対 1  


 カカシの、その日の任務自体は簡単なものだった。
 暗部を抜け、下忍担当となった今、基本的にそれ以外の任務を受ける必要はないが、今回久しぶりに人手が足りないようで、カカシにも別の任務が回ってきた。暗部の頃は、内容に対して拒否権は無かった。だからつい、今回も中身を確認せず、先に任務を引き受けた。
(暗部のやつより面倒くさいね、こりゃ)
 だが、カカシは今そっと、ばれないようにため息をついていた。
 遊びかと思う程簡単な任務らしきものが終了した今、本来ならとっくに姿を消している頃だ。だが、依頼人の用意した席に付き合うことまでが任務の仕事がたまにある。
 今回の任務は、引き受けてから知ったが、そのタイプのもので、カカシは再度ため息をつきながらも、運ばれてくる料理を口に入れていた。
 席は決して静かではない。多分今回の仕事が成功することに、何か関係があるだろう者達が一堂にそろっている上、カカシのように手助けしたものまで呼ばれている。依頼人の評判が悪くなかったのは、もしかしたらこのような席を毎回準備し、自分たちのような影の部分にまで労わろうという心を見せているからなのだろうか。
(でも面倒臭いし、顔見せないといけないから嫌なんだよねぇ)
 最も今は暗部ではないから、カカシとて過去よりは気が楽だ。だから一応こうして酒を飲んでいる。
 ふと隣を見ると、一緒に任されていた木の葉の忍は、まるで自分の職業すら忘れたかのように飲んで騒いでいる。忍のなかにはこういう場を専門として引き受けている奴らもいる。情報を収集するには、裏の奴らが集まるいい機会だからだ。
(そろそろいいかね)
 カカシは隣の男が完全に場になじんだことを確認して、そっと腰を浮かす。
 そのまま襖をあけて外にでると、ひんやりとした風が気持ちよかった。
「ったく、なんだってんだ!」
 だが、その風に乗り聞こえたのは、名のしれわたるこの店には似あわないものだった。
 声は大きく、気配も近づいてくるが足音が聞こえない。その男の後ろを歩いている人物の足音はみし、みしっとカカシの耳によく響いた。
 忍の多い店だと思いつつも、それもしょうがないと納得させる。
 高級という名がある見せはそれだけで近づく人数は減る。その上、個室で、教育が行き届く仲居がいる店は忍にも、その忍雇うような人物らに重宝されるのは仕方が無いといえば仕方が無い話だからだ。
「…あまり声をあげますと、他に迷惑がかかりますよ」
「うるせぇっ」
 バシャ、と何か水が弾ける音が響く。
「やだねぇ…」
 思わずカカシは眉を寄せる。
 会話を聞いているだけで不快な気持ちになってくる。ここは里の中だ。殺伐とした場所でもない。なのに何故敢えて、そんなに殺気を立てるのか。
 カカシは気配を消したまま、どんな男が通るのか顔だけでも見ようとした。
 磨かれた廊下は、カカシの正面で別の廊下と繋がる。
(…よりによってうちの忍かよ)
 見えた顔は、数回しか見たことはないが、木の葉の里の忍、しかも多分上忍だった。しかも酔っ払っているようで、片手には酒の入った碗を持っていた。
 だがカカシは次の瞬間呼吸を止める。
 明らかに一般人のように足音を立て、覇気の欠片も見せず、その男の後ろを困ったような顔でついていたのは、カカシが知っている人物だった。
「え」
 慌ててカカシもその廊下に向かう。
 音に気づいたのか、歩いていた上忍と、そしてその後ろを歩いていた男がカカシを振り返る。
 上忍の男はカカシを見知っているのか、もともと怒りを含んでいた顔を更に険しくした。明らかに「気に食わない」とその顔は語っている。
 だがカカシはそんな男はどうでもよかった。
 カカシの瞳は、上忍の後ろにいる男を見たまま動かすことができなかった。それに上忍の男は気づいたようで軽く鼻で笑う。
「もう女にゃ、飽きたんですかねぇ」
 わざとだろうが、下卑た言い方だった。だがそれにカカシが何かを思う前に、やんわりとした男の声が響いた。
「止めてくださいよ、そんなことを言うのは。…ほら、急ぎましょう」
 男は、そのまま上忍の肩を軽く押す。上忍はカカシがつれている男に興味を持っていることを分かったからか、わざと肩を抱くようにして歩いて行った。
 カカシはとうとう一言も発せられなかった。
 一体どういうことなのか。もしかして任務ということもある。
 色んな考えがぐるぐると頭の中を回る。
「イルカ先生……」
 どこかの部屋から聞こえる、楽しそうな笑い声が耳に響いた。



 カカシが暗部から足を洗ったことを一番最初に実感したのは、受付を使うということだった。
 暗部は火影の直属のため、受付を使わない。だからアスマから「受付行ったか?」と言われた瞬間、軽い驚きとともに、もう自分が暗部ではないことを再認識したのだ。
 言われて初めて行った受付はさっぱり勝手が分からなかった。分からないものの、さしてこの受付に何の意味があるのか分からずカカシはその場を後にした。
 だが、その日の夕方だ。
「何をしてるんですか」
 思い切り、顔をしかめた中忍に注意を受けたのは。
「はぁ」
「はぁ、じゃありません!受付は、任務に行く前によることと教わらなかったんですかっ」
 教わらなかったんですか。
 思わずカカシはその言葉を頭の中で反芻した。
「いえ、あの。…はぁ」
「言い分があるならさっさと言って下さい」
 きっぱりとした態度に、言葉を奪われていた。ついでにいえば、思考回路もだ。
 だから促されるままに、カカシは朝思ったことをそのまま口にした。
「いえ。朝混んでいたので…それにまぁ別に寄る必要はないかなって」
「あーっ、カカシ先生ってばイルカ先生に怒られてるってばよっ」
 響いた声に、カカシは振り返る。
「なんでお前がいるのよ」
「声が聞こえたんだってばよ」
 生徒になったばかりの少年は楽しそうに笑う。
「イルカ先生怒らすと怖いんだぜ」
「お前なぁ…勝手に人の話に入ってくるなって何度言えば分かるんだ」
 唸るような声を出したのは目の前の人物で。ようやく今ごろになって、カカシはナルトが自己紹介の時にも名前を出していたイルカ、という人物がこの目の前の男だと知った。
「まぁいい。ほら、お前は外にでとけ」
「えー」
「じゃあ校門ところで待ってろ。あと30分くらいしたら終わりだから」
「よっしゃー!じゃあ一楽だってばよっ」
 ナルトが騒ぎながら走っていくと、その姿に何かぶつぶついいつつもイルカは立ち上がっていた腰を下ろす。
 それから改めてカカシを見つめた。
「すみません。騒がしくしてしまって。とにかく、明日からは受付よってください」
「はい」
 実際のところ受付の必要性は分からないままだ。だけれど目の前の男の言葉に頷いていた。
「後、本当は先に挨拶するべきだったんですが…あいつらのこと、宜しくお願いします」
 深々と目の前の男は頭を下げる。慌ててカカシも同じように頭を下げた。
 そしてそのままイルカとは別れたが、その場から離れた途端、どっとカカシは疲れを感じた。それは、どこか懐かしい疲れ。
 なんだろうと考えていた時、ふと古い記憶を思い出した。
(ああ、そういやあの人も、『先生』だったんだよねぇ)
 今はもう亡き、自分の担当上忍であった四代目をぼんやりと思い出しながら、その日は早々に岐路についた。





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