まんま 2 


 次の日、イルカはどうしようか迷ったが、昨日より多めに米を持ってきた。
 炊飯器をセットし、職員室で書類を片付ける。そして見回りの時間になり、廊下へと出た。
 イルカの同僚は、あまりこの夜勤中は食べ物を食べないと言っていた。だが三食きっち食べているイルカには、夜勤任務だろうが、食べてもいい状況なのに食べない、という選択肢は存在しなかった。
 今日もイルカが再度家庭科室に入ると、飯の炊き上がるいい匂いがする。
 イルカは炊飯器を開けて、握り飯を作る。気持ち、昨日よりは丁寧に握り、そしてまた外へと出た。今日は少しだけ風が吹いている。風を肌で感じながら、イルカは石に腰かけて、握り飯をまず一個食べた。
 二個目を食べようとしたところで、顔に影かかかる。
「…っ!」
 全く気配を感じなかった。
 だが、知らぬ間に男が目の前に立っていた。
 銀色の髪。暗部の格好。
 間違いなく、昨日あの茂みで倒れていた暗部だった。
「……食べます、か」
 イルカは、約束を守るため問いかける。急な登場に、目の前にいるのに感じられない存在感に、少し妙な緊張をさせられた。
 今日の男は、中途半端に面を覆っていて、顔はよく分からない。それが、昨日よりも、男が『暗部』であることをイルカに感じさせた。
 もっとも、男はそんなイルカの態度は関係ないようで、問いかけに頷ずくと、地面に座りこんでイルカの腰掛ける石に寄りかかった。
「あんた、料理あまり上手くないよね」
 差し出した途端、昨日は一言も喋らなかった男は唐突にそんなことを言う。イルカは一瞬言葉を失った。男はそれでも平然とイルカの握り飯に手を伸ばし、器用に面をずらして咀嚼し始める。
 イルカは男が二つ目に手を伸ばしたときに、ようやく我に返った。
「ならっ、食べなきゃいいでしょう」
「あんたがもっと上手くなればいいじゃない」
「悪かったですね」
 今日は食いっぱぐれてなるものかとイルカは両手で握り飯を掴む。
「あ、ずるい」
「ずるくありません!」
 むしゃむしゃと食べると、男は自分が手に持っていたのを無理やり一口に押し込め、両手で握り飯を取る。残りはこれであと二つだ。
 男はさっさと今食べていたのを飲み込むと告げる。
「あと二つだから、一つづつね」
「……」
 納得がいかない気もしたが、怒るほどのことでもないとイルカは黙ったまま、自分の分を食べた。今日は、お茶を持ってきていたので、それを男に差し出すと男はそれを素直に受け取って、喉を潤した。
「料理、上手くはないけど米は美味いね」
「……全然全く嬉しくないですけど、ありがとうございます」
 むすっとした顔のまま言うと、男が少しだけ笑ったような気がした。
「だって、あなたの腕にはあわないでしょ。この米。『ほまれ』じゃない。よく入手できたね」
「え!?食べただけで分かるんですかっ」
 イルカは品名を当てられたことに驚く。
 すると、今度は男が声を出して笑った。
「あんた、面白いね」
「だって食べただけで…」
「でもさ、あんたそんな味覚でよくやってけるよね。忍」
「……悪かったですね」
 これでも毒を確かめるのは得意だ。だが、男の言い分は間違っていなく、うなるような声でイルカは返事をした。
「悪かったじゃなくて、死んじゃったら困るでしょ。ちゃんと気をつけなさいよ」
 ただ笑われただけかと思っていたイルカは、男の言葉が少しだけ意外だった。
 だが、その時視界にゆらりとした影が映る。はっと立ち上がろうとしたが、男に止められた。
「子どもでしょ」
 男の告げた言葉に、やはりと思う。敵にしては殺気がなさすぎるし、大人にしてはチャクラが不安定だ。
「ここへの侵入者を取り締まるのが、俺の仕事ですから」
「へぇ。そんなもんなんだ」
 じゃあ、と男の姿が一瞬で消える。止める間すらなかった。そして次の瞬間には、目の前に夜のアカデミーに忍び込んでいた子どもはイルカの目の前に連れてこられていた。
「え、あ、えっ?」
 当然だが少年は動揺を隠せない。
 暗部の男の姿はそのまま消えている。子どもに姿を見せる気がないのだとそれはすぐに分かった。
「…お前、一体何してたんだ。こんな夜中に」
 尋ねると、少年はせき止められていたものが一気にあふれ出すように、喋り始めた。
「俺、なんでっ!さっき、あっちに!こっそりっ」
「あーうろたえんな。明日、夜のアカデミーにびびってたこと言いふらすぞ」
「うろたえてないよ!」
 元気よく言い返す子どもの頭に、イルカはポンと手を置く。
「で、一体何をしてたんだ?」
 じっとイルカが睨みつけるように見ると、子どもはようやく今の状況、『先生』に捕まった『生徒』という立場を思い出したのか、気まずそうな表情をした。
 言いたくない、というように子どもは口を閉じていたが、イルカの睨みつけるような視線に耐えかねたのか、ポツリと口を開いた。
「……ノート、忘れた」
「ノート?」
「うん。明日のテストの」
 だが、返された言葉はイルカをあきれさせるのには十分だった。
「お前、たったそれだけアカデミーに乗り込んだのか?この真っ暗な中」
「……」
「アカデミーが、この時間閉鎖されてることは当然しっているだろ。最低限の規則だ」
「……ぅ」
 少年の目に、じわりと何かが浮かぶ。
 チクリ、と体が痛む気がするが、イルカは見ないふりをした。規則は規則だ。ルールを守れないものは、一人前の忍となり、任務を請け負ったとしても死ぬ確立は高くなる。守らなければならないことは、ちゃんと徹底させないといけない。
「…だって、悪い点とったら母ちゃんが怒る」
 子どもは、唸るように呟いた。
「しっかりしてないと、俺いっつも怒られるんだ」
 表情を隠したいのか、子どもは真下を向いている。
 それなら。そんなことを言うなら余計、とイルカが口を挟もうとしたとき。
「へぇ」
 その場に響いた言葉は、イルカのものではなかった。
 はっと振り返った瞬間、ぽんと何かが飛んでくる。それはイルカにではなく、イルカのそばにいた子どもの手元へ向かっている。子どもはそれを条件反射のように捕まえる。
 子どもがとったそれは、間違いなくイルカの作った握り飯だった。
「……え」
 子どもは当然だが、酷く驚いている。
 イルカは咄嗟に言葉に詰まる。なんと言えばいいのか。
 だが、取り上げるわけにもいかないと、イルカはため息をついてから告げた。
「いいぞ。それ食って。俺が作ったやつだけどな」
 ぶっきらぼうに告げると、少年はイルカの握り飯だという事実にさらに目を丸くした。それから、まじまじと握り飯をみて、カプリとかぶりついた。
「……まずい」
「おいっ」
「まずいよ、先生」
 子どもは齧り付いて呟きながら、涙をこぼした。
 震えるようになく子どもの頭に手が伸びかかる。だが、イルカはその手をぐっとこらえた。
 吹き出した風が、イルカの髪を揺らす。
「……食い終わったら、まっすぐ帰れよ」
 イルカはそれだけ呟くのが精一杯だった。
 その声は風で消えてしまいそうだったが、子どもは小さく頷いた。だから、その後イルカはもう何も話かけず、ただ子どもをじっと見つめる。
 そして同じように。
 イルカは、今、どこからかあの男に見られていることを感じ取っていた。その視線は、子どもがイルカの前から立ち去った頃、ようやく闇の中へと消えていった。