数え歌 7  



「どうですか?」
 不機嫌な顔をしているイルカの前に、手料理を並べるとイルカの顔は間抜けな程無防備なものとなった。
「……どうしたんですか、これ」
「作りました」
「誰が」
「俺が」
 イルカは呆然と呟いているが、カカシはその言葉に首をひねる。
 さして珍しいものを作った覚えは無い。
 と、カカシが考えている間に、イルカの箸が料理に伸びる。そして一口食べた瞬間、イルカの不機嫌な顔はどこかへ消え去った。
「う、うまい…っっ!」
「あ。口に合いました?」
「合うも何も…!あなた、今までこんなもの作れるのに俺の手料理食ってたんですか」
「先生の方がおいしいじゃない」
 言った瞬間、また鋭い目つきで睨まれた。
 ので、ひとまずその口に側にあった海老団子のはさみ揚げをイルカの口に放り入れる。と、途端またその顔は崩れた。
「これは何ですか?」
「アボガドとマグロの湯葉サラダです」
「これは?」
「豚と白菜の挟み煮込みです」
 イルカは一通りカカシに品名を聞き、食べ終えると真面目な顔でカカシを見つめた。
「……俺の負けです」
「は?」
「完敗しました」
 がっくりとうなだれる姿は、カカシには全く意味が分からないがどこかかわいそうで、カカシは思わず頭をなでてしまう。だが、イルカは睨むことも喚くこともなく、力なくうな垂れたままで、思わずカカシは酒を取りに台所へ走る。
 ひとまずこの同棲生活で分かったことは、イルカが酒好きで、何か嫌なことがあっても、大抵呑んで忘れられる性格だということだ。
「本当…カカシ先生は、器用なんですね」
 イルカは注がれた酒を飲みながら、しみじみと言う。
「そうですか?」
 予想以上に重みのこもった言葉に、やっぱりカカシは首をひねるしかない。
(なんでもないようなことなのに)
「明日から、俺もう料理作りませんね」
「は!?」
 だがその人ことに考え事は吹っ飛んだ。
「なんですかそれっ!」
「なんですかも何も…だって、あなたのがおいしいじゃないですか」
「俺にとってはイルカ先生の方が美味しいんですっ」
「またまた。あははは、もう無駄でーす」
 暖簾に腕押し。
 ならぬ、酔っ払いに押し問答。
「ちょっと!イルカ先生っ、寝ちゃだめだからっ!イルカ先生!」
「あっはっは。焦ってますねー。ざまーみろ」
 酔っ払いの戯言だろうが、その『ざまーみろ』という言葉はその日のカカシに相応しい言葉だった。



「ねぇ。俺の手料理って美味い?」
「ぶはっ!」
 控え室でアスマにたずねたら突然何かを噴出した。
「汚いなぁ」
「お前が妙に意味深な言い方をするからだろうがっ」
 心を落ち着かせるために、アスマはタバコに火をつけた。吸い込んだものをゆっくりと吐き出し、それからカカシを見る。
「…イルカに言われたのか」
「そう」
「……まぁ。美味い方なんじゃねぇの?お前器用だからな」
「そうなのかなぁ」
 己の見慣れた手を、カカシは見つめる。
 今日の朝もやっぱりカカシが朝食を作ることとなった。多分これからずっとそうなのかもしれない。
 作ることは嫌いじゃないが、それでもやっぱりカカシはイルカの手料理の方が食べたかった。
(前に朝食作ったときは何も言われなかったのに)
 そのときは、ただイルカがそれどころでは無かっただけということは、カカシには分かるはずもなかった。
「で。なんだ」
 アスマはわざとカカシから視線をそらして呟くように言った。
「……お前らは、付き合ってるのか」
「イルカ先生と?まさか」
 そのまさか、にアスマは思わず安堵のような息を吐いたが。
「俺の片思い」
「ぶはっっっ!」
 一瞬後に吐き出した強烈なものに、消し去られてしまった。




 その日、帰ると珍しくイルカの姿が見えなかった。
 そのまま家にいてもよかったが、なんとなく迎えに行こうかとアカデミーに足を向けた。
(迎えに行くのも楽しいのよ)
 二日間連続だがまぁいいかと、カカシは見慣れた道を行く。
「お前、いいのかよー」
「珍しいよな、イルカがつぶれるなんて」
 が、その途中で聞こえた声にカカシは足を止めた。
 通りかかった屋台。
 暖簾の下から、確かに木の葉の忍と分かる格好のものが3名座っていた。
「待ってる人いるんだろ?」
「いない、っつってんだろーがぁ」
 答えてるのは、イルカの声だった。
(本当に、酔っ払っちゃってる)
 どうしようか、とカカシは一瞬考える。つれて帰ってもいい。だが、イルカの生活を一応考えてやれば、ここで自分が出て行くのはまずい気もする。
「だって、帰りたくないんだろ?っつーことは、誰かが家にいるんだろ?いいよなぁ」
「うーるーさーいー」
 だが進む会話に、立ち去り難くもなる。
 好かれていないだろうことは、当然だが知っている。
 それでも言葉程嫌われてはいないこととか、人が良いところに漬け込んでることとかも知っている。
(あーでも…)
 こうして、帰りたくないからと。
 酒を飲んでるのを見ると、やっぱり胸が痛かった。
 だけれど、この痛みに。
 耐えて、しばらくまだ一緒に生活していれば多分イルカも自分を好きになってくれるだろうと思っている。
(……難しいねぇ)
 思ってるし。
 分かってる。
 でも、胸が痛い。
 どうしようかと、カカシがぽりぽりと頭をかいた瞬間、ドサリと音がした。
 しまった、と思ったときにはもう遅く、イルカがあいていた隣のスペースに倒れこんだ音だった。椅子と同じ視点になってしまえば、暖簾に隠されていないのだから、振り向けばカカシの姿は見えてしまう。しかも悪いことに、イルカは真上を向いて倒れこんでいた。
 だから、その視界の端にカカシの姿は映ったのか、イルカの顔がカカシの方を見る。
 目が合ったのを合図に、カカシは弾けるように逃げ出した。
(失態だっ)
 上忍だというのに、この反応の遅さは一体何だというのだ。
 離れてから後ろを振り返る。当然そこには男は居なかった。が。
「逃げる、な――っっ」
 声が聞こえる。
 間違いない、イルカの声だ。
(ど、どうする!?)
 カカシは周囲を見回し、やっぱり逃げようと走り出す。
 だけれどどこに逃げても、後ろにイルカが居るような気がしてしまう。
 西の寺に走っても。東の見張り台に走っても。南の訓練場まで走っても。はたまた北の大木まで走っても。
(駄目だ…っ)
 カカシは暗闇の中、さすがに疲れてばったりと倒れこむ。
 そしてそういえば、最初のときもこんなに走ったよなぁと思い出す。あの時、イルカに言われた一言で恋に落ちてしまったのだ。
(……なんか、俺頭悪いよなぁ)
 思い返せば、あの言葉で恋に落ちるというのはどうだろう。
 少し笑って、それから立ち上がる。
 あの時と違うことは、やっぱりイルカが着いてきていないことだろう。
(あんなに呑んでたしねぇ)
 カカシが土をはたき、歩き始めたとき人気の無い道に何か物体が見えた。
「あ!」
 カカシは慌ててそれに走りよる。
 視界に入った物体は、間違いなく。
「イ、イルカ先生!」
 イルカだった。
「イルカ先生っ!ちょっとしっかり!」
「あー…うー……」
「水っ、水っ」
 カカシは携帯している、3口分くらいしかない水を取り出す。
 イルカはそれを飲み干してから、がっしりとカカシの腕をつかんだ。
「何、逃げてるんですか…」
「ごめんなさい」
「死ぬかと、思いました……」
「イルカ先生、飲みすぎですよ」
 呼吸も荒く、イルカは確かに苦しそうだ。
 その姿がどこか可哀想で、その頬をするすると撫でると、イルカはゆっくりと目を閉じる。
(気持ちいのかな)
 思って、暫くゆっくりと撫でていればイルカが目を瞑ったまま呟いた。
「戻ってきてくれるとは、思いませんでした」
「俺は、イルカ先生が追いかけてきてくれるとは思いませんでした」
 言うと、イルカが目を瞑ったまま笑う。
「逃げる奴を見ると、追いかけたくなるんです」
「あーそういえば、そういう感じだったかも…」
 最初のときを思い出すと、確かにそんな感じがしてカカシは頷く。
「納得しない、別れは嫌いです」
 イルカは呟いた。
「突然消えられるのも大嫌いです。それなら逃がすかと、追いかけてしまうくらい嫌いです」
 なんでもないことなのに、とイルカは呟いたようだった。
 カカシは思わずゆっくりと顔を近づけて、その唇に触れるだけのキスをした。
 イルカの体がびくりと震えるが、構わずもう一度音を立てて口付けた。
「なんでもないことじゃ、ないでしょう」
「……俺は、みんながなんでもない、という事が全部できないんです。皆みたいに、さらりと流すことも、料理をすることも、家事をすることも、気を使うことも。俺はいつも、必死になってしまうんですよ」
(ああ)
 あの日。
 あんなに自分を追いかけてきて。
 なのに、殴るわけでも怒るわけでもなく、ただ言われたあの一言。
 これ以上ないほどくだらないことに、必死になってくれたこの男。
(きっと、俺はそれが嬉しかったんだ)
 カカシは笑って、それから手加減もせず仰向けに倒れたままのイルカの体を、自分の膝の上に抱えるようにして抱きしめた。
「ぐはっ!」
「もーイルカ先生大好きです。可愛い」
「は!?ちょっとっ、あんたっ」
「俺は、そんなイルカ先生が大好きです」
 笑ったままそういうと、イルカの目が驚きで丸くなり、それからかーっと音がしそうな程赤くなっていく。
「か、帰りますよ!」
 怒ってイルカは立ち上がるが、すぐふらりと倒れ掛かる。
「本当、呑みすぎですよ」
「う、うるさい!大丈夫ですっ」
「何言ってるの」
 カカシはがっとイルカを背負う。
 イルカは何か驚いたようにわめいていたが、構わずそのまま歩き出した。
 ずっしりとした重みが、とても心地よい。
 思わず口元に笑みすら浮かぶ。
(ま、いいや)
 多分、まだこれからも暫くはああして胸が痛むことはあるだろう。
 だけれど、気にしないで攻めて攻めて責めたおそうとカカシは心に誓う。
「好きですよ」
「…それ、本当なんですか」
「疑ってます?」
 その言葉に、返事が返ってこなかったことにカカシはまた笑い、振動から伝わったのか頭を殴られてしまったが、それもまた酷く幸せなことのように感じていた。








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