■ 復讐物語 ■ |
「本当は、俺、…今日から先生と口ききたくねぇ」
なんだそりゃ、と言う前に、イルカの言葉は飲み込まれた。
振り向いた場所にいたのは、今日は別の先生にお願いしている自分のクラスの生徒。だが、その顔は酷く憔悴し、ついでに手元にはなんだか物騒なものを色々持っている。
「気づいたら、すっごい一生懸命トラップを、夜ずっと考えた」
「…考えるのはいいと思うぞ」
「イルカ先生は、どんなのに弱い?」
「……。そんなまっすぐな瞳で聞くのか、お前は」
イルカは訳が分からないが、妙な気迫に若干押され気味だ。
「落ち着けゆかり」
イルカは目の前の生徒の名前を呼んだ。職員室に入ろうと、扉に手をかけていたが、それも外してゆかりと真正面から向き合った。
「一体、何があったんだ?」
「何ってそれは……」
ゆかりは口を開きかけて、だが結局は何もいわず口を閉ざした。それでもイルカがまてば、ゆかりの口から小さな呟きが漏れた。
「なんで、……なんだよ…」
「え?」 呟くような声が聞こえず、イルカは体を寄せる。
「…分からないのかよ」
分からない、という単語にイルカはドキリとする。その言葉に、昨夜のカカシを思い出したからだ。
思わず不自然に震えたイルカに反応するように、ゆかりは真剣な瞳でイルカを見てはっきりと言った。
「先生こそ、なんで、あいつなんだよっ」
言い終わった瞬間、がしゃんと派手な音がして、職員室の扉が廊下に倒れこんでくる。その後ろにいるのは、見慣れたイルカの職員室仲間だ。
「……ちょっとまて。お前ら何してる」
「あはは。いやーこの扉硬くってさ。あかなくてみんなで苦労してたんだよ。な」
「なーっ」
イルカが同僚に向かって、一言以上の文句をいおうとしたとき、ゆかりが叫び声をあげた。
「あいつが好きなのかよっ」
おおおっと周囲がその発言にどよめく。
三角関係、三角関係、と誰かが呟き、それってどんな意味だったかとイルカは頭の片隅で思う。自分、ゆかり、くさの。だが自分にはカカシが居る。
「違う。四角関係だ」
「っ!」
ゆかりは息を呑み、周囲は驚きで息を呑む。
イルカは、激しく間違っていた。この二組に恋愛での絡みなど、何一つ無いというのに、物凄い勢いで根本を間違えていた。
そしてその発言をまともに受け取った職員室仲間は、負け戦だと分かっていて挑んでいる生徒に同情的だった。
「ゆかり、あんたもいい男よ。でもね…悪いことはいわないわ。この勝負諦めなさい」
「そうよ。勝負にならなもの」
なんせ相手はカカシ上忍。
その言葉は特に意図したわけじゃないが飲み込まれていた。それがゆかりに更なる誤解を招く。
ゆかりはクサノが好きで、イルカに興味などかけらも無いし、イルカもゆかりやくさのに恋愛感情など一切持っていないというのに、話は進んでいってしまう。
「わかんねぇよ…。俺は、思うままにやる」
ゆかりの発言に、教師陣から感心の声があがる。
「とにかく、金輪際、俺が見ているうちには、絶対触れさせねぇからなっ」
「おお! お前、がっつあるな」
「すごいわ、ゆかり!」
「…ちょっとまて。とにかく待て! お前らが居ると本当に会話が進まねぇだろがっ」
イルカはきっぱりとまずは言い切り、それからもう一度ゆかりを見た。
「で、なんでだ?」
「なんでって…そりゃ、自分の好きな奴が、他の奴に触られてるのを見ると、心底腹が立つ。俺、先生も好きだけど、それでもやっぱり…」
ゆかりが苦しそうに呟いた。
それを見て、イルカは電撃で撃たれたような衝撃を受けた。
(あ)
昨日、くさのと話をしていたときの体勢を思い出す。
「そりゃそうよね〜自分の好きな人が別の人と仲良くしてる。辛いわ!」
「ボディランゲージなんてくそ食らえよ!!」
何かあったのか、妙に辛らつな言葉を吐くくのいち達と対照的に、男陣はそれとなく言葉数が減っている。だが、その彼女たちの会話も全て、イルカには突き刺さっていた。
(そう、か)
イルカは突然理解した。
くさのに抱きつくような体勢に、怒るゆかり。
『抱きついて』
あの日のカカシ。
最初から、そして最後まで様子が変だった。
(カカシさんは、ずっと―――悲しんでいたんだ。怒っていたんだ。辛かったんだ)
あの人は自分を好きだと言った。
気づけば、自分はその言葉を信じ切れなくて、理由を自分なりに、一生懸命探していた。だがそれは、カカシにとってみれば。
(ずっと、否定してたんだ。俺は)
全く信じていないような言葉を吐き、そして傷つけていた。
一緒に居る意味すら、完全に否定しようとしてしまった。
(俺は、好きだから…恥ずかしくて、あの人を抱きしめられなかったけれど。もしかしてあの人も昨日、見ていたのか)
そして、目の前のゆかりと同じような気持ちになったりしたのだろうか。
傲慢かもしれないが、そんなことをふと思った。
「好きだ……」
「え?」
イルカの呟きに、皆が驚いたように顔をあげた。
「好きだし…いや、つーか」
好きだ、という言葉じゃ駄目だと思った。あの男がくれているもの以上のものを持っていることを、示すには。
「俺と結婚してください!」
「イ、イルカ?」
「せ、先生っ!?」
相手は生徒だぞ、と見当違いなことを叫ぶ声や、周囲の動揺を視界から捨てて、イルカは力一杯叫んだ。
「カカシさんっっ」
叫んだ瞬間、ぼんっと煙の音が聞こえ、そしてイルカは体に巻きつくものを感じた。それは確かめるまでもなく、カカシの腕だと分かった。
「俺は、やっぱりさっぱり悩むのが似合わないから、先に聞いときます」
「…なんでしょう」
突然現れたことにイルカは驚いていなかったが、むしろ驚いているのは周囲だ。完全に皆言葉をなくしている。
「あんた、なんで俺を好きなんですか。あんたが俺を好きってのを疑ってるわけじゃあないですよ。だって俺は…」
イルカはちらりと周囲に視線を流してから、続ける。
「面白いくらいがとりえの人間ですし。あいつらに言わせると」
「ぐはぁっ!」
ゆかりが居るのにからかうように騒ぎすぎていたことを諌めるようにいってみれば、同僚らは予想以上の衝撃を受けている。それもかわいそうで、イルカは結局フォローを入れる。
「でも、あいつらに言わせれば俺は、あんたと結婚した方が幸せらしいんですよ。まぁ結婚は結局火影さまにも却下されたみたいですけどね」
イルカは話をすればするほど、体が、胸が軽くなるのを感じる。
最初から無理をせずに、こうしてちゃんと向かい合って話をすればよかったのだ。
「結婚なんて形にこだわるつもりは欠片もないですけど、俺にとってもあなたは大切な人なので。たとえ上忍じゃなかろうと、顔が最低だろうと。だから……」
イルカは顔をあげて、じっとカカシを見る。
周囲は気づけば静まり返って、イルカの次の言葉を待っている。
好きと言って、真面目なイルカから結婚なんて単語までもうでてきている。これ以上一体何を言ってくれるのかと、期待やらなんやらで同僚らは真剣だ。
「俺と付き合ってください」
いろんな意味で、廊下はとてもとても、静かになった。
「……ねぇ先生、ちょっとまって。あんた、今までは何のつもりだったの」
「……言われてみると、なんでしょう? や、だから悩んでたんじゃないですか、俺」
「あんたは俺が好き。俺もあんたが好き。ならずっともう両思いでしょうが」
カカシは疲れたように、だが嬉しそうに笑う。
晒された素顔はやっぱり格好よくて、イルカは視線をそらしたくなるが必死に耐える。後ろでうっかり顔を見てしまった同僚達は声にならない悲鳴をあげているのを気配で感じた。
「言われてみるとそんな気がしてきました…って、なんなんですか! そんなこと言ったら悩んでいた俺が馬鹿みたいじゃないですかっ」
「…イルカ。お前が馬鹿なんだよ…そもそもお前は、三角関係と四角関係をちゃんと学んで来い」
同僚の呟きにカカシは頷いて、言葉をつけたす。
「あとね、誤解を生む言動は控えてよ。まぁこれだけはっきり言えば平気だろうけど…、ねぇあんた」
「…なんだよ」
木の葉でも有名な銀髪の上忍に話しかけられて緊張しつつも、それでもゆかりはぶっきらぼうな答えを返した。
「ごめーんね」
「え?」
だが、さすがに上忍に謝られるとは思っていなかったようで、物凄い間抜けな声を出した。
「この人が、迷惑かけちゃったね。まぁでも、こんな訳だから、気にしないでいいよ」
「あ! そうだ。ゆかり。すまん。なんか、話が混ざっちまったが…昨日のくさのの件だったんだよな?」
今更だが、ようやくイルカに話の本題をまともに返されて、もう必要なかったがゆかりは頷く。ゆかりは思うままに行動したおかげで、今日はちゃんと眠れそうだと、こんな 目にあいつつもすがすがしい気持ちだった。
「すまん! 本当悪かった! 昨日あいつがあまりにも寒そうだったから…」
「……ねぇ。あんた前に俺が布団の話をしたときに、なんて言ったか覚えてますか?」
「え? 何か言いましたっけ?」
「じゃあ今年の冬は、布団いらないね」
一瞬遅れて意味を理解したイルカは思い切り叫んだ。
「いるに決まってるでしょう! 布団はそのためにあるんですよっ」
「だから目的を達成できればいいんでしょう? なら問題ないよ」
「う。だ、だからそういう訳じゃあ…」
「じゃあどういう訳? ほら、まぁもういいじゃないですか」
「う、う…っ」
すっきりとしないが、話はまとめられて、カカシはイルカを肩に担ぎ上げる。同僚らがそれにおおお、っと声をあげる。
「ちょっとだけ、ついてきてもらっていい?」
「人を担いでから言うなっ」
「まぁまぁ」
ばっとすぐに視界が切り替わる。背後から『幸せになれよ〜』と聞こえたことは、この際空耳としておきたい。
カカシはどこかに向かって走っているようだった。
「今日、これから任務なんです」
だが、カカシそのその一言にイルカは意識をもっていかれた。
「本当は、少し頭を冷やそうと思って…さっきもそれを言いたくて、傍にいたんです」
カカシはイルカを屋根の上におろす。
「イルカ先生」
カカシは少しだけ真面目な声を出す。
「俺はね、あなたに好かれてなくても、寂しくないように出来るならいいと思ってたんです。でも、それじゃあ駄目だって思いました」
カカシはいつものように穏やかな声で、優しい空気でイルカを包む。
「俺はあんたを好きで、あんたも俺が好きになる。そのときが、一番幸せだって、さびしくないって思ったんです」
「――正解ですよ」
ついでにその状態が、悩まなくてよさそうなのでいいと思います、とイルカは笑った。
笑って、カカシに抱きついた。
カカシにこうして抱きつくのははじめてだと思ったが、悪い気はしなかった。ぎゅっと抱きしめられて、それがとても心地よいと思う。
「今回は待ってますから、無事に帰ってきてくださいね」
「はい」
「…好きです」
「俺も好きですよ」
囁かれて、音を立てて頬に 口付けられる。
喋っている言葉を意識すると、顔を見るのは、叫びだしたい衝動を抑えるのが難しいくらい恥ずかしかったが、見ほれたいならもうそれでいいと腹をくくった。
自分がこなれてなかろうが、カカシが何かに慣れてようがもてようが、格好よかろうが、あの人は自分を好き。それでいいと思った。それを、信じられると思った。
カカシの姿は消えさったが、イルカは暫くその場に立ったままでいた。別に、別に寂しいとは思わなかった。
(不思議なくらい、寂しくない)
前を見ているからだろうか。
隣に人が居なくとも、自分の未来には、あの人が居ることを確信したからだろうか。
イルカは笑って、それから、屋根から飛び降りる。
カカシはきっと、さほど長期にならず帰ってくるだろう。だからそれまで自分は元気に過ごすしかない。
「よし!」
まずは、アカデミーに戻り、同僚らに少し文句を言って、ゆかりとくさのを誘って帰りには飯でも食べに行こう。
そんなことを思いながら、イルカは軽い足取りで駆け出した。
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