数え歌 6  



 気持ちも爽やかになる程の快晴。
 その日差しをさえぎる物が何も無い場所に、一組の男女が居た。
「あ、あの…」
 男は傍目から見て分かるほど、緊張している。
 言葉を何度も飲み込み、そして手を不自然に動かしている。
「ああ、ったく!そこだ、そこだろっ」
「馬鹿野郎っ、声でけぇよ!」
「ったく、あいつ…ああ見えても度胸ねぇからなぁ」
 そして、小学生のごとく遠巻きにそれを見守る男らが数名。どれも成人男性で、みな額に木の葉の額宛をつけていた。
「……おまえら、趣味わりぃぞ。覗きなんて」
 それを後ろから嗜めるたのは、イルカだった。
「あ。なんだ。お前も結局ついてきたんだろ」
「お前らだけ行かせたら何を起こすかわからねぇからな」
 本当はこんなことを許したくはなかった。
 だが、先日。はたけカカシが職員室に訪れたとき、同僚には多大なる迷惑をかけてしまったこともあり、イルカが強く言えないでいるうちに同僚らは覗きに駆けつけてしまった。だから、せめていざという時は止めれるようにイルカも不本意ながらこの場にきたのだ。
 が。
「お、俺と付き合ってください…!」
「おおっ、言ったぞっ。言ったぞ、あいつ!」
 同僚の真剣な言葉に、仲間内がわっと湧きだつ。
 だが、女の対応はあっさりとしたものだった。
「ごめんなさい」
 そして、更に言葉が続いた。
「好きな人が、私いるんです」
「…それが、誰か聞いてもいいですか?」
 ふられた同僚は、そんな言葉を口にした。
 長い間、片思いをしていたことはイルカも知っている。簡単に諦められない気持ちが、その問いを口に出させたのだろう。
「かなわない相手だってわかってるんですけど…」
 そして今度は女が弱弱しい顔をする。
「はたけ、カカシさんです」
「な、なんだそりゃ…!」
「お、おい。馬鹿イルカっ」
 思わず悲鳴をあげてしまったイルカは、同僚らによって取り押さえられていた。



「御祓いにいきてぇ」
「……なんだよ、その独り言」
 怒涛の昼休みから数時間。イルカはまだ腑抜けていた。
「俺、絶対呪われている気がするんだよ」
「…呪われてるなら、むしろあいつだろ」
 そう言って、同僚は片思いの相手にふられた上、同僚達に盗み見されていたことにダブルパンチを受けている男を指差した。
「……いや。俺だって負けてねぇ」
 イルカは呟いて、もう一度机につっぷした。
 昨夜。カカシととんでもないことが起きた。
 それこそ、トリプルパンチものだが、同僚には決して話せないような出来事だ。
(そうだよ。言えるわけねぇ…!)
 男とキスをした。しかも相手は噂のはたけカカシ。
 あげくなんだか色々すごいことを言われてしまった気がするのは気のせいか。
「あー…もしかして、お前もふられたのか?」
「なんだそれ。誰がふられるんだよっ」
「だってお前最近彼女できたんだろ?」
 同僚の言葉に、イルカは間抜けにも暫し口を開いたまま止まってしまった。
「なんだ、そりゃ?」
「お前最近付き合い悪いし、さっさと帰るし。しかも話を聞いたら」
 にやり。と同僚は楽しそうに笑う。
「料理、習いにいってんだろ?なんだよ、相手は上忍のくのいちか?相手のが忙しいのか?」
 同僚の言葉に、イルカは一瞬言葉が出ない。
 だが、次の瞬間校舎が壊れるような大声を、腹の底から出した。
「ふ…ざっけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
 その大声に。
 窓は、がたがたと揺れ、机にあった書類がばさばさと落ちる。そして、もろにくらった同僚は、見事にひっくりかえった。
「なんだ、なんだ!それこそ、なんだそれはっ!」
 だが、無情にも倒れた同僚にイルカは飛びつき前後にゆする。
「確かに料理を習いにいった。行った!けど、それは全くそんな目的じゃなくてな…そう、勝負だったんだ!ぎゃふんってな、絶対言わせてやろうと思ったんだ……!」
 イルカは、カカシと暮らすことになって、まず一番最初に行ったのは料理を習いに行くことだった。
 なんせ、ろくなもんを作ったことがない。だが、上忍をもてなさないといけないのだ。
 こうなれば徹底的に、文句を言われない程上手くやって、そんな地味ないじめじゃ自分を傷つけられないことを教えてやろうと、思っていた。
(そうだよ…そう思っていたのに…)
「……わりぃ。俺、もう帰るわ…」
 急に疲れに襲われ、イルカは同僚を手放して立ち上がる。
 同僚は頷けるような状態でもなかったが、イルカの視界には上手く入っていないようだった。
「一体、全体、本当なんなんだ」
 呟いて、廊下に出る。
 赤い光が廊下の窓から差し込んでいる。イルカはその中を、一歩一歩ゆっくりと進む。
「訳わからねぇ」
 昨日の男の態度は、行動は、あまり思い出したくない。
 だが、「新手の嫌がらせ」という言葉はあの場ですぐには浮かばなかった。
 男の目は、真剣そのものだったからだ。
(でも。相手は上忍だし)
 自分を騙すことなど、本心を隠すことなど上手いものだろう。
 そこまで考えて、イルカはふと足を止めた。
(そうだ)
 昔、同僚の誰かがとても美しい上忍と付き合っていた。
 短い春で、終わりがきたときに男はやつれていて、だけれどはっきりと言っていた。
「俺から、別れを切り出したんだ」
 みなで何故だと詰め寄った。
「好きだけど…疲れたんだよ」
 男は、ただそういって、本当に疲れたように笑っていた気がする。だから、みな何も言えず、ただ浴びるように酒を飲んで、男を慰めた。
 男は疲れたと、言っていた。
 それは、ただ。
「何考えてるのか、分からねぇもんな…」
 呟いてから、ぼんやりと窓の外を眺めた。
 最初から、本当に訳がわからない。会った瞬間、嫌いと叫ばれ逃げ出され。なのに突然やってきて素顔を見せられ。一緒に暮らすことになり。あげくに自分を好きだと言う。
「……あれ?」
 イルカはそこまで考えて、もう一度一連の流れを考える。
 出会って、逃げ出されて、でもすぐにやってきて素顔を見せられ、一緒に暮らすことになって。好きと言われる。
 これって、とイルカが思った瞬間、後ろをアカデミーの女生徒たちが通り過ぎる。
「でさ、『きみはこんぺいとう』すっごいよかったのよ!」
「ああ。あれいいよねぇ。最初ほれてるのに気づかないで大嫌いとか言っちゃうやつでしょ」
「そうそう。でもそれからさ、好きだと認めてからは素直に迫ってくるじゃない!それが私いいと思うのよ!不器用だけど、素直よね!」
 生徒が、最後に大声で締めくくった。
「最近の『恋愛物』ではヒット間違いなし!」
 イルカは微動すら、できなかった。
(……)
 深呼吸をして、ゆっくりと足を動かすが、すぐに動きは止まる。
(…………冷静に考えると)
 イルカはごくり、と唾を飲み込んだ。
(……………普通の、恋愛の始まり…?)
 指先まで、その考えに硬直した瞬間。
「あ、イルカ先生」
「ひゃ、ひゃいっ!」
 突然後ろから、声をかけられイルカはひっくり返った声を出す。
 振り向くと、そこにはカカシが立っていた。
「迎えにきてみました」
 男は真顔で告げて、それからふとイルカの顔を見つめてきた。
「イルカ先生。熱でもあるんですか?」
 そして手が、近づいてくる。
「っ!」
 イルカは反射的にその手を叩いた。
 しまった、と思った瞬間、驚いたカカシと目が合う。
 やばいと思い走り出そうとしたが、もう遅かった。
「ひどいなぁ。イルカ先生」
「ひ、ひどくなんかありません!つーか、勝手に触るな!」
「まぁまぁ」
 ずるずるとそのまま、校舎の裏手へと引っ張られる。
「なっ」
 にするんですか、と叫ぼうとしたが、それは言葉にならなかった。
 がぶり、と噛み付かれるようにカカシに口付けられたからだ。
(えっ)
 一瞬、頭が呆けたことが命とりとなる。
 あっという間にカカシの舌が割り込み、突然するには濃厚すぎる口付けをされる。
 思わず足がよろめいて、だがそれが悔しくてイルカは自分に気合を入れた。
(こうなったら…勝負だっ!)
 腹をくくってイルカは自分の頭を押さえつけているカカシの首に、腕を回す。
 そして自ら情熱的に舌を絡めた。
(ぐ)
 が。
(ぐぐ、ぐ)
 やっぱり。
(ぐぐぐ、ぐ…っ、…、……っ)
 勝負は、一瞬均衡かと思われたが、案外あっさりとついてしまった。
 倒れこんだイルカを満足そうに抱きしめたカカシが、ちゅっとイルカの額に音を立てて口付ける。
「あ、…あんた、一体どうやったら、そんな技……」
「え?イルカ先生嫉妬ですか」
「……ふざけるな……」
 ああ、ちくしょう。
 と、イルカは心のそこから思う。
 しかし今日は確か帰ればカカシの手料理が食べれるはずだ。
(こうなれば、そこで今度は逆に…俺がいびってやる!)
 そんなことを心に強く、イルカは思う。さっきまで考えていたことなんて、もう記憶の隅におしやられている。
 だから、その間体をまさぐるように動いていた手に気づかないまま、イルカはひたすら闘志を燃やし。

 二人を包むすばらしい夕暮れは、沈んでいこうとしていた。




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