次の日、火影から任務が来た。男は顔をしかめていたが、来たものはしょうがないだろうとカカシは任務の準備をする。
これが昨日きていれば、昨日の騒動は無かったのにと、そっとため息をつきながら。
「あ、もう行くんですか」
ふと、背中から声をかけられて振り向くと、廊下から男が顔だけ出していた。
「行ってらっしゃい」
そして男の顔は消えた。
(任務に出るのに、「行ってらっしゃい」って…)
そんな挨拶は初めて聞いた。
(まだ、帰らないってことか)
カカシは背中に刀を背負い、家を出た。
目的地は、山の下の街道。
今日の依頼は、討伐依頼がでている盗賊の一部が、こっちへ逃走してきているという緊急のものだった。盗賊は、案外腕がたったようで、本体を潰すのにも苦労したらしい。
女子ども構わず、殺しも行うその盗賊は外道と言うのに相応しい存在だった。
(ああ、こっちか)
耳が、音を拾う。
もう三時間以上は走った。向こうがこっちに向かってきているなら、ちょうど出くわす時間だろうとカカシは速度を落とす。殺しを行うなら、街道より出来る限り山に近いほうがいい。追われている盗賊が、堂々と街道を走るとは考えにくい。多分、一本横の獣道でも走っているのだろう。
ざざ、ざざっと葉を蹴る音がする。
カカシは完全に一度足を止める。
(近い)
木に登り、下を見下ろせばその姿が見えた。
先頭を走るのは、なんと女だった。
「なるほどね…」
本当に外道だと思った。
途中途中で、何かあったときに簡単に捨てられるよう、どこかで拾った女を使っている。そして列でいうと半ばにいる男がまだ小さな赤子を背負っている。そんなに荷物にならない程度の、赤子だ。女は元くのいちか、それに準ずる何かなのだろう。その動きは一般のものではない。
(利用されたか)
馬鹿な奴だ。
カカシは小さく呟く。依頼は皆殺しだ。
殺さないわけには、いかない。
「ごめーんね」
カカシはざっと下へ、その列の真ん中を目指して飛び降りた。
「なっ」
誰かが悲鳴をあげる前に、刀を振り回した。血しぶきがあがる。
どんどんと男たちを切りつけ、殺していく。今は刀が駄目でも、獣の爪がある。いつしか二本足というよりは獣のような姿勢で木々の間を飛び、男たちを錯乱する。
(獣だ)
男たちが悲鳴をあげている。
返り血を浴びる自分。
(あ)
男が抱えていた赤子が、地面に落ちた。
一瞬見たその赤子は、もう息絶えていた。多分、もうずっと前に事切れていたのだろう。
(ああ)
カカシは爪で男の喉笛を咲く。
女が視界の端で半狂乱になりながら、赤子を拾う。死んでいるのに抱きしめて、女は泣く。
カカシは、まだ立つことが出来ていた最後の男を殺す。見渡してまだ辛うじて息のある奴に、順番に止めをさしていく。微かな痛みを感じたと思うと、右足首を知らぬ間に切りつけられていた。だが、さほど深い傷ではない。
一通り敵を片付け、残ったのは女が一人だ。女は無言だ。
何故か、その姿に一瞬動きが止まるが、脳裏で、この間殺した女の声がする。
『やめてぇぇぇぇぇっっ』
叫んだ女は、切り裂いた。
だから、カカシは赤子を抱きしめたまま、泣き続ける女の後ろに立つ。
気配に気づいているだろうが、女はただ赤子を抱きしめ泣いていた。
「…ごめーんね」
そしてカカシは刀を振るう。
この女だけ差別することはできない。
今まで殺してきた者達のためにも。
(ああ)
抜いた刀は真っ赤に染まる。
利用されていたとしても、脅されていたとしても、多分女も殺しも盗みもしたのかもしれない。それとも、ただ道を開くことだけに使われていたのかもしれない。出会ったばかりなのかもしれない。
けど、自分は殺す。
(人間じゃない)
死体の方が、外道と言えども人間に見えた。
長い爪。
ありえない耳に、尻尾。
「人間じゃない…」
悲鳴も、血も関係ない。
ただ殺し、望まれるままどんなひどいことだって、心を一つ動かさず行える。
それはもう人間じゃない。
これこそ。
(ただの、獣だ)
だが、自分にはかろうじて人としての形があって。
任務、という単語を覚えている。
だから、依頼書に首のみ持ち帰るよう書いてあった男を捜す。男はすぐに見つかったが、切ろうとした男の首に細い糸がついていた。何だろう、と思う間もなく、それがお守りだと気づく。
爪の先で引っ張れば、それは汚い文字で「おまもり」と書かれていた。
それは、多分子どもの字だ。
カカシは片手で刀を振り下ろす。
男の首を切り取る。
そして、その場から駆け出した。
駆けても駆けても、同じ場所を走っている気がする。手に持った頭は、たいした重さじゃないのに、これに邪魔をされて全く進んでいない気がする。
ふと、己の手元を見る、なんとなく己の爪が伸びている気がした。手も、心なしか銀色の獣のような毛並みになっている。
(なんだ、これは)
足が、絡まるような速さで動く。それでも一向に、進んでいない気がする。
途中で使いの鳥に頭を投げ渡した後も、一向に速さがあがらない。
どこまで走ればいいのか。
ぐるぅ、とうなり声のようなものが己の口から漏れた。
だが、唐突に森は開け、静かな清流に突き当たる。カカシはそこで足を止めて、じっと水面を見つめた。
水面に映るのは、人ではない。
今までに無い程、獣化が進んだ己の姿。
(獣になる)
本当に、何もかも。
カカシは、その場に膝をつく。
水面に映る己の手は、獣そのもので、だがそれを見た瞬間、自分の頭を撫でたあの男の手を思い出した。
(違う)
声が、言葉が、もう上手く出なかった。
(あんな、暖かい手になんて、知るわけない)
触れてしまったことすら、本当に間違いだった。己の手は、こんなにも血まみれなのだ。遠巻きに、ただ獣としてこの里を守ることしか、もう自分の生きる道は無いのだと十分に知っていたはずなのに。
(ああ)
だから、そんなものは知らない。
人ではないのだから。
女の声がする。子どもの悲鳴が聞こえる。
人と、言えるわけない。
人に、なれるわけない。
「……、……っ」
声にならない言葉が漏れた瞬間、雫が水面へと落ちていった。