答した健二に、一同の動きが止まった。
「シシシ。これくらいのが分かりやすいみてぇだな」
 侘助の声が響く。続いて太助の感心した声。
「あの日、暗算も見てたけど…やっぱりすごいんだね」
「じゃ、じゃあ! 13500円の消費税は!?」
「えっと14175円です」
「…あってる?」
「わかんない」
 数秒呆けた後、またその場は弾けるように賑やかになった。
「あ、なら健二さんがいるうちに、帳簿を見てもらおうかしら」
「利息計算も!」
「便利だなー計算機要らないじゃないか」
「…俺。数学の宿題やってもらいたい」
「お前はそれくらい自分でやれっ」
 了平の言葉に父親らしい叱咤を克彦がするが、克彦自身数学はどうみても得意ではなさそうだ。二人揃って顔によく出ている。
「ご馳走様」
「佳主馬?」
 立ち上がり、佳主馬は騒動の面子と別れを告げる。
「仕事があるから」
 佳主馬にとっては魔法の言葉を口にする。
 トラブル続きだったが、最終的には活躍をしたキング・カズマはスポンサー達も復活し、ベルトも戻ってきた。自分に打ち勝った存在が、 AIでいて、OZを大混乱に陥れた存在のため、あの戦いはノーカウントになり、また最終的にカズマがあの存在を拳で砕いたことも大きかったようだ。
 正直返上も考えた。またバトルをしなおして、勝ち取りたい。だが、その言い分は聞き取られず、今はただ対応すべきことも多く追われている。
(くだらない)
 話し声を背中で聞きながら、納戸に入り、パソコンのスイッチを入れる。
 自分が一体何にこんなに苛立ちを感じているのか、佳主馬はよく分からなかった。




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前半はまったりしててすみません。
数学的な会話は雰囲気でよみとってやってください…(笑)