脳裏に、死という言葉が浮かんだ。
仕留めそこなった男は手強い相手で、奇襲が失敗した今、逃げることが出来ないと直感した。
忍は、死と隣りあわせだと理解していた。
死ぬことが怖いと、思ったことは無かったのに。
(怖い)
思わず体に震えが走る。
だが、くないを構えた。
逃げるわけにはいかない。せめてもう少し傷を与え、そして自分の次に任される人へ、渡さなくてはいけない。
それが、自分に残された最後の仕事だ。
「……え」
ぶわっと風が吹いた。
横を見た瞬間、自分に襲い掛かろうとしていた男の姿が消えていた。
男が、逃げたわけではない。
ただ、首と胴が切り離されて、ただの人形のようになっていた。
「大丈夫?」
かけられた声に、我に返る。
まだ助かったわけではない。新たな敵がただ現れただけなのだ。
(騙されるな)
だが、隠れていた声の主は、すぐに姿をあらわした。
暗部の面をつけていることに、驚いた。そして同時に、味方だと分かり、心底安心する。
途端、緊張の糸がほどけ、足ががくがくと振るえた。
(でも、これは…暗部が出てくるような任務ではないはず)
そして、同時に自分ごときを暗部が助けるはずもなかった。
「あんた一人?それはちょっと難しかったでしょう」
そんな怪しむ思いを知っていたかのように、男はすぐに声をかけてきた。
側まできて、頭を触られる。途端にぽろりと涙が零れ落ちた。
「無茶は、しない方がいい」
それだけ告げると、銀色の髪をした暗部の男は姿を消した。
その姿は所々に血がこびりついていて、何かの任務の途中だと物語っていた。
「……あ…」
声が、出た。
指も、震えているが動く。
ようやく、今ごろになって自分が助かったことに安堵していることに気付いた。
それからじんわりと、死ぬほど怖かったこと、辛いこと、混乱してることを知る。
(強くなりたい…)
生き残るために。
この恐怖を二度と味あわないですむように。
紅は、ただそれだけを、その日、心に刻んだ。
上忍になる前日。
召集を受け、指定された薄暗い部屋に入ると、一人の男が立っていた。その男はかなりの使い手とすぐに分かった。
「里の遊びを知ってるか?」
告げられたのは、ただそれだけだった。
その後は、どこからともなく現れた忍に巻物を渡された。
上忍になり、昇給していくにはこの遊びに参加し、勝ち抜いていかないといけない。
それが今の里のシステムだった。
まだ紅は参加すら許されていない存在で、まずは誰か、参加してる人間を負かし、その権利を勝ち取ることからはじめなくてはいけなかった。
完全に権利を放棄するなと男は言う。
言われずとも、何故かそれは本能がするなと叫んでいた。だが、紅はぐっと奥歯をかみ締めその衝動を堪える。噂でそれとなく聞いてはいたものの、この本能の揺さぶりは強烈なものだった。
だが、理性では抵抗しようとも、もう巻き込まれたのだと知る。
負け犬にならないために、強さを維持していくために、生き残るために、もう戦いつづけるしかないのだ。
そのために、この目の前の男は、ありえない程の殺気もまとい自分を威嚇している。
参戦しなければ、この男達から何らかの形で処罰がくるのは目に見えていた。遠見のための水晶が、これみよがしに置かれている。
(誰を、狙うか)
紅の考えがすぐに伝わったようで、男は満足そうに、だけれど皮肉を表現するように微笑んだ。
「楽しんで、遊べ」
ルールは、ただ遊びに関しては、孤独であるということだと男は告げた。
(これだけ、威圧をかけておいて、それだけがルールというの)
馬鹿らしい。
だけれど自分は。
(強くなりたい)
その思いは本物だ。そのためには、強い者と戦うのが一番てっとり早いということも、知っている。
だから、紅は参戦を難なく決意した。
そして、まずは権利を得るために、真夜中に上忍を偵察する。権利を持っている上忍の情報は、上忍の中ではある程度の力があれば、すぐに分かるようになっていた。
「……あ」
偶然だった。
予定していた男と、違う人物を通りで見かけた。
銀色の髪をした、男。
昔より当然だが背も伸びていて、その瞳は深い色をしている。
のんびりとした姿は無防備で、だからこそ男の強さを物語っていた。
しかし、男は任務帰りのようでわき腹に傷を負っている。それの手当もろくにせず、男はのんびりと夜道を歩く。
(あ)
気付けば、自分の他にも気配があり、その気配が歩いている男に向かって動く。
男はそれを難なく避け、そして逆に襲い掛かってきた人物を打ちのめす。
男は本当に強かった。
それから数日、紅はただ男を見張った。
すると、あの手この手を使い色んな上忍が男を狙ってやってくる。または、どこかのコマ達が男を狙ってやってくる。
縋りつく女は刃を隠している。
決死の顔で近付く男は、相打ちでもいいと命を捨てて飛び掛ってくる。
男は、それらを全てかわす。
風で吹き飛ぶ木の葉を避けるように。
だが、男は誰も殺さない。吹き飛ぶ木の葉を掴まない。それを集めて、捨てることもせず、流れのままそれを放置する。
その姿は、まるで。
(なんで、誰も気付かないの――)
生きていても、死んでいても同じだと瞳が訴えていた。
死んでもいいと、男の全身が物語る。
辛いものばかり見すぎて、敵意ばかり向けられる男はもう疲れているように見えた。
かさかさに乾いた木の葉のように、涙も潤いも全てがもう男から遠く見えた。
(何故っ)
辛い。
痛い。
切ない。
銀色の男は、倒れた男を切なそうに見つめ、言葉をかけることをためらい背中を向ける。
紅は、きつくクナイを握り締めた。
あの日、この男に救われた命だ。
飛んで散る運命だった自分の命をわざと引き止めてくれたのは、この男だ。
それなら、今度は自分が。
「見てなさい」
紅は呟いて、その場から姿を消した。
紅の日課は、任務が無い日は銀髪の男の跡をつけることだった。
多分本人にも気付かれているだろうが、男は何も言わない。それを怪しんだこともあったが、アスマに「あいつはそういう奴だろ。全く気にしてねぇよ」と言われ、それを信じることにした。
本当は、この忠告をくれる男と並び立つのが夢だった。
中忍になり、銀色の男に命を救われたときも、無理をして難易度の高い任務を受けてしまったときのことだった。
早く上忍になりたいと思っていた。実力が伴わないと意味が無いというのに。
(焦っちゃいけない)
だから、本当はこの手を取ることに躍起になりたかったが、紅は銀色の男を追う。
アスマには何も言わないのに、たまに男はフラリと食べ物を持って張り込む自分の側へやってくる。
どちらにしろ遊びの話だ。幾らこの男といえど、口外することは出来ない。
「面白いか?」
(まさか)
紅は心の中で即答した。
連日の張り込みに、通常任務で紅の体は疲労はピークに達している。だが、それでも紅はただ張り込み、そしてアスマは側にいた。
そのかいあってか。
ほどなくして、紅は幸運にたどり着いた。
男が、微妙に関心を持っている人物を見つけることが出来たからだ。
そんな人物がいてよかったと。紅は心底安堵する。
だが、どうして幸せになれるのか。
男はいつ死んでも構わないと思うがゆえ、欲が無い。そして、だからこそ男は、その人物に近付かない。風に飛ぶ木の葉を、一枚だけ特別に捕まえることはもうできないのだ。捕まえてしまえば、捨ててきた木の葉達を思い出してしまうと、どこか無意識に男はただ、遠くからその黒髪の男を見つめる。
(どちらにしろ)
あの遊びに参加している限り、男の身に安息など来るはずが無い。
男もそれを知っているから、多分余計、その関心の元へは近付かない。
「馬鹿じゃないの」
「馬鹿なんだろ」
「馬鹿すぎるわ…っ」
声を荒げたら、涙がこぼれた。
悔しいのか、辛いのか、悲しいのか切ないのか。
自分のことなのにわからない。アスマの手が頬から落ちる涙を拭う。
(生きて欲しい)
それは、銀色の男にとって辛いことなのだろうか。
(なんとしても、……掴ませてやる)
無理矢理、自分の命を救った男に。
そのためになら、自分が代わりになって構わない。この里の醜悪な遊びの舞台に立って、男の代わりにこの里で一、二を争う標的となっても構わない。
自分にとって、戦うことは苦ではない。
だから、紅はとうとう遊びに参戦した。
銀色の男を負かして、この遊びから引きずり落とすために。
|