俺のせいじゃない!


「あんた、なんで避けないんですかっ」
 殴られて更に怒られる。カカシはこのまま気絶したふりをしたいと思ったが、男の真剣な空気に詰まりながらもなんとか言葉を搾り出す。
「…あ、いえ。だって、…あなた殴りたかったんじゃないんですか?」
「そうだ。あんた、あの子猫どうしたんですかっ」
 叫ぶ男の顔を良く見ると、目の下には隈。
(あ)
 もしかしないでも、カカシはすぐピンときた。殴られたとき肩の後ろに移動した猫をぐるりと回って男に見せる。
「この子…、探していたんですか」
「っ!」
 イルカの顔がぱっと輝く。里内ではたまに動物を探す任務もある。
 もしかしてこの男もそんな任務をおっていたのだろうか。
「よかった…」
 男は嬉しそうな顔で笑った。さっきまで怒っていた顔とは違う、安心した子供のような全開の笑みだった。それが任務を達成した安堵感ではないことはカカシにもすぐ分かる。だからこそ、その無防備なその態度にカカシは思わずぽかんとしてしまった。――もっとも、カカシのその間抜けな表情は火影による口布のおかげで、相手に見られることはなかったが。
「生徒が心配してたんです」
 カカシはその言葉に、止まっていた時が再開する。男が探していた理由をわざわざ自分に話をしてくれるとは思わなかったのだ。
「捨てられてたって泣くんですよ。家で飼うこともできないし、自分は何もできないって」
 まっすぐに語られる言葉に、カカシはなんといっていいのか分からず、ただ素早く飴玉を口に放り込んだ。
 理由を話してもらえることは驚きだったが、実際に話されると対応に困る。そんな自分が情けないがカカシは視線すらどこに向けていいかわからず、ひとまず伏せることで落ち着かせた。
「そういわれたら何がなんでも探すしかないじゃないですか。なのに、怪しい男が猫を持っていくし。あんたが持っていってからの方が大変でしたよ」
 男がからっと言う言葉にカカシは思わず顔をあげる。
「あ、あの」
「はい?」
「お、俺怪しいですか?」
「怪しいでしょう」
 男は即答だった。そのテンポのよさに、カカシは思わず身を乗り出す。
「怪しい、ですよね」
「怪しいですよ」
「ですよね!!!」
 カカシはその言葉に力いっぱい頷き、今度は自分が満面の笑みになった。
(やっぱり火影様の話は勘違いだ)
 自分が格好いいとか言われるなど、ありえない話としか思えない。噂だけではなく、周囲は自分の外見も知っているのだ。それなのに、あんな噂がたつこと自体信じられないことだった。
 酷い言葉のはずなのに喜びを隠さないカカシに男は呆れたような顔をした後、ため息を一つつく。
「銀髪に口布」
 それはなんだろうと思ったが、それは間違いなく自分の特徴だ。男は視界に見えたものを読み上げているのだろうかと、カカシは首をかしげつつも頷く。
「隠された片目は写輪眼」
 それも正解で小さく頷く。
 男は重い息を吐いてから、言い捨てる。
「てことはだ。あんたの名前は――」
「ぎゃーーー!!!」
 カカシはそこで悲鳴をあげた。
 よく考えれば、自分の実態は見せるなといわれていたのだ。ということは、今目の前に居る自分が、普段どおりの自分が『はたけカカシ』だとばれたらまずいという事態だったのだ。
(そ、そうだった…)
 だからこそ自分は持てる最大の手段――芋羊羹による買収を図ろうとしていたのではなかったか。
 別に自分が格好いいとか、そんなデマやくだらない話はどうでもいいのだ。火影に念押しされていたのは、『世間ではそれで通っている』という事実だけだったのだ。
 チラリと目の前の男を見れば、突然悲鳴をあげて顔色を変えた自分を怪しそうに見ている。
 思わずカカシは立ち上がって鏡を見る。写る顔は見慣れたものだ。
 銀色の髪。口布。
 完全に先ほど男が特徴としてあげたものと一致する。そしてこれは、イコール『はたけカカシ』の特徴として定着している。
(ん?)
 ということは、特徴を変えればいいのだろうか。
 カカシはふと口布を下ろして、もう一度男を見た。
 だが、普段意識しないのだが口布がないともろに視線を感じる気がする。一瞬にしてカカシの思考回路が固まる。
 これから一体何をどうして男に説明をすればいいのだろうか。
「あ、あの俺」
 イルカは無言だ。そうなると余計言葉が喉に張り付く。
(喋らなきゃ喋らなきゃ…!!!)
 焦るがなかなか喋れない。手が不自然に動く。
(そうだ)
 極限の状態がなせるわざか、カカシはふと己の気持ちを最大に伝える方法を思いついた。
 だからはたけカカシは。
 己のとれる最善策としてその場に勢いよく――土下座した。
「すみません!本当なんでもしますから、黙っていてくださいっ」
「は、はぁっ!?」
 驚いたのは目の前の男だ。
「俺のおやつが…いえ、口止め、姿止め?なんだろ。とにかく喋るなって言われてたんですっ」
「な、何をっ。ちょ、」
「あなたが黙っていてくれないと俺の芋羊羹、いやこの里から追い出されてしまうかも…そうだ!追い出されるんだ、これはもしかしてっ!」
「だから、ちょっ」
「お願いなので、この部屋でみたものは――」
「うっせぇぇぇ!」
 ガン、と男の拳が再びカカシの頬にめり込む。
 少しだけ吹き飛んだカカシの側に男は近寄りその肩をがしりと掴んだ。
「落ち着けってんです」
「はい……」
「よく分からないですけど、俺はこの部屋であなたを会わなかったしみなかった。それでいいんですか」
「は、はい!」
 カカシは男の言葉に勢いよく顔をあげる。それを一瞬男は驚いたように見て、少し視線をそらした。
「理由は聞きません。この子の御礼です。代わりにこの子は貰ってきますよ」
 カカシはそれには即答できなかった。
 とてもまだ一人では生きていけないような子猫なのだ。譲っていいものか一瞬迷う。
 だが、目の前の男は口調も乱暴だし、手も出やすいがどこか優しく暖かい空気を持っている。
「分かりました」
 頷きながらいうと、男は少し嬉しそうに笑った。どうやら一瞬、カカシが何を迷ったのか伝わってしまったようだった。
「あなた、変わってるけどいい人ですね」
 それは生まれて初めて聞いた言葉だ。
 唖然としていれば、男はさっと立ち上がる。
「長居しました。それになんども殴ってすみません」
「あ。いえ。全然構いません!それくらい!」
 幾らでも殴ってくれと言わんばかりに言えば、男は呆れたようなため息をつく。
 そしてすぐに背中を向ける男に、カカシは慌てて呼びかける。
「あ、あのっ。名前聞いてもいいでしょうか」
「――うみのイルカです」
「イルカさん……」
 頭の中でも忘れないように復唱した。
「俺ははたけカカシです」
 名乗ると、目の前で男は数秒表情を止める。それをみて、カカシは己の失態に気付く。
 知らないふりをしてくれとお願いし、そもそもイルカに己の名前を言わせなかったのは自分なのだ。
「い、いえ!今のは嘘です。多分知ってたと思いますけど、嘘ですっ」
 イルカが突然小さく噴出した。
 楽しそうな笑いを、カカシはどこか呆然と見つめる。嘲るようなものではなく、その笑いは軽やかで、カカシは注意を外せない。
 体が少し熱い。そして胸が煩いほど鳴っている。
「……まぁこの家であったことは忘れる約束ですから」
 言いながらイルカは扉から消えた。
 カカシは誰も居なくなった部屋でぼんやりと扉を見つづける。
 誰も部屋からは居なくなったが、胸はまだ煩い程鳴っている。
 はたけカカシ。
 ぼこぼこの顔で立ちつくしつつも、よく晴れたこの日は。

 うみのイルカに、恋に落ちた記念日だった。