「イルカ先生ってば、どうしたんだよ」
かけられた声に、はっとした。
「最近すんげぇぼーっとしてるってば」
「気のせいだろ」
「麺のびてんのに?」
「考えことしてんだよ」
慌てて伸びきってしまった麺をずずっとすすった。
久々の濃い味がじんわりと、胃に染みる。
(ナルトにおごりと言われちゃな)
食べないわけには、いかない。
だが、最近イルカは朝食以外の食を断っていた。
生きなくてはいけないことは事実。
だけれど、カカシを自分が殺そうとしているのも事実。
それならと、イルカは生きるために必要最低限の食以外、摂取するのを止めた。
「カカシ先生がさ」
突然でた名前に、一瞬体が震えた。
「……カカシ先生がどうした?」
「最近妙に機嫌がいいんだってばよ」
あの機嫌をイルカ先生に分けてあげたいって、と少年は箸を振り回して叫ぶ。
「箸を振り回すなよ」
「だーっ!そういう話じゃないってば!」
「分かってるって」
イルカは笑ってナルトの頭を撫でた。
その仕草に最初ナルトは不満そうに横を向いたものの、手を振り払うことはしなかった。
「早くカカシ先生みたいに立派な忍になってくれよ」
「けど、カカシは生きてる感じがしないわよね」
突然聞こえた声に、ビクリと体が震えた。
ナルトがあ!と言って立ち上がり、何かを喋っている気がした。
手が震えた。だが振り向かないことは不自然だと、ゆっくりと、イルカは振り返った。
立っていたのは、アスマとそして紅。
「…こんばんは」
「おう。また先生はラーメン食ってんのか」
「ナルトに誘われまして」
「あー!ひでぇってば。いっつもはイルカ先生が誘うじゃんかっ」
騒ぐ生徒の隣りにアスマが、イルカの隣りに紅が腰掛けた。
「うふふ。本当あなたの生徒って感じね」
「…そう、ですか」
「生きてるって、全身で訴えてる感じとか」
「あー確かにな。で、カカシの生徒って感じはあのうちはのガキだな」
アスマが少し笑って言う。
それに紅が何かを返す。だが全てはイルカの耳を素通りしていく。
紅の口に目が行く。
動く、唇。
いつもよく耳に残る声を、囁いていく。
暗闇の中。
それはまるで、呪いのように。
「先生、聞いてる?」
「あ、いえ!」
「おいおい」
イルカが思わず即答してしまった答えに、アスマとナルトが笑う。
それから、みなで店を出たとき、最後に紅がイルカの背中に声をかけた。
「あいつは、生きてる感じが本当にしないのよ」
それは、ごく普通の聞き逃してしまいそうな声だった。
扉を開けると、気が沈んだ。
本当はもう何も作りたくない。だが、あの人は夜にやってくる。そして必ず、何らかの食べ物をねだるのだ。
重い足を動かし、台所にたつ。
瓶の中身はまだ半分以上残っている。
(……あと)
どれくらい、日数が経てばこれは無くなるのだろうか。
バレるのが怖くて、最初は、一滴しかいれられなかった。
バレてからは、余計怖くなり一滴しかいれられなかった。
それをカカシは優しく笑う。
「もっといれていいのに」
そしてそっと抱きしめてくる。
「辛いね」
そういって、唇を耳元に寄せてくる。
泣くことは許されない。だけれど、縋り付いて殺してくれといっそ叫びたくなってしまう。
「目を瞑って」
目を覆い隠され、耳元で囁かれる。
「悪いことは、忘れちゃいな」
抱きしめられて、全てから切り離されて、それでも泣いてはいけないとだけ強く思う。次、泣いてしまえばもう自分は取り戻すことが出来ない。それが何か分からないが。
「イルカ先生?」
声に、ゆっくりと振り向いた。
もうそんな時間だったかと、イルカはただそれだけを思った。
暗い部屋の中、銀色の髪が、月明かりで綺麗に輝く。
(そういえば、誰かが)
死神のようだと言っていたと、思い出した。
だけれど、自分の死神は。
『あなたの一番大切なものを』
声がする。
一番大切な者。
言われれば、それはナルト。
一番大切なもの。
それは、目の前の男の命だと言ったら、目の前の男は笑うだろうか。死神は知っていて、だからあんなにも笑っていた。
断れるわけはない。
危険にさらされると分かっているなら、関わらずにはいられない。自分は拒否をしようが、結局この男に危険は及ぶ。
それに。
勝手に大切に思っていたそれに、直に。触れられるならば、触れてみたかったのかもしれない。
顔が歪む。
それを心配したのか、男の手が伸びる。ひんやりとした手。
『生きてる感じがしない』
そう言っていたのは、本当だと分かっている。
何故、紅があんなことを言ってきたのかは分からないが、目の前の男はもう、生きることと、死ぬことの境界が曖昧すぎる。
危険な程。
望みが無いと、思える程。
「あなたは…死ぬつもりなんですか」
「まさか」
カカシは目を見開いて、それからそっとイルカの唇に触れた。
「黙って」
(そういって、俺を誰からか守る)
「先生、今日のご飯は?」
(そういって、あなたは死に急ぐ)
無駄に優しい。
そして、無防備に死に近付いていく。
「カカシ、先生」
「……はい」
名前を呼ぶと、ひどく心が痛んだ。
「俺は、カカシ先生が好きなんです」
「はい」
「本当に、好きなんです」
「はい」
カカシはずっと同じように笑う。
耐え切れず、とうとう涙がこぼれた。
こんなことなら、信じてもらえるうちに、否定されても信じてもらえるうちに言ってしまえばよかった。
望みを持っていなくとも、欲しがらなくとも、伝えることなら、幾らでもできたのに。己が傷つくのを怖がっていたが、今ならその方が100万倍ましだと言うことができる。
そして同じくらい、思う。
(この人がもっと、もっと―――)
ひどい人で、自分なんかでは落とせないような人なら、よかったのに。
もっと怖くて、頑なで、女しか駄目な人だったなら。
この遊びは永遠に、続いた。
自分の精神が、耐え切れず壊れるその日まで。
「あなたは、任務以外で人を殺せますか?」
「殺して欲しい人がいるの?」
「居ます」
イルカは答えて、涙を拭うために伸びていたカカシの手を、ぎゅっと握った。
「俺を、殺してください」
「…え?」
「そうすれば、もう全て……」
終るから。
その言葉は口に出せなかった。
突然ぐらりと視界が揺れて、イルカは倒れた。
そういえば。
(抜けることは出来ないって)
言われていた。
言っていた。
言われていた。
誰に。
いつ。
(ああ、でももう関係ない)
目を閉じる瞬間、カカシのひどく驚いた顔が見えて、それからくしゃりと歪み、カカシの手が伸びてくるのが見えた。
(どうせなら、あの手に殺される方が、まだよかった――)
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