オータムウォーズ



「な、夏希先輩!」
 次の日の朝。未だにじろじろと見られる視線に耐えかねつつ、健二は見つけた姿に思わず声をかけた。
 かけた後に、はっとなる。
 昨日から『声をかける声をかける』と呟いていたせいで、咄嗟に呼んでしまったが、その後は何も考えていなかった。
「健二くん」
 振り向いた夏希は笑顔で、その表情に思わず一度見ほれてしまう。
 駆け寄ってくる姿に、言葉にならない幸せを感じていれば、夏希が不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「え、あ、いえ、あの。あ、夏休み、本当に終わっちゃったんだなぁと…」
「うん」
 夏希に怪しまれたり笑われるだろうかと思ったが、夏希は頷いてくれた。そのことにほっとしつつ、そっと横を盗み見する。
 すると同じように視線を向けていた夏希とばっちり視線があい、二人はじけるように視線をそらした。
「おはよーっ、夏希」
 後ろから夏希の肩をたたいて現れた女性の声に、健二は我にかえる。
 現れたのは健二も知っている、夏希と同じ生徒会の書記を担当している先輩だった。
「ん。珍しい組み合わせだね」
 健二は軽く頭を下げる。
 先輩に用があるならと、身を引きかけたところで夏希がさらりと答える。
「うん。彼氏」
「へー彼氏…彼氏ぃぃぃ!?」
「えええええ!」
 健二も思わず声をあげてしまう。その声に、夏希が振り返る。
「…だよね?」
 はにかむような笑みに、健二は血が頭のてっぺんまで上るのを感じるが、それでも精一杯頷いた。
 それが精一杯な自分が恥ずかしいが、それでもいい。
 無我夢中だ。
「へ、へぇ。あんたが。あんたがぁ!?」
「もーうるさいなぁ。後でね後でね」
 少し頬を赤くしつつ夏希が彼女を押しやり、そして隣の健二を見る。
「あ、あの」
「な、なに?」
 健二は渾身の力を振り絞る。
「メ、メールしてもいいですかっ」
 周囲に人が居れば、間違いなくずっこける内容だ。それでも当人同士は真剣なのだからたちが悪い。
「う、うん」
「沢山しても、いいですかっ」
「うん!」
(よ、よっかったぁぁぁぁぁ)
 健二の悩みは一つ解決したように見えたものの、書記の先輩から噂が広まるのはあっという間のことであり。
 七不思議のひとつでもあった生徒会長の彼氏の存在に、更に健二は色々と大変な目にあうのだが、それはまた後の話。

 それでも一人ではないことは――心強い仲間が居ることは、これ以上ないほど頼もしいと、健二はすでに学んでいた。





おまけ



「で、どーいうことよ」
「え」
「本当ですよ、先輩! 全く聞いてませんよっ」
 生徒会室に入るなり、夏希は突然メンバーに囲まれた。文化祭が近いとはいえ、今日は活動日ではない。何故こんなにメンバーがそろい、更に自分が囲まれているのか夏希はさっぱり分からない。
「私が皆にメールしたの。あんたに彼氏が出来たって」
「あ」
彼氏、と言う言葉に僅かに夏希は頬を赤めつつも、てへっと笑う。
「うん。そうなんだー」
「誰!」
「何部の誰っ」
「てか、先輩いつっすか。キャンプ不参加になったのもそのせいなんすか!」
「陸上部の部長は先月ふってましたもんね。OBの先輩も断ったんですよね? じゃあ夏に新しい出会いですか?」
「ううん。ずっと知ってた人」
 夏希は呟きながら思い出す。出会いは本当に偶然で、あの一年前の夏。駆け込んだ時から始まり、一年間切れることなく、穏やかに繋がっていた関係。
「ちなみに、物理部」
「物理ぶぅぅぅ!?」
 これには、その場で比較的興味無さそうにしていた男子生徒の声も重なった。
 あまりの声量に驚きつつも、夏希は少しわくわくとした気持ちも感じていた。
(恥ずかしいけど、嬉しい、のかな?)
 てへ、と小さく笑うとなお更皆が呆然とした顔になる。
 ずっと友人らが話すことをもっぱら聞く係りだったが、こうして自分のことを話せるのはうれしい。そして楽しい。
 しかし、そんな夏希の初々しいような気持ちには誰も気付けず、むしろ皆はその相手が――夏希の彼氏という羨ましいポジションを手に入れた人物に興味津々だった。
「やっぱり運動神経はいいんですか?」
「いや、でも物理部だろ? てか、あそこ誰がいた?」
「前生徒会長よりもいい男っているのか?」
「あー私、今朝会った」
「え!」
 書記を務めている彼女は、自ら挙手をした。
「目立たない普通の子」
 夏希自身、ずっと健二のことは似たような感じに思ってはいたが人にそうあっさり言われると微妙に納得がいかない。
「すごく優しいんだよ!」
「大抵の男はあんたにゃ優しいよ」
「えーそんなことないよ。あ、それにね数学がすごいの!」
「…あんた数学好きだっけ?」
「ううん」
 皆が呆れたような顔をする。夏希は焦ったように言葉を繋げる。
「それに、えっと、笑うとすごい可愛いし、なんかこうね、胸に残るんだ」
 照れたように笑う夏希に、その場に居る誰もが『それはあんたのことじゃん』と思わずにはいられない。
「……まぁ、けどあんた、好きなのよね」
「うん」
 素直に頷いた夏希はそこで時計を見る。時間は十六時過ぎ。部活動は本格的に開始になっているだろう時間帯だ。
 この中では、付き合いも一番長い書記の彼女は理解する。
「行って来ればいいじゃん」
「……」
「うざがられるわけないよ」
 その言葉に夏希が顔をあげ、周囲を見る。皆も呆れた気持ちで言う。
「夏希先輩をうざいと思う彼氏がいたら、間違いなく顔をおがみたいですよ」
「うざいわけないじゃないよねぇ」
「嬉しいよな、むしろ」
「あ、ちなみに後輩だって」
 皆はもはや言葉も出ない。
 それでも、かろうじて――夏希に好意を持っていただろう後輩庶務は、夏希のために言葉を重ねた。
「それなら、余計喜びますよ。後輩なら、なお更遠慮もあるだろうし――それに、まぁ色々」
 この夏希の彼氏という立場は、同じ男からするとかなり高いハードルでもある。
「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくるね! あ、その後は剣道部によってくる」
「オッケー。明日はミーティングだからね」
「はーい」
 慌しくかけていく夏希を見て、誰からとも無く呟く。
「…先輩が剣道部に行っている間に」
「ちょっと物理部の、提出書類について話し合いに伺いましょうか」
 その言葉に、全員が妙に真面目な顔をする。
「これは、重要な仕事ですよね」
「確認は大切だし」
「そうっすね!」
「行こう行こう!」
 こうして生徒会室が、異様な盛り上がりを見せていることを、当然ながら健二はまだ知るはずもなかった。


END


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