遊 8  



 二人きりになった部屋は、ひどく静かだった。
 イルカの視界はまだ復活しないが、喉から掠れた音がでた。それをどう思ったのか、いきなり激しく口付けられる。
 息が出来ない。
(苦しい)
 でも、もっと苦しくて構わないとイルカは男に力の入らない手でしがみつく。感触はほとんど無いが、多分触る程度でも掴んでいると思う。
 唇が離れ、荒い呼吸を繰り返すと暖かい感触を違う場所で感じた。
(指)
 を舐められていると、分かった。
 徐々に、感覚が戻っていく。視界も、聴覚も、触覚も。
(けど、今は)
 そんな感覚があっても、無くても。
 ただ抱き合いたいと思った。
 苦しいのか辛いのか嬉しいのか死にたいのか生きたいのか、もう分からないし、どうでもいい。そんな思いが伝わったのか、カカシの手が性急に体をまさぐる。
「あっ」
 甲高い声が漏れた。
 乱暴に扱われ、後口をほとんどほぐされないままつっこまれた。簡単に数度触られただけで勃っている己の性器をあさましいと思うことも、既につっこむだけの堅さを持っていた男のそれに何か思うことも無く、ただ繋がって、きつく、隙間が無いほど抱き合いたいと思った。
「あ、あ、あっ」
 乱暴に突き上げられる。
 カカシの手は感じさせるように、だけれど乱暴な動作で前を嬲る。
 舌を噛みそうなほど揺すられて、言葉を上手く紡げない。だが、もし喋れるのなら。
 多分、悲鳴のように告げている。
(もっと)
 何も考えられなくなるまで。
 狂ったように言いつづけたい。
「ひぁっ」
 ぐりっと抉られるような鋭い感覚に、喉がしなる。腰が自然と一瞬逃げようとし、それを無理矢理押さえ込まれ、上から叩きこむように腰を使われた。
「ひ、あっ、あぁ、あっ!」
 死んでしまう。生きていられない。まっとうな感覚で居られるわけが無い。
 涙が溢れる。閉じられない口から、涎が伝う。
 男の額から、汗が落ちる。
 いつのまにか弾けていた、己の精液が腹に、首に飛び散っている。
(カカシ先生)
 名前を、呼んだ。
(カカシ先生、カカシ先生、カカシ先生―――)
 一度呼び出せばそれは止まらず、だけれど音にならないまま心を、体を埋め尽くす。
 この人は、目的も望みも何も無い。
 もうこの世に望むものも、彼を繋ぎとめるものも多分、無い。
 悲しい人。だけれど優しい人。
 優しすぎて、もう自分の持ち物を持つことをやめてしまった人。
 自分などよりも、この人は浅く、深く、何も無い。
 木の葉一枚すら、この人の中にはもう存在していないのかもしれない。
 涙が零れ落ちる。
 快感からか、生理的なものなのか、もう何もかも分からない。もう全ては壊れてしまっているのかもしれない。
「先生……」
 掠れた声は、カカシのものだ。
 必死で視線を向けようとすれば、カカシは動きを止めて、そっと両手でイルカの頬を包んだ。顔を近づけて、汚れた顔を舌で拭う。
(ああ、でも)
 この人が。
 本当に自分を好きだと言うのならば。
「生きてて、よかった」
 カカシが低い声で呟いた。その手は、微かに震えている。
 真っ暗な闇の中に、小さな輝きが見える。
 ひらりと、小さな光を持った木の葉が男の中へと落ちていく。それは、幻なんかじゃないと、暖かい体に触れながら、イルカは強く望んだ。


 己の体の境界線がわからなくなったころ、消え行く意識の中で、イルカは誓約鳥の甲高い鳴き声を聞いた。
 その鳥の声は、紅との始まりを思い出させる。
 紅に、初めて生徒を介して出会ったときに聞かれた言葉。
『あなた、カカシのこと好きなの?』
 頷いてよかったと、瞳からあふれる涙を止められないまま、イルカは全ての始まりを思い出していた。





 例え、この後に――――。











「イルカ先生」
 かけられた声に振り向いた。
「最近どう?」
 優しく笑う紅に、イルカは頭を下げる。
「相変わらず、静かですよ」
「やっぱり」
 くすくすと、紅は楽しそうに笑った。それは、悪戯が成功した生徒のようで、とてもほほえましいものだった。
「私は、我が侭なの」
「そうなんですか」
「そうよ。今度は、ちゃんと好きな男を追っかけてるの。あんな興味ない奴を追いかけるのはもう十分よ」
 その言い方に、今度はイルカが笑った。
 あれ以来、カカシとイルカは共にいる。寄り添うようにして過ごしている。
 家にいるときは、寄り添ってなくとも、必ずお互いのどこかに触れるような生活をして、言葉も少なくただ共にいる。
(あの遊びは)
 まだ、この里にはびこり、どこかで誰かが狂い、涙を流しているのだろう。
 いつか、カカシがまた逆恨みでもなんでも、巻き込まれてしまう日もくるのかもしれない。
「まっとうな忍なんて、やっぱりいないわね」
「そうですか?」
「私だって、あんなことに命をかけてるのはどう考えてもおかしいし、カカシは壊れてる。赤子に九尾を封印するような里長だっていかれてる。それに、イルカ先生だって、壊れてるでしょ?」
「そうですか?」
「性格捻じ曲がってるわよね?けっこう」
「弱いと、生き残るのは大変なんです」
 いうと、紅はそうね、とすぐに同意した。
 諦めたままで居れば、何も、手のひらに隠せるようなもの以外持つこともなかったのに。
 贅沢を望まなければ、何もおこらなかったのに。
「イルカ先生?」
 言われて、顔をあげた。心配そうな顔をした紅に、笑って別れの言葉を告げて、イルカはその場を離れた。
 廊下にでた途端、くらりと視界が揺れた。
「……っ」
 胸を抑える。
 壁に手をつき、数度深呼吸を繰り返してから、一歩足を踏み出した。
「イルカ先生?」
 背後から声がしたが、聞こえないふりをする。
 里には、悪い遊びがある。
 上忍と共に居るものは、どんなやっかみや虐めを受けたとしても、容認されるという遊びがある。
 それは、中忍と下忍の一部が知る遊び。
 懸想していたり、何らかの関係がある上忍に相手が現れたとき、そのもの達は遊びに参加する権利を与えられるという、遊び。
 共にいるならば、それくらい強くならなくては、いざというときに困るという建前ものと、容赦なくこの遊びは、時に誰かの本気の殺意を交えながら永遠に続く。
(毒…か……)
 よろめく足を、敢えて無視してイルカは前へ進む。
 倒れる訳にはいかない。
(あの人と、俺は、共に生きたい)
 そのためになら、あの人が今自分の隣りでくつろいでくれるというのならば、無茶なんて幾らでもしてやるのだ。
 無くすことは怖い。だからもう強くなるしか、道は無いのだ。
(ナルトと、あの人を守れる強さを―――)
「イルカ先生」
 門のところに、見慣れた人影がある。
 優しく、空気に溶け込むような表情で、あの人がこっちを見ている。
「イルカ先生?」
(馬鹿な奴ら)
 あの人は、きっとすぐに自分の症状になんて気付いてしまう。
 一体、何が起きているのか、多分すぐに感じ取ってしまう。
(毒なんて、止めればよかったのに)
 うっすらと、微笑が浮かぶ。
 紅と会う前に、震える手で、差し出されたお茶。その女性のために、自分のために迷い無く飲み下した。
 でも、それは自分なりの宣戦布告だ。
 自分は、この遊びを上忍である彼に黙っているつもりはない。
 直接言わなくとも、こうして倒れてしまえば、それは彼に。
「イルカ先生っ!」
 切羽詰った声。
 大丈夫です。死ぬような毒じゃありません。
 言いたいけれど、喉からは嫌な音のみがでてしまった。でも、多分死なない。だって、自分はこんなにも死にたくないのだ。
 あの人の腕が、きつく自分を抱きしめる。
 安心して、体の力を抜いた。
 指が口の中につっこまれて、解毒剤をくれたと分かる。それをなんとか飲み込んで、引きずられるようにアカデミー裏の木陰に入った。
「あなたは…っ」
 カカシが何かに怒っている。
 指先が、震えている。
(この人は、多分自分の側を離れない)
 たった一枚の木の葉は、予想以上に存在感があるようだ。
 それならば、死にたくない。死ねるはずない。この人を一人にしたくない。
 抱きしめられる腕に、力がこもる。
 冷えていた体が、その体温に温かくなる。
「……死なないで」
「死にませんよ……」
「死なないで。それなら幾らでも俺が死ぬから」
「なんですか、それ」
 抱きしめられる強い腕を感じながら、イルカはふと幸せそうに笑う。
「俺は、あなたが好きなんですから」
 勝手に代わりに死なれたら困りますと告げると、男はこれから、毎日迎えに来ますと呟いて、子どものように抱きしめてくる。
「御願いします」
 ようやく男は少しだけ腕の力を抜いた。
 あなたが俺を守ってください。そうしないと、俺は死んでしまうかもしれないから。
 そう、カカシに思ってもらえればいい。
 どんな手段でも、カカシの心残りに、生きる理由になってみるし、与えて見せる。
 だから、絶対に自分は死なない。
 そして。
 だから、絶対死なないで。
 今度は、自分がこの男を死なせはしないとは思うのだけれど。
「好きです」
 耳元で囁かれた言葉は、男が完全に死ぬと生きる境界線を持ったら、心から信じよううと決めている。
 震える指先は、死への恐怖を物語っていて、その時は案外近いとイルカに教える。
「好きですよ」
 掠れた声で答えながら、その時は、晴れて心から両思いだとイルカはうっとりと目を瞑った。

 それから、暫くの間。
 お互い離れがたく、人気の無いその場所でただ抱き合っていた。








END   /   おまけ