「………」 朝起きると、隣に男が居た。
今まで女が隣に居た、という事なら何度かある。だが男が寝ているというのは初めてだった。しかもただ隣に寝ているわけではない。自分の手は男の背中に回り、しがみつくように寝ているのだ。 (………は?) 思考は考えることを止めたい、と訴えてきた。 (あー…でも気持ちい…) 男の体温は暖かい。二人分の体温がこもった布団も、いつも以上に気持ちがよい。熱すぎず、寒すぎず。適度なのが堪らない。 だが、カカシは目をこすり起き上がる。
暖かい布団は心地よい。だが、ずっとそこに居るわけにはいかない。心地よい場所を望み、生活していてはいけないのだ。 「任務、か」 障子の隙間から入ってきたのか、白い式神が敷布団の側に置かれている。 内容をさっと確認して、カカシはそっと男の側から離れた。 昨日の夜、任務がこなかっただけでも珍しい。一瞬、本当に火影はこの男の言い分を聞き入れてしまったのかとドキリとした。だが、まだこんな任務がくるならば心配は要らないだろう。 カカシは身支度を整え、武具を身に着けていく。久しぶりの暗部の衣装。 頭の耳は問題ないが、生えている尻尾はやっかいだ。このときように作ってある特注の制服を着込むしかないのだ。 「さて、と」 準備は手早い。 半刻もかからず身支度を追え、カカシは家を出ようとして気づいた。 (…あの人) いつもなら、何も気にせず置いていった。 世話をしてもらっていようが、何をされようが、何も言わず、ふらりと消えていた。そんな最低さが自分にはあっているとも思っていた。 だが今日は。 この知らない森の中の一軒屋で、何も告げず置いていかれたらあの人はどうするのだろうか。 「……しょうがない」 ため息をついて、もはや効力を失った式神を延ばし、ただの紙にしてその裏面にさらりと文字を書く。帰りが遅くなることと、あまり外には出ない方がいいこと。あとは別にあんたが気にすることはないから、帰れということ。 それから、カカシは音も無くその場を後にする。 本当はこんなに早くに出る必要は無い。 ただ、とある人物を今日中に殺害すればいいだけなのだから。 だが今日中というのならば早く殺したっていいわけだ。 くん、とカカシは鼻を動かす。 体が軽い。 この姿になったときは、嗅覚、聴覚が良い面も悪い面もあるがかなり発達する。そして同時に体力も、獣並みへとなる。 「うるさい」
手入れされていない山には、野生の獣が多い。頭のいい獣はカカシのような生き物に近づいてこないが、分からない獣も中には居る。カカシはそんな近寄って来た獣を、刀で一蹴する。
血が溢れ出るが、その返り血はこちらにはこない。そういう風に斬りつける。 獣の血。何も感じることはない。 だがこれが人の血だろうと、もうカカシにとっては同じものだ。 暗部の間、それ以外のときでも残酷なことは、地獄に落ちるくらいのことは多数してきた。唯一のことは、ただ仲間を殺していないこと。仲間を生かすために、別に人間にひどいことをした。人間とは思えない使い方をして、殺した。
ピクン、とカカシの獣の耳が動く。 「午前なら、まだ山の下か」 隠密で山越えをする一行。 多分相手も護衛を必ずやとっていることだろう。 (悪いね) 今日は運が悪かったと、諦めてもらうしかない。 任務は殺害。だけれど要望は惨殺だ。見せしめが必要となるため、分かりやすい場所で分かりやすいように、そしてこんな死に方はいやだと思われるようなことをしなくてはいけない。 (音がする) まだ遠い場所だ。 だが、確実にあれは獣ではない、人の出す音だ。 カカシは足の速度を速める。空は今日は曇っている。今にも振り出しそうな天気に、早く任務を終わらせたいとカカシはなんとなく思った。
「お疲れ様です」 扉を開けると、やっぱり男はまだこの家に居た。 掃除をしていたのか、手には箒を持っている。 「…やっぱり、あんた帰ってなかったの」 口を開くのも億劫だったが、男の顔を見ると何か言わないといけない気がした。 「なんで帰るんですか?」 「そう、書いたから」 「書いてはあったんですが、俺は火影様に頂いた任務がありますから」 男は笑う。そして肩にかけていた布で、近づいてきてカカシの髪をぬぐう。 「濡れましたね」 カカシは手に、抜き身の刀を持ったままだ。 いつ斬り付けられるか分からないだろう。 カカシは妙に苛立ち、髪を拭くイルカの手首に噛み付いた。牙の生えている口で噛み付けば、簡単にぷちっと肌の破ける音がする。 「どうしたんですか?」 男は、一瞬体を震わしただけで手を無理やり引こうとはしなかった。 「そっか。今、授業でも獣との対峙の仕方ってやるよね」 ペロリと男の手首を舐める。 「……確かにやりますね」 男は落ち着いた声で、再び髪を拭き始める。 「でも、噛み付かれるって、何かを訴えたいからやられると思いません?」 それなら逃げる必要は無いでしょう、と男は言った。馬鹿みたいな真面目な顔に、これ以上文句をつける気にはならなかった。 (ああ) 危険だ。と思った。 この男は危険だと思った。 (そりゃ九尾だって、簡単に丸められちゃうよねぇ) 男が九尾を庇った話は、今一番の話題になっている。その話自体に興味は無かったが、あまりにもみなが話をするから覚えてしまった。
(この男は、獣と対峙する才能がある)
何故だか今、肌でそう感じた。 本能を、この男は理解している。傷ついた馬鹿な獣は、多分この見せてくれる理解に弱いのだろう。 だから自分は、倒れるとこの男に黙って世話になった。 だから自分は、回復すると危険だとこの男の下を離れた。 「はい」 男の手が優しくカカシの頭についた面を取り。 そして―――投げた。 「っあ!」 気づけば、家の中に向かって投げられたそれに飛びついていた。 「靴くらいちゃんと脱いでくださいっ」 楽しそうな顔をして、笑いを堪えるように男が言う。 言われて、かーっと顔に血が上る。 わなわなと口が震えるが、言葉は出ない。 「こ、殺してやる…!」 「はいはい。あ、今日もまだ鳥刺ありますよ。あと、こんなんもあります」 どこからともなく出されたゴムのボール。 それをぽんとまた投げられれば、知らぬうちに体が反応してしまう。 「よくそれで任務行けますねぇ」 「余計なお世話だっっ!」 「今日の味噌汁は何がいいですか?」 「何でも構いませんよっ」 乱暴な手つきで抜き身で放り投げてしまった、己の刀をしまう。 「何でもいいことないでしょう。腐ってたらどうするんです」 「そんなんで壊れるような、柔な体はしてないので」 「美味しいほうがいいでしょう」 「何を食べても大して変わりませんね」 「肉は好きじゃないですか」 「それは今だからです」 玄関口に戻り、服の汚れをはたいているカカシを男は少し不思議そうに見つめる。 「あなた、今までたいしたもの食べてないんですか?」 が。 あまりの言葉に、カカシの手は止まる。 ぎっと睨みつけるが男は動じもせず、じっと自分を見返してくる。 「食べてますよ!あんたなんかよりずっとね」 「だって何食べても味が変わらないんでしょう」 「月屋だって馴染みです、あんたなんか一生暖簾もくぐれないでしょう!」 「ええ!月屋の馴染みなんですかっ」 今度は素直に男が驚き、少しカカシの溜飲が下がる。 「馴染みですよ。ずっと前からね」 馴染みなのは、ただあそこが飯を食べた後に、寝るための部屋を貸してくれるから。 だがその理由は黙っておけば、男は純粋に聞いてくる。 「どんな料理が出るんです?」 「……色々」 言われて、そうとしか答えられない。 色んな種類のものが、毎回行く度に出ていた気がする。それは思い出せるが、あれが一体なんだったのか、気にも留めていなかった。 「どんなものが好きなんです?」 言われてうっと言葉に詰まる。 確かに月屋でいつも食べているものがある。疲れたときは、華美なものが食べたくなくて、いつもそれを頼んで女将に笑われるのだ。 「……るさい。あんたには関係ないでしょう」 「まぁ俺は行けないだろうから確かに関係ないんですよねぇ。いいなぁ」 瞳に羨ましさを一杯にこめられ、そんなにたいした飯だったかとカカシは首をひねる。 だが、カカシはふと思わず鼻をならす。 そのまま、イルカの髪へと顔を近づけていく。 「は?」 突然のことに男は驚いているようだったが、特に逃げるそぶりは見せなかった。 くんくん、とカカシはイルカの髪の匂いをかぎ、それからようやく顔を離した。 「今日は茄子の揚げだしに、山菜の味噌汁が出ますね」 「……正解です」
カカシは茄子が好きだ。 月屋でも疲れたときは、ご飯に茄子のみそ汁、あれば秋刀魚を焼いて出してもらっている。それがカカシの定番メニューなのだ。 だがカカシは、ふと近づいて気がつく。 なんとなく、近づくと男のチャクラが乱れる気がしたのだ。 「……」 離れると、わずかだが男の顔が安堵する。 ぱっと手を伸ばして頬に触れれば、一瞬また男の体が固まる。表情は何気なさをよそっているが、チャクラはやっぱり乱れている。 にんまり、とカカシは笑う。 「へぇ…」 「何ですか」 「あんた、人に触られるの、苦手なんでしょう」 あれだけ人には触っておきながら、と笑いを貼り付けて言う。 「そ、んなことありませんよ!そんなこと言ったら、あなたは撫でられるの好きじゃないですかっ」 「そ、それは本能だからしょうがないんですっ」 「じゃあ俺だって本能ですよっ」 だがその言い争い中も、カカシの鼻はくんとなる。 「あ!ちょっと、あんた火つけっぱなしでしょう」 「あああ!それ先に言ってくださいよっ」 何故かカカシが怒られて、怒った本人は慌てて台所へとかけていく。 呆然とした後、妙な可笑しさがこみ上げて久しぶりにカカシは声を出して笑った。
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