晴れた空の下、甲高い声が響いた。
「先に生徒を」
「『ゆー三』、は塞がれてるっ」
 焦る声。激しい足音。子供の泣く声。
「襲撃だっ!」
 誰かが悲鳴のように、叫んだ。
 里に襲撃がくるのは珍しい話ではない。小規模のものなら半年内で数回はある。だが、こうして里の中、それもアカデミーへとなるとそれは異例の事態だった。
 五代目が手術に当っている間、そしてちょうど砂より要請があり結構な数の忍が抜けている今。
 タイミングは最悪だった。
 だが、敵忍達は、この世に「運」というものが本当に存在するならば、それが最悪な程足りなかった。
「ぐあぁ、っ」
 誰かの苦悶の声を、イルカは床の上で聞いた。
(誰かが、無理やり扉を開けたか)
 立っている忍は敵忍二人、それ以外の忍は、木の葉の忍達は床に倒れている。
 一番最初に襲撃を受けたのが、当然といえば当然かもしれないが、アカデミーの職員室だった。そのため、職員室は現在占拠されている状態で、部屋には毒が充満していた。
 扉を開ければ毒が溢れ出る。
 それは、数分で種類を特定したり、解毒を撒けるような代物ではなかった。
 敵忍の狙いは木の葉が隠している禁術の巻物のようだったが、アカデミーで彼らは個人情報をかき集めていた。もともと捨て身の作戦だということは、誰もが分かる。占拠したところで、この後は続かないからだ。
「ぐあぁっ」
 また、誰かの声がする。
 だが、それは木の葉の忍のものではなかった。
「な、何だっ」
 苦悶の声も、焦った声も。
 どちらもこの占拠された部屋の中。敵忍の声だった。
「…何だと言われても」
 彼らは倒れていることで、完全に油断しているようだったが。
 イルカの手には、千本があった。そしてその体は、毒に負けることなく軽やかに動く。
「遅い」
「な…ぜ……っ」
 千本で動きを止め、背後に回ったイルカがくないを刺さして笑う。
 何故?
 バタっと音を立てて倒れる敵忍の隣りに、千本で神経を切られて人形のように転がっている敵忍をみてイルカはうっすらと笑う。
「俺にとっては、こんなもん愛撫ですよ」
 そしてイルカは、仲間を救うため姿を消し、この突然の襲撃は半刻もせずに終焉を迎えた。




「イルカ先生っ」
 アカデミーの医務室に駆け込んできたのは、最近長期任務から帰ってきたばかりの元教え子だ。
「おいおい。何お前抜けてきてるんだ」
「抜けてないってばよ!超簡単な任務から戻ってきたらみんなさわいでっから…っ」
「そういや、外の奴はヒナタが捕まえたんだってな。早い解決だったなぁ」
「先生っ」
「なんだ。一丁前に説教するのか?ナルト」
 からかうようにいうと、ナルトは不満そうに頬を膨らませた。
 ナルトが上忍になって二年は経つ。
 子どもっぽい所は相変わらずだが、いい意味での素直さをもったまま大人になろうとする彼は、間違いなくこの里の希望の光を背負っている。昔からは考えられないことだが、それは今や誰もが認める事実だ。
「イルカ先生っ」
 そしてもう一人、ドアを壊しそうな勢いで駆け込んできた男がいる。
「先生、遅いってばよ」
 駆け込んできた男は、ナルトが自分の他に唯一『先生』と呼ぶ男。
「イルカ先生、大丈夫でしたか?」
「大丈夫ですよ」
 イルカは怒ったような顔で答えようと思ったが、結局は苦笑いのような顔になった。
 この男はイルカが幾ら文句を言っても、自分を心配することを止めない。今回位の話ならまだしも、本当に小さな傷でも男は真剣に心配をしてくる。
「…それより、カカシ先生任務はどうされたんですか」
「こっちに呼び出されました。まぁ、もう終わってましたが」
「里にいた上忍少なかったもんなぁ。先生どーせ寝てたんだろ」
 ナルトは笑いながら言う。
「んじゃ、俺ってば偉いから修理の方手伝ってくるってばよ。まだまだ働いちゃうもんねー」
「お前、疲れはもう取れたのか?」
「ばっちし」
 そういって少年のような笑顔で、にししと笑う。
 その姿は、とても優しい。
 扉へ消えていく姿を見つめていると、そっと手の上に自分と同じくらいの大きさの手が重ねられた。
「案外、役に立ちましたね」
 照れたように笑うと、カカシは少し眉を寄せる。
「怒らないでくださいよ。言いたいことは分かってますから」
 イルカは、男の手を握り締める。
 外から見れば馬鹿みたいなのかもしれないが、指先の小さな傷でも、生徒につけられた痣でも、男が心底心配をしているのを知っている。だから、それを安心させるためにイルカはいつも手を握る。
 イルカが強く握るのは最初だけだ。
 その後は男の手が、ちゃんと捕まえてくれないとほどけてしまう。今は、その手がすぐに力強く握り返されることもイルカは知っているけれど、いつも握り返されるとため息のように息が漏れる。
(ああ)
 長い間、掴むことを忘れていた手は、掴むとか、掴まないとか、そんな感覚すら奪われてしまっていた。
 里には、悪い遊びがあって。
 殺さない程度の、人をいたぶる遊びがあって。
 延々と続くその遊びに、何も持たないで生きることに男は何の疑問も持たなくなってしまっていた。
 今もその遊びは変わらず、結局そこにある。だけれど今は、イルカは笑うし、カカシも笑う。
「だって、あれが無かったら俺毒の耐性なくて今ごろ大変でしたよ」
「…分かってます」
 ぎゅっとカカシが子どものようにしがみ付く。
 年をとっても、この人は本当に子どものようだと、でもそれすらも嬉しくてイルカはぎゅっと抱き返す。
 あれから、もう何年かたち、紅に呆れられるようにからかわれているとしても、イルカはカカシを引き止めるのに必死で、カカシはイルカを失わないように必死だ。
「…もう、帰りましょう」
「やっぱり、分かりましたか」
「幾ら耐性があろうと、あんな強烈なのくらったら具合悪くなって当然です」
 言って、カカシは素早くマスクを降ろしてイルカに子どものような口付けをして、それから噛み付くような、深い口付けをした。
 毒をイルカが飲まされたときは、必ずカカシは口付けをしてきた。毒の残りをよこせと言わんばかりに口付けてきた。
 それは、カカシの無言の選択。
 辛いことも、死ぬことも、全部自分に分けて欲しいと、かなうならば先にくれればいいと思う弱さからの選択。
 それをイルカは許す。カカシが望んでいるのなら。
 だけれど、一人だけに背負わすことは同じようにイルカも決して許さない。
 イルカもカカシも知ったのだから。
 許すことも許さないことも全て自分次第だと。この世の全ては、自分次第だと。
 この世に、選択肢の無いものなど無いと。
「背負いますか?」
「ふざけないでください。大丈夫です」
「心配なんですけど…」
「大丈夫です」
 ナルトが笑うようになったのは、今のナルトがあるのは自分の影響だという人は多い。だけれどそんなことは無い。
 辛かったのも、大変だったのも全部ナルトで、今の未来を選び取ったのはナルトだ。
 自分達は、そう。
 紅のように、選択肢があることを気付かせてくれたような、ただのきっかけにしか過ぎないのだ。
「カカシ先生」
 扉をあける男の側により、抱きついた。
 一瞬目を見開いた男は扉を開けるのを止めて、イルカの腰に手を回す。
 部屋は、嘘のように静かだった。
 もしかしたら、何もかも嘘かもしれない。
 だけれど、自分は何もかも嘘だと思わないのだから、それで構わないのだろう。手の中には暖かい人がいて、外の天気はよく、大切な生徒達もがんばっている。
「好きですよ」
「俺もです」



 無言で暫く抱き合って、それから二人でゆっくりと扉を開けた。








END