「こんにちは」
挨拶をして扉をあけると、暖かい食事の匂いがした。
「…ちょうど、今作り終わったんです」
「ありがとうございます」
笑うと、イルカは少しだけひきつった笑みを見せた。
(これで、この人は上手く笑っているつもりなんだろうね)
普段、あんなにも気持ちのいい笑顔を見せているのに。
ごめんね、と内心でだけ呟いて気付かぬふりをして靴を脱ぐ。
あの日、カカシがイルカに「知っている」ことを告げて以来、変わったとすればたまに見せるイルカの動作くらいだ。今日のような、ひきつった笑み。
それでもイルカはお浸しと、味噌汁を先に、それから白いご飯をよそい、カカシがいつも座る席の前に並べていく。
「美味しそう。イルカ先生、料理上手ですよね」
「大雑把ですよ」
「大雑把でも美味しいならいいじゃない」
優しくいうと、イルカはすぐに言葉に詰まる。
「じゃあ、頂きます」
「はい」
イルカは礼儀正しい。
多分、いい両親に恵まれていたのだろうとカカシは思う。
大雑把でも「正しい」とか「ちゃんとする」ということがどういうことなのか、イルカは知っている。自分と違って。
(…なるほど、ね)
一口食べて、理解した。
イルカの手が微かに震えていることや、視線がいつも以上に合わない理由。
みそ汁から、明らかに食べ物ではない味がする。
多分普通の人間ならだませる程度のものだが、悲しいことに幾度となく死線にたった自分には分かってしまう。
(また、微妙な毒を渡されたもんだねぇ)
この毒で死ぬ人間は、ほとんどいない。前回、イルカが持っていた薬よりも劣る、おもちゃのような毒。
蓄積されて初めて効果を出すが、こんな少量づつの摂取で体内で蓄積することは難しい。
ふと気付くと、イルカの顔色はどんどん青くなり、泣き出しそうになっている。だから、カカシは一度茶碗を置いた。
そして優しくイルカに手を伸ばす。
「言ったでしょう」
イルカは抵抗することなく、カカシが触ることを許す。
「あんたを側に置くって。だから、心配しないでいいんです」
イルカは無言のまま、下を向き首を振る。
(何て言えばいいんだろう)
安心させるためには、何を言えばいいのか。
もっと何もかも話てしまえば、イルカは安心するのだろうか。
(けど)
話をすることは、できない。
それは、唯一遊びをしかける側に定められたルール。
『遊びを仕掛ける者は、常に孤独であること』
標的を、目的を、断片ではなく全てを開示することはしてはいけない。
しかもそれすら。話せるのは、自分のコマに対してのみだ。
コマはあくまでも、ただの自分の手足であって、「頭」では無い。指示を与えるだけでいい、弄ぶ存在。
その弄ぶ存在を助けるようなことを言ったが、あの程度なら問題ないということなのだろう。
騙し騙され。
言葉遊びの範囲と思われたのかもしれない。
(でも、まさかこの人が選ばれるなんて…ねぇ)
この遊びがある理由も、カカシはそれなりに理解しているし、納得もしている。
上忍として、里を戦力として守るものとして、里でも常に気を張り、備えることは必要だ。馴れ合いは必要ではない。常に探り、成長することが必要とされる。
(けど、この遊びには…始まりしかない)
終わりが無い遊び。
幾つかの終わりかを知らなくは無いが、それはどれも最悪なものだ。
平和な終わりも無く、抜けることも出来ない。
むやにコマを殺したり、開放したり。また、遊びを放棄すれば。
これを監視している者から必ず遊んでいるものも、コマも制裁を受けるだろう。
(そして、今だってどこかで監視されているかもしれない)
「美味しいですよ」
囁くと、イルカは更に強く手を握る。
(だけれど、多分監視は分かっている)
紅の作戦勝ちだと、多分思って見ているはずだ。
「どうしちゃったの?イルカ先生。でも先生は具合悪そうだから、晩御飯食べないでね」
とうとうイルカの瞳から、涙が零れ落ちた。
(あ)
見たいな、と思う。
涙が零れ落ちるところを、見たいと思う。
だけれどイルカは顔を上げない。だから、イルカの隣りにぴったりとくっつき、ご飯を食べた。
イルカが作るご飯は、とても美味しいのに。
それをどう伝えればいいのか、今ひどく自分は困っている。
目の前の毒よりも、常に狙われている現状より、今任されている任務より何よりも、どうすればいいのかと、カカシはそれだけを思っていた。
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