穏やかな一日は、穏やかな朝食と共に始まる。
窓からは朝特有の優しい光が入り、机の上には出汁巻き卵に、焼き魚に、おひたしにみそ汁と漬物。極めて一般的な食事が並べられている。
「あ。まだ食べますか?」
空の茶碗を持ったままでいると、目の前の男が聞いてくる。
シンプルだが、味付けは悪くない朝食。カカシの持っている茶碗は男が指摘したように、すでに空になっていた。
「あ、すみません」
なんとなく言われるがまま茶碗を差し出すと、男がなれた手つきで白いご飯をよそう。
部屋はとても綺麗に片付いているし、忍服も清潔なものに変えられている。
食事も大抵男が作っているし、並外れた好待遇だと思っている。
とても穏やかな生活。
「はい。沢山食べてくださいね」
それを見ながら、カカシは思う。
最初の1日目は、楽しい始まりになりそうだとカカシは思っていた。だがそれから一週間が過ぎた今。
(……何か違う)
この笑顔も。この待遇も。
なんていうか、これは。むしろ。
「イルカ先生!」
思わず焦って食器を机に置き、がっと叫ぶとイルカは少し驚いたような顔でこっちを見た。
「はい、なんですか」
「俺を身近な人物で例えると誰ですか」
イルカは一瞬考えたそぶりを見せたが、すぐに答えてくれた。
「ナルト」
(ああ…やっぱり)
『里一番の業師』の、エリート上忍。
朝から、爽やかに10歳以上年下の部下と、同列にされていた。
「おかしい…」
子ども達に任務をさせつつ、カカシはぼけっと空を眺めていた。
当初の目的では同棲して、いちゃいちゃ仲良くなるはずだったのだ。それなのに、現状はどうだ。
(穏やかではあるんだけどねぇ)
始まりを考えれば、恐ろしい程穏やかだと思う。だけれど、何か根本的なところでずれている気がしていた。
(なんせ例えはナルトだし)
きっと、あそこで元気に走り回っている、金髪の子どものように、男はただ世話をやいているだけなのだろう。
本当はカカシは器用な男で、一人で何もかも出来たし、料理だってちょっとした腕前だ。
だが、ただあえてイルカの手料理が食べたくて何もしないでいたら、あっという間に面倒を見られている子どものようになってしまった。
「恐るべし、イルカ先生ってやつかね…」
「なんだ。お前、またイルカを怒らせたのか?」
「怒らせてなんかなーいよ」
隣からぬっと姿を現したアスマにカカシは軽い調子で答えた。
今日の子どもたちには合同演習をさせている。組み手をしている姿をぼんやり見つつ、危なくなったら止めに入る程度でいいこの演習は、カカシとアスマのいい息抜きにもなっていた。
「そういや、お前今イルカと住んでるんだって?」
「うん。まぁね」
「イルカの奴、気が利くから楽だろ」
「うーん……」
カカシはその言葉に、上半身を起こす。
「別に、あんまそうは思わないんだけど」
「へぇ」
アスマはその言葉に少し目を見開く。
「気を使われたいわけじゃあ、ないからねぇ」
カカシは答えてから、独り言のように呟いた。
「だって、運命の人だもの」
「……ちょっとまて」
そこでアスマががしっとカカシの肩を掴む。
「その1。お前は、一人暮らしが面倒だから、誰か世話を見てくれる奴を探していた」
「何それ」
「その2!お前は女が好きだ」
「別にどっちでもいいけど」
「そっの3!お前は、イルカをからかっている!」
「からかってないよー失礼な」
さらっと答えると、目の前でアスマの顔がどんどんと固くなっていく。
「………本気か」
「いたって」
「…………」
「ちょっと。何その顔」
「…わりぃが、後の面倒はお前みといてくれ。俺はちょっと用を思いついた」
「報告書出す前に戻れよ」
「…おう」
ふらりと、男は姿を消す。
(変な奴)
カカシはあくびを一つし、本当にこれからどうしようかと真剣に考え始めていた。
「ただいまー」
がらっと家の扉を開けると、玄関の前でイルカが仁王立ちをしていた。
油断していただけに、カカシは驚いて思わず後ろの扉にへばりついた。
「な…何、してるんですか」
イルカの顔には鬼気迫るものがある。
「…か」
「え?」
「俺の、何が足りないっていうんですか!」
「…は、はぁ?」
イルカは怒っていた。
今まで一緒に暮らしていて、見たことない程怒っている。出会ったとき以上に怒り心頭、という表情に、カカシは純粋に気圧されていた。
「あんたのために、俺がどれだけ仕事を無理やり終わらせてると思ってるんです!飯だって部屋だって、これ以上無い程やってるのに!つーか、どこに文句がある!何が足りないか言ってみろ!!」
「はぁ。文句なんて無いですよ」
「嘘だ!あんた、ナルトに言ったろ!俺が気が利いてないって…!」
言われて、ふと昼間のことを思い出した。
直接そんな言葉は言ってないにしろ、離れているから聞こえてないだろうと思っていたが、なんとあの子どもには聞こえていたというのだろうか。
カカシはどちらかというと、そのことに軽く驚いた。
「だって、俺別にあなたに世話をしてほしいわけじゃないですよ」
「へ?」
言うと、イルカは本当に驚いた顔をした。
(あ、そっか)
そこでふと、カカシは思いつく。
「でも、あなたに足りないものは1つあります」
「な、なんですか!それは何なんですかっ」
「愛情」
「………は?」
(そうだ)
驚いたイルカを前にして、カカシは確信する。
この生活に足りないもの。
(そんなの、たったひとつじゃないか)
カカシはにっこりと笑って、もう一度言った。
「あなたの、俺に対する愛情です」
「あ…」
「これだけが、足りてません」
「あ、あるか、そんなものぉぉぉぉぉ!!!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るイルカに、さっと近づきその手を握り締める。
「あなた、好きでもない人と毎日一緒に居れるんですか」
「に、任務だと思えばっ」
「なんで、任務になるんですか?」
「あなたが上忍だし、いやがらせしてるからでしょうっ」
「俺が上忍なのはしょうがないとして…いやがらせなんてしましたっけ?」
「十分してるだろっ」
イルカは叫んで手を振りほどこうとするが、カカシがたやすくはずすわけも無く。
「やだなぁ。そんなの。好きな人に、嫌がらせするほど子どもじゃないんですけど」
呟いた瞬間、目の前でイルカが硬直した。
あれ、っと思い呼びかけて見るが、イルカはピクリとも動かない。
「イルカ先生?」
「な、な…っ、なに、なになにを…」
(分かりやすいなぁ)
怒鳴るイルカに動揺するイルカ。
イルカは色んな意味で本当にまっすぐだと思う。
(ま。それが多分いいんだろうけどね)
思わず手を伸ばして、頬を撫でるとイルカは顔を赤くしたまま泣きそうな顔をして睨みつめてくる。
本人は混乱しているだけなのだろうが、カカシは可愛いなぁとか思ってしまう。
(一緒に居るのだけでも、結構満足だったけど)
らしくなく、穏やかな生活に巻き込まれてしまう程。
だけれど。
やっぱり肌に触れると、それは予想以上に気持ちよくて。
そのまま口布を下げ、かぶりつくように口付けた。
驚いていたイルカは口を開いていたから、最初からそのまま濃厚に口付ける。
(美味しい…)
そんな感想は可笑しいのかもしれないが、もっと味わいたくて、舌を絡めとり、それごと寄越せというように軽く甘噛みする。
びくびくとイルカの体が震え、抵抗するのを抱きしめて抑え、逃げ始めるイルカを追いかけるように角度を変えてひたすら嬲った。
反り返る体をひたすら追いかけていけば、やがてイルカが体制がきつくなったのか膝が折れるが、それでもまだ追いかけた。唾液がイルカの頬を伝って落ちる。その様子を見たいとも思ったが、今はこのまま口付けていたかった。
そして、イルカの抵抗する気がなくなったころ、ようやくカカシは最後にちゅっと音を立てて口付けて、イルカから離れた。唾液が糸をひき、ぷつりと音を立てて切れる。イルカの唇が己との唾液で濡れていると思うと、思わずカカシの口元が緩む。
そのまま、ゆっくりとその口元の唾液を舌で舐め取りながら耳元で囁く。
「ね。先生。恋人になって?」
「ふ、…っ」
我に返り、逃げようとするイルカを押さえ込む。
「そのためなら、反対に今度は俺が何でもしてあげますよ?」
その言葉に、イルカの体がぴくりと震える。
「あ。ちなみにイルカ先生に拒否権はありませんー」
「なんですか、それはっ」
「だって、恋人になるのは必須ですから。まぁあきらめてください」
「あ、諦めれるか!」
「先生、本当意地っ張りですねぇ」
「意地っ張りじゃないだろうがっ」
がん、とイルカが再び頭突きをしてくる。
「ふーん、そういうことするんですかぁ。じゃあ俺はお返しとして…」
「ふ、ぎゃぁぁぁぁんぐっ……、……っ」
再び濃厚に口付けられて、イルカの手足がばたばたと動き、やがて糸が切れたようにバタリと落ち着く。
「もう1回、頭突きします?」
「…、……もう、結構です……」
そんなイルカを見て、にんまり笑いながらカカシはこの際、といわんばかりにイルカの肌をゆっくりと撫で、触る。イルカは頭突きでもかましたいのかもしれないが、さっきの行動を再びとられるくらいならと我慢しているようだった。
(あー幸せ)
うっかり一週間も過ごしてしまい、もう少しでこのままひたすら穏やかに暮らしてしまうところだったが。
(ま。まずは恋人のお約束をクリアしないと駄目でしょ)
改めて、そんなことを決意した今晩のはたけカカシであった。
|