恋よりも愛よりも



 カカシの瞳が見開かれるのを見て、イルカは死にたくなった。カカシならば、自分がどんなくだらない言葉を吐こうか、感情を持とうが、けなすことや捨てることはあっても、無視をすることがないと分かっていた。
 カカシに向けた、それこそ好意に類するこの感情。だから必死で、カカシの好意など気づかぬふりをしていたのだ。
 裏切られたり、劇的に世界が変わることなどもう勘弁して欲しかった。だから、何も手に入れなければいいと思っていたのだ。同じ方向を向いた思いがぶつかることなど、ありえない。信じられない。起こってはいいことではない。
 そもそもカカシなど雲の上の存在で、絶対に近づくことなど無い存在なのだ。
 なのに、この男は。
 近づいてきて、自分に執着を見せて、あげく自分に対し―――。
(絶対に、信じない)
 イルカは頑なになるしかなかった。そんなことは、あるはずなかったことなのだから。
 女の声はもう聞こえない。カカシを呼ぶのを諦めたのか、それとも探す場所を変えたのかは分からなかったが、イルカは静かになった空気に軽い眩暈がした。
 揺れる体を支えようと思う前に、どん、と体が瓦の上に押し付けられる。
 押し付けてきたのは、当然だがカカシだった。口元に冷酷な印象を与える笑みが浮かんでいる。
「ああ、ようやく言ったね。あんた」
「え?」
「何度も、あんたを殴りたい衝動にかられてたけど…我慢しててよかったよ」
 イルカは指先が震える。
(まさか)
 口元を思わず覆う。
「そ。解術は、あんたのその一言にかけてたわけ。馬鹿だね、イルカ先生」
 わざと優しく語尾を囁かれる。
「ふざけ、ふざけるな…っ」
「ふざけてなんか無いから、それ以上無駄なこと言うなら殺すよ」
「そうすればいい!」
 叫んだ瞬間、噛み付くような口付けをされた。息苦しくて暴れるが、抵抗は抑え込まれる。息が出来ない。粘着質な音が響く。心臓がわしづかみされるような口付けだった。同時に、露骨に股間を刺激され、イルカは思わず小さく悲鳴をあげる。
「好きにしていいってことだよね、それ」
「なっ」
「殺されてもいいんでしょ?なら好きにするよ。もともとあんたの言葉なんて、どうでもいい」
 ばっさりと切られる。
「あんたの言葉は、嘘ばっかだからね。駄目な先生だよ、本当」
 イルカの口元の涎をカカシの指が拭う。それを擦り付けるように、首の動脈を撫でられる。ぞくりとしたものが体を走る。
 イルカは初めて、心の底から恐怖を覚える。
 投げやりに体を捨てて、心だけはと抵抗をしていた過去の方がまだ何倍もましだ。
(つかまれた)
 全てをこの男の手に。
 泣きたい。だけれど同時に、どこか安堵するような、暖かい気持ちも湧き出てくる。それにこそイルカは必死に抵抗する。幸せになど憧れるなと。二人の色が、感情が同じ方向にぶつかるなど、そんなことを認めるわけには。
「あんたは、どうせ傷つくんだよ」
 からかうようにカカシは笑う。
「傷つくしかないから、諦めな」
「っ、あ、あっ」
「だってあんた本当に駄目なんだよ。せっかく偶然も味方をしてくれたのに。死ぬ気で逃げればよかったんだよ」
 冷たい手が直接性器に触れてくる。動けば体がずり落ちそうで、イルカはろくな抵抗が出来ない。カカシになれた体はすぐに良いようにされてしまう。
 触れられるたびに臆病な心は傷き涙を零す。触れられるたびに、浅ましい体は喜び涙を零す。恋よりも愛よりも、もっと本能に近い感情が体の隅々を支配していく。
 先走りをまとった指が後ろに突き入れられる。イルカは思わず悲鳴をあげる。無理やり動かされる指が痛い。だけれど熱い。体の芯に響くその熱さが怖くて悲鳴をあげるが、それは何の役にも立たない。そう、言葉は何の役にも立たない。本気の篭っていない言葉など、何一つ。
(月が)
 視界に映る。カカシは何も言わず、いつもただそれを見ていた。
 本当のことだけ、本気になっていいことだけをカカシは口にするのだろうか。そんな潔癖さが、カカシの中には確かにありそうで、それがどこか可哀想にも思える。きっとカカシは一生、好きだとか、愛してるとかそんな言葉は吐かないだろう。ただきっとその手で、イルカを捕まえ、嬲り、執着し、遊び続けるのだ。
 熱い質量が中に入ってくる。すぐに動き出すそれに、イルカは短い悲鳴を上げ続ける。
「ひぃ!まってぇ、あ、あ、ああっ」
 カカシの上に座らされたまま動かされる。場所が場所なだけにあまり派手に動けないようだが、それでも体を上から押さえ込まれたまま中をかき回すように動かされれば十分辛い。感じすぎて辛い。
 張り詰めた性器も容赦なく男の手がなぶる。先走りを塗りこめるように先端を弄られ、その快感にイルカは息を呑む。涙が壊れたように零れ落ち、口は言葉の紡ぎ方を忘れたように荒い呼吸だけを繰り返す。
「イルカ、先生」
 名前を呼ばれ、イルカは一瞬だけ意識が戻る。そのままぺとりとカカシに倒れこむように体重をかけた。肌がしっとりとぬれている。
 酷い男が二人。
 自分の細かい感情など最初から気にもしていない男と、臆病すぎるが故に見ない振りを望み心だけはと違う方向に逃がし続けた男。
「カ、カシさん」
 名前を呼べば、動きが再開される。あっという間にイルカは上り詰めるがカカシの動きは止まらない。
 苦しい痛いきつい。
 もう開放される道も、逃げ出す道も失った。だけれど今体の奥に感じる、表現できないこの感覚は。
 イルカの手が、それを引き止めるかのようにしがみつく。
「ああ、それいいねぇ」
 みなの前で出される優しい声が、本当は偽者でもないことは知っていた。今こうして耳元で出される声もひどく優しいものを含んでいることも。
(本当に俺は、ろくなことを考えない)
 だからきっと、この男を好きになってしまったのだ。
 イルカは鳴き声をあげながら、月の下でただ快楽の声をあげ続けた。