獣の夢  



 それから数日は、任務と家との往復だった。任務の無い日は、山での修行と、薬草の配合やら武器の手入れなどを男と一緒にした。アカデミーで教師をやっている男は、さすがに知識が豊富で、実践向きではないが色んなことも知っていた。
「俺、でも本当は配合とか、料理もあまり好きじゃないんですよ」
 男は恥ずかしそうに言う。
「そうですか?十分人の飯でしょう」
「……けなしてるんですか、あなた」
 男との感覚の差はあったが、それはそれで心地よい。男はたまにカカシが寝ていると頭を撫できて、それが妙に気持ちよくて、カカシは何度も話ながら、撫でられながらうたた寝をした。
 浅い眠りは、何度も現実と夢との間をさまよわせる。カカシは周囲の物音を性能のよくなった耳で把握しながら、曖昧な世界を味わった。それは、とても嫌いなものだったはずなのに、何故か不思議と心地よい感覚だった。
 だが、ふと呼ばれた気がして目がさめた。
 チャクラの気配を探ったが、どうやら側には誰もいない。
 男の気配が完全に無い。
「何?」
 返事をしてみるが、男からの答えは無い。
 裏庭を見ても、狭い家の中を見ても男は居ない。
 男は洗濯物をたたんでいたようで、それが中途半端なままになっている。
(……なんだ)
 首を傾げる。気配を探っても、男はまるで最初からこんな場所には居なかった、というように気配が完全に消えていた。
「……」
 何も思うまい、と動揺の芽を摘む言葉が脳裏に浮かび、それから自分が何度もこうして唐突に男の日常から消えていたことを思い出す。記憶がゆっくりと行き交い、気持ちの悪い曖昧な感覚を運んでくる。
(そうだ。だから、休みなんていらなかったんだ)
 手を握り締める。
 休んでいると、曖昧なものはよくやってきた。だから、っずっと休みなんて要らないと思っていたのだ。
(探しに行くか?)
 もう、休むことなどできる気分では無い。だが、探しに行く必要も、特に見つからない。
(けど)
 万が一、気まぐれで探しに行って、見つからなかったら。
 自分のような忍が、あの人を殺していたら。
(でも探す必要はない)
 けど死んでいるかもしれない。
(必要は無い)
 あの男が死のうが生きようが―――。
「あ」
 ふわり、とそのとき任務を告げる式神がやってくる。
 それを見た瞬間、全身から力が抜けた。力が抜けたことで、己が必要以上に緊張していた状態だったと知る。
 だが、今はそんなことはどうでもいい。
 行かなければいけない。
 自分は、任務に行かなくてはいけない。
 カカシは服を着替え、面をつける。男は、その間も戻ってくる気配は無い。それでも、だんだんと自分の意識が任務に集中していくのが分かる。
 いつものように装備品を確認し、それからもう一度だけ任務内容を確認し、ただの紙となったものを燃やした。
 高揚してくる気持ちを抑え、扉から出て枝に飛び乗ろうとした瞬間、後ろでパキンと小さな音がした。人や獣が出した訳ではないと、気配が無いことで分かる。だが、カカシは振り向いた。まるで、何かを探すように。
 その自分の反応に、カカシはぞくりとした。
(飼いならされている…)
 飼われることは、生きていればあると思う。だが、慣らされることは。
 特にあの心地よいよう感覚に、何も考えずに過ごすことができるような状態に慣れては、いけないのだ。
 許されるのは動いて、食べて、寝るのに幸せを感じることだけだ。
 でもそれに、別の人間が絡むことは絶対にいけない。
「っ」
 森を駆け抜ける。
 ぽつり、と雨が振ってくる。
 走りこめば、息もあがるが、気持ちが妙に昂揚してくる。
 自分の中にある小さな馬鹿な感情を捨てたくて、がむしゃらに走る。思うままに乱暴に駆け抜ける。
 ぐるぅ、と低いうなり声が口からもれた。
 暴れたい。殺したい。血を見たい。
 獰猛な気持ちが湧き上がる。
 森を抜け、指定された街へ降り、指定された人間を殺す。そして、そのまま残党を森へ逃がし、そこで今度は証拠が見つからないように始末をせねばならない。
 殺して、それを燃やし埋める。
 それが今回の任務。
(面倒だ)
 だけれど、自分はそれをこなす。
 ばらばらの、全く関係ない場所にそれぞれを埋め、全部が終わった頃はもう明け方近かった。
 朝日を見たら、突然力が抜けてその場にばったりと倒れた。
 木の葉は血で汚れていたが、己の服が汚れようと構わなかった。
『やめてぇぇぇぇぇっっ』
 叫んでいた女。
 それを無視して、一息で殺した。その体を、始末しやすいように引き裂いた。
「真っ赤だねぇ」
 己の手を見る。
「何がですか?」
 返事が聞こえた。
 己の耳は、全く近付いてくる音を伝えなかった。気配も感じなかった。
 いや、感じていたかもしれないが、危険を感じなかったため認識しなかったのかもしれない。
 家から離れた場所で、何故男がこの場にいるのかを不思議に思うこともなかった。
「…俺の手が」
「そうですか。じゃあ拭きましょう」
 男は傘を持っていた。いつから外に出ていたのだろうとぼんやりと思う。
 男は布で丁寧にカカシの指を拭く。
 それをただ、ぼんやりとカカシは見ていた。
 男はそれから、寝たまま起き上がる気配の無いカカシを背に負い走りだす。カカシは特に抵抗も見せず、男に身を任せていた。
「いつ頃、元に戻るんですかね」
「……さぁ」
 あなたは、どこへ行っていたんですか、と聞きたかったが聞けなかった。
「でも、思うんです」
 耳が、遠くで獣がほえる音を拾い、ピクンと動く。
 もう何かを考えて喋るのは億劫で、すべり出る音をただ言葉にした。
「俺は、定期的にこの姿になることで、どれくらい酷いことをしてるのか思い出すんです」
「え?」
「人とは思えないような残酷なことを沢山している。俺には、だからこんな呪いがあっている気がするんです」
 男は何も答えなかった。
 ただ、代わりに背中を背負う手でさする。その手を振り払わなくては、と思ったが体を動かすことがもう億劫で、今回だけは、と小さく呟いてカカシは静かに目を瞑った。






 それから、三日間任務がこなかった。
 だんだんと気持ちが落ち着かなくて、焦り始める。何度か火影に問いかけてみたが、火影からはやっぱり任務は降りてこなかった。
 四日目の夕方は、とうとう耐え切れず狩と言って山へ出た。
 食用にもなる小さな獣をしとめてみても、気持ちは全く落ち着かない。
 途中で戻ってこないカカシに焦れたのか、イルカが迎えにきてもそれでもカカシはまだ戻る気分にならなかった。
「戻りましょう」
「――あんただけ戻っといて」
「ひとまず、帰りましょう」
 小さな獲物を男は手にもち、力強く言ってくる。
 帰りたくない。だが抵抗する言葉を、持っていない。抵抗すれば、この男をこのまま殺してしまうほど、獰猛な気持ちが出てくる気がした。
 だからカカシはしょうがなく家へと戻る。
 だが、そこでふと気がついた。
「ねぇ」
「はい」
「あんた…もしかして、火影様に何か言った?」
 男の玄関を開ける手が、一瞬止まった。
 それを見て思わずカカシは叫ぶ。
「あんた、言ったのか!」
「…任務を、減らしてくださいとは言いました」
「何故!なんで、あんたが勝手に俺の任務の指示を出すっ」
 掴んだ手は加減できなくて、かなりきつく掴んだせいか男の顔がゆがんだ。
「あなたに任務をさせなくないからに、決まってるでしょう」
 かっと頭に血が上った。
 頭の中が真っ赤になる。
 殺そうと手が伸びた。だが、殺してはいけないとどこかで声が聞こえる。
(理性だ)
 だがもう、本能に火がつき止らない。
 男の首に手が触れると、男がびくりと体を揺らす。
(違う)
 殺そうとしても、男の瞳は強い力を持っている。揺るがない。
 だから首から手を離し、代わりに撫で付けた。
「ちょ…っ!何をっ」
 この男を痛めつけたいなら、違う方法がある。
 殺さなくても。
 抱けばいい。
 雌にするように。
 油断していたのか、押し倒されて男は悲鳴をあげる。
「うるさいよ。あんた…ちょっと黙っててよ」
 睨み付けて、口の端をあげるように笑うと男は始めておびえた色を瞳に浮かべた。





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