対 2  


「男っぽい性格だと思うんだよねぇ…」
「イルカ先生はすっげぇ怖いってばよ!」
「それはあんたが先生を怒らしてばっかりいたからでしょっ」
 カカシの頭に浮かんだ言葉は口から漏れていたようで、3人の生徒たちは、それぞれ好き勝手に元担任の男の話をし始める。熱血よね、とかラーメン好きだってばよ、と。それはもう楽しそうに関係ない話を、サスケも少しながら口を挟みながら話す。
 カカシはそれを聞き流しながら、昨日見たイルカを思い出した。
 受付にいるときとまるっきり雰囲気が違う、どこかの男娼のような態度に雰囲気。
 咎めながらも、どこか甘さを含んだそれ。自分を上忍だと分かりつつも、叱ってきたあの人が、あんな風に男に肩を抱かれるとはどこかしっくりこなかった。
(別に関係ないんだけどさ)
 と、締めくくりたい気持ちは山々だったが、素直にそう思うことをは難しかった。新鮮だったのだ。上忍の自分を怒る男。それはまるで、過去、自分が教えを受けた『先生』を思い出すようで。
 その頃にはまだ感じられた何か大切なものがあったことを最近ぼんやりと思い出す。暗部から足を洗ったきっかけも、そんな曖昧な記憶からだ。感じられなくなった何かを探したかった。そして、そのヒントが、どこか『イルカ先生』から感じられると思ったのかもしれない。
「ま、明日も遅刻するなよ」
「それは先生だってばっ」
 騒ぐ子ども達を後にして、カカシは受付へと向かう。朝はイルカの姿は無かった。この時間も、イルカはいないのだろうか。そんなことを思いながら、受付に足を踏み入れた瞬間、カカシは視界に捜していた人物を捕らえる。その思いは思わず声になり表れてしまった。
「イルカ先生」
 だからといって、その声はそんなに大きいものではなかった。
 だが、イルカは同僚と話をしていたにも関わらず、カカシの声に恐ろしい勢いで振り向いた。その反応に思わずカカシの方が驚く。
「お疲れ様です」
 一瞬にして、イルカの表情は和らぎ、笑顔になる。鋭い視線の欠片も無い。
 同僚に小さく何かわびのような言葉を言ってから、イルカに促されカカシはイルカの前に立つ。
「先日は失礼しました」
「え」
「同僚にも、イキナリあんな言い方するなって怒られました」
「あ、え、あぁ」
 そっちのことか、とカカシは思わず早くなった心臓の音を静めようと息を吐いた。
 イルカはそのまま書類を確認し始め、カカシはただじっとイルカを見た。
 乱雑にまとめられた髪、今下を向いているため顔は見えないが、特に綺麗とか秀でてる訳ではない顔立ち。
 先日のことからいっても、常識のある人なのだとカカシはぼんやりと思う。
(っていうか、常識を大切にしてる、ってのかねぇ)
 自分たちは忍で人を殺す。それなのに常識があるという言い方は変だし、そんな奴は怪しいだけだ。
 そんなことを言っていた子どもの頃の自分は可愛くないのかもしれないけれど、それを聞いた四代目は確か大笑いした。
 それは常識を大切にしてるんだよ、と。それが分からないお前は子どもだと笑いながら言われたことは妙に鮮明に覚えている。
「イルカ先生って常識ありそうですよね」
 どんな反応が返って来るのだろうか、という気持ちも働きカカシは思いを口にした。
 イルカは露骨に眉を寄せて顔をあげた。
「は?」
「常識。ありますよね?」
「カカシ先生と同じくらいです」
 確認するように問い掛けるカカシにイルカはあっさりと答える。
「無いってことですか?」
「何言ってるんですか。先生だって常識あるじゃないですか」
 言ってイルカは軽く笑った。力強くもある笑みだった。
「…へぇ。俺、常識あるって言われたの初めてです」
「十分ですよ。前に一度、カカシ先生に注意したのと同じようなことを注意したら、殺されそうになりました」
「……それと一緒にされても」
 言い方が面白かったのか、真面目な顔で答えていたイルカがすみません、といいながらもまた笑みを見せた。
(いいなぁ)
 笑みを見ることは、大切なことだと思う。ぼんやりとしていた記憶の中には、多分こんな風な笑みが含まれているのかもしれないと思った。そして、また自分がずっと里の何を守るために戦っていたのかも今ごろになって、はっきりと感じた。
 だから。似合わないとも思う甘い暖かさを感じながら、カカシは先日見た姿は見間違いだったのだと思うことにした。


 カカシは繁華街を歩くことが好きだった。
 賑わう道は、人の生を強く感じさせる。暗部の頃は、よく任務に出る前にこの道を歩いた。もちろん気配を殺して、誰にも気づかれないように。
 今はさほど気遣うこともなく、だけれど相変わらず目的もなくカカシは歩いていた。
(腹減ったし…何か食っていくか)
 カカシはそのまま帰るのを止めて、なじみの店へと足を向けた。こざっぱりした店は、客との適度な距離を知っているからカカシは気に入っている。
 店に入り、適当に頼みそのまま食べていると、耳が声を拾った。
 賑やかな店なのだから声が聞こえることは可笑しくない。だけれどカカシの耳が敢えてそれを意識するように拾ったのは理由があった。
「まさか」
 二階から足音がする。階段を下りる音がする。
「大丈夫ですか?もう少し何か食べられた方が…」
「うっせぇな。いいっつってんだ。面倒くせぇんだよ、てめぇ」
「そんなこと言わないで下さいよ」
 ぞくり、とカカシの背中が震える。
 誰の声だ。あの女みたいな声を出しているのは誰だ。
 カカシは手のひらが汗をかいているのを感じた。任務の前だって、任務の最中だって、こんなことはなかった。
「んあ」
 階段を降りきったとき、男が視線に気づいてカカシを見た。男は、カカシに気づいて口の端をあげる。
 カカシは自分の目が、その時初めて険しくなっていたことに気づいた。
「へぇ」
 男は、後ろを歩いていた男の手を取った。
 手を取られた男は振り払うこともなく、まるで自然だというように何も言わなかった。だけれど、男の視線の先が気になったようで、振り返る。
「イルカ先生……」
 呟きは喉に張り付き、声にならなかった。
 夕方受付で会った人と同じ人物。だけれどその顔は、他人を見るように自分を捕らえている。確かめないといけない。反射的にそんなことを思った。
 ゴクリ、と唾を飲む音が耳に響く。搾り出すようにして、カカシは言葉を発した。
「あの」
 予想以上に大きな声に、カカシは自分で驚く。イルカは別に動揺した仕草を見せない。上忍の男は、性格の悪そうな顔をにやにやさせて、カカシを見ている。反吐が出そうなタイプだとカカシは思うが、それでも今は近づかなくては話ができない。
「誰です?」
 カカシが口を開く前に、イルカが隣の上忍に問い掛けた。
「ああ。おめぇはしらねぇだろうが、そりゃゆぅぅぅめいな、忍様ってやつだ」
「何言ってるんですか。あなただって十分強いでしょうに」
 言ってイルカはそっと男の体で自分の姿を隠すようにぴったりとくっついた。
 カカシはぐわんぐわんと頭の中が鳴るのを感じた。イルカの腕が、上忍の男の腕に絡んでいる。
「あ、あの」
「ねぇ、もう行きましょうよ」
「ま、そうだよなぁ。お前俺以外には興味ねぇもんなぁ」
 ことさら俺、を強調するように告げると、上忍とイルカはそのまま店から姿を消した。カカシは呆然と立ち尽くしたままだ。
 どうしよう、どうするべきか。
(関係ないけど…いや、でも関係あるような)
 混乱して頭の中が整理できない。イルカのプライベートに口を挟むつもりもない。だがあれはなんなのか。
 自分を知らぬふりをして、忍の匂いを全てたっているあの人は。
 恐らく、受付にいる顔でも、アカデミーで教師をしている顔でも無い。
「訳わかんない……」
 呟いた声は元気が無くて、ショックを受けている心をカカシは隠しきれなかった。


 朝が来ると、カカシはいっそのことハッキリさせようと、受付に駆け込んだがイルカはいなかった。
 最近どうやらイルカは朝のシフトを入れていないらしいとその場にいた同僚が教えてくれた。
「なーんだ。だから最近朝会えなかったのか…」
「あんたもいい加減先生離れしなさいよ」
 サクラの言葉にナルトはうっと言葉を詰まらす。
「で、でも違うってばよ!最近イルカ先生変なんだってばよ」
 そのナルトの声に、普段は子ども達の騒ぎなんて放っておいて本を読んでいるカカシが反応した。
「何、イルカ先生変なの?」
「変っていうか………」
「ウスラトンカチが」
 言いよどむナルトにじれたようにサスケが後ろから蹴りをいれる。今は任務中で、台車を運んでいる最中だ。ナルトの手が止まると、みなが止まらなくてはいけない。あっという間に、サスケのけりが原因でいつもの騒ぎが始まり、結局は任務が終わったのは日も沈む頃だった。
「カカシ先生」
 だが、任務が終わり、解散をカカシが告げたとき、カカシが声をかける前にナルトがそっと寄ってきた。
「イルカ先生、最近変なんだ」
「昼間も言ってたっけ、それ」
「本当に変なんだってばよ!!嘘じゃないってばっ」
「あーいいからひとまず話してみなさいよ」
 カカシは本をポケットにつっこむと、そのままナルトを促すようにゆっくりと歩き出した。
「イルカ先生、最近怪我してるんだよ」
「怪我?」
 忍として、それはさして珍しいものではない。
 だが内勤のイルカが怪我をするのは、ある意味珍しいのだろうかとカカシは考える。
 カカシはそこで、そもそも受付の忍が任務を請け負うのかどうかすら知らないことに気がついた。しかし、下忍担当の自分がつかないのだから、教師と受付の任務をこなすイルカは任務をしていないだろうと思う。そうなると、あの夜の姿は任務ではないということになるのだろうか。
 思わずそんな自分の考えに入りかけてしまったが、ナルトの声で我に返る。
「怪我っていうか、痣みたいな…それも服で隠れる場所ばっかなんだってば……あれって任務なのか?そういう任務ってあるのかよ?」
「まぁ任務によるだろうけど…何、その痣ってのは」
 ナルトがポツリポツリ話したことは、驚くとうよりも曖昧な謎を残す話だった。
 アカデミーで出会ったきに、ナルトはいつものようにイルカに抱きついた。その瞬間、一瞬だけイルカの体が強張ったことを感じ、ナルトは思わず服をめくり、そしてまるで殴られたかのような痣を見た。それは腕にも、手首にもくっきりとついていた。
 だが、それについて幾らナルトが聞いてもイルカは笑うだけで何も答えなかったらしい。
「そのうえ、最近全然会ってくれないんだってば……」
 しゅん、と下を向いてしまった金髪の少年の髪をカカシは反射的に数度なでた。
 妖狐を体に封じ込められ、忌み嫌われていた少年の話はずっと暗部にいても聞いてた。特にマイナスの感情を抱くことはなかったが、さしてカカシは関心が無かった。
 だが生徒に彼らを持ち、カカシは思わずこうして手を伸ばすような気持ちを知った。
 イルカがよくナルトの頭をなでたり、説教をしたり、拳骨しているのを見ていたからかもしれないし、ああいう風に触れるのがいいんだと、どこかで頭が判断していたのかもしれない。自分も少しの間だけだが、そうして触れてきた人がいたことをぼんやりと思い出していたのかもしれない。
「ま、忙しいだけでしょ」
 カカシがそうまとめると、ナルトはきっとカカシをにらみつけた。
「…まぁ一応聞いてみるから、今日はさっさと帰りなさい」
「……絶対だってばよ」
「あー絶対絶対」
「………」
 明らかに信用できない、という瞳を向けられつつもカカシは無理やりナルトを返し受付へと足を踏み入れた。
 すぐにイルカの姿を確認すると、カカシはイルカの前に並んだ。二人ほど並んでいたが、別にそれは気にならない。
「お疲れ様です」
 カカシの番が回ってくると、イルカはいつものように挨拶をしてきた。カカシも釣られるように頭を下げる。
「あの、ちょっと聞いていいですか」
「カカシ先生に関係あることでしたら」
 怒られているわけではない。だけれどハッキリと壁をつくられた気がした。
「ああ、なら大丈夫です。最近夜、あなた何をしてますか?」
「カカシ先生に関係あるんでしょうか」
「ええ。部下が1人、とても気にしてるんで」
「それはすみませんでした。今度ナルトに言っておきます」
 イルカはさらさらとそのままペンを走らせる。明らかに、今までと違う受け答えだ。
 その姿にカカシは苛々するのを感じていた。幸い今この部屋には、自分達の他誰もいない。同僚がさっき席をたったのはカカシも見ていたし、さっきの忍達はもう出て行った。受付を待っている人物も居ない。
「俺には教えてくれないんですか」
「関係ないことですから」
「関係ありますよ」
 断言してカカシはイルカの手首を握り締めた。弾けるようにイルカの顔があがる。
「俺はですね、苛々してるんです。あの男といるあんたを見てから苛々している。だから大いに関係があるんですよ」
 イルカの顔が困惑している。
「なんで、あんたはあんな男にくっついてるんですか」
「誰のことですか」
「名前は知りませんよ。ですが、そこまで言って欲しいなら調べてきます」
 カカシはぱっとイルカの手を離し背を向ける。
「ま、まってください!」
 だがカカシが受付から姿を消す前にイルカの声がカカシを止めた。
 カカシとて、もとから素直にイルカが話をしてくれるなら、姿を消す必要は無い。だからゆっくりとイルカの方を向いた。
「……本当に、カカシ先生には関係ないことなんです」
 イルカの顔から、表情が消えていく。そのことに、妙に心臓がどきどきとした。
 それはまるでこれから何か怖いことが、惨事があることを第六感が感じ取っているような鼓動だった。イルカの口が開くのが、異様にゆっくりに見えた。
「俺は、男の人が好きなんです」
「え」
「男が、好きなんです」
 自分で聞きなおしたくせに、即答された瞬間答えが体に染み渡った。ガン、と鈍い衝撃を感じる。それが何故とは説明できない。あの笑顔が頭の中をよぎる。真っ直ぐな姿勢が思い浮かぶ。そして同時に言い訳のように、男同士が珍しいことではないとか、長期任務にでれば肉体関係を持つことはよくある話だとか、自分だって抱いたことがあるとか、色んな言葉が浮かんだ。
「これで解決したんではないでしょうか」
 イルカに言われて、カカシは口を開いたが、言葉は何も出てこなかった。





NEXT