中忍自身 


「空が青いな……」
 空は青。手にはお茶。
 そして切羽詰った任務が舞い込むこともなく、生徒はそれなりにまっすぐ育っているこの状態。
「平和ですねぇ」
 傍にいた同僚がにっこりと笑ってそんなことを呟く。
 その同僚の視線は、空を見ることも、茶を見ることもなく、限りなくイルカに注がれていた。
「うふふ。そうよ! イルカ先生ったら、幸せそうですねぇ」
 声と共に、更に別の同僚がやってくる。
「は…?」
「本当だよな。最近上の空ばっかじゃねぇか」
 更に更に、と気づけばイルカの周囲は中忍仲間で囲まれていた。
 そう。
 同僚らはまっすぐなイルカをからかうのが――もとい、イルカと話をするのが、実は大好きだ。前までは、結構あっさりしているイルカに、飲み会のとき意外は長時間かまうネタが無かったが、最近色々絡むネタができて、かなり喜んでいることは一応イルカには秘密にしている。
「ちょっとまて、お前ら」
「いいよなぁ春。幸せ。俺にもこないかなぁ」
 いつもなら聞き逃してもよかった。
 だが、今のイルカには聞き捨てなら無い。
(誰が幸せだってんだ)
 イルカは、絶対にこれだけは訴えたいと叫び声をあげた。
「よーく見てみろ! どこの世界に、こんだけ隈をつけて、疲労困憊な顔をして幸せな男がいるんだ」
 指差す己の顔には、一目で分かるほど、くっきりとした隈がある。
 イルカとしては真っ当な訴えのつもりだったのだ。
 なんせ連日、(勝手に)カカシと攻防戦を繰り広げているおかげで、肉体的な疲労ではないが、精神的な疲労はかなりたまっていると断言できる。
 更に今朝も、この酷い隈についてカカシとどうでもいい会話を繰り返し、もう既に色んな意味でイルカは疲れ果てていた。
 その根拠があるからこそ、イルカもいつもより、数倍きっぱりした口調で言い切った。
 が、言い切った後に、ん、と首をかしげる。
 恋人がいると思われていて、連日疲労の濃い顔。疲れた顔といっても、悲壮な顔をしているわけでもない。
(……あれ?)
 同僚はうんうん、と頷きつつイルカの肩にポンと手を置いた。
「だから、それがお前だろ。みなまで言うな。分かってる」
「違う! ちょっとまて! 新婚みてぇな誤解をするなっ」
「え? やーだー。イルカ先生ったら、新婚だなんて」
 都合の悪い部分は聞こえないのか、きゃーっと職員室で黄色い悲鳴があがる。
 なんせこの職員室のメンバー。過去、火影になんともくだらない嘆願書を出してくれたメンバーなのだ。一筋縄でいくわけも無い。
 だが、このメンバーだからこそ、イルカがカカシの任務を追いかけていくときの、授業の代役なども快く引き受けてくれたのも事実だ。
 そういう意味では頭があがらない所もあり、イルカは大きくため息をついた。
「だって、イルカ先生一番玉の輿なんて興味なさそうだったのに、とってもいい所捕まえたんですもの」
 噂の美人なくのいちが、ため息とともにそんなことを呟く。
「いい所?」
「いい所でしょう。だって、顔をも良くて」
 その顔がいいのも問題なんだよ、と叫びたかったが口を挟む隙が無い。
「高収入で、顔もよくて腕もたつ」
「おまけに性格もいいんだろ?」
「ほーら、何一つ文句なんて無いじゃない」
 言われてイルカは、初めて一つの大きな事実に気が付いた。
 そりゃ顔がいいことはこれ以上ない程身をもって思い知らされているし、相手が上忍だということも、上げ膳据え膳ではないが、食事の準備をかいがいしくされつつも頭の隅では『そうだよ、この人上忍なんだよな』程度には今でも思い出していた。
 だが。
 上忍ということを抜きとしても、まだ顔にお金もついてくるし、実体験のため大きな声じゃ言えないが、寝技もついてくるに違いない。
 そんな、物凄い出来た男なことに今更イルカは気が付いていた。
「…更に言えば、料理も美味い」
「ほらっ! 完璧じゃないっ」
 落とすところが見つからず、結局ポイントを上げるようなことを呟いたイルカに、くのいちはまるで勝った、と言わんばかりに言い切る。
 だが同僚達も、いつまでも呆然としたまま立っているイルカの様子がおかしいことに気が付いていく。
「イル、カ?」
「イルカ先生?」
 イルカの後ろは窓で、青い綺麗な空が見える。
 それに反するように、イルカの表情はだんだんと険しく、なんともいえない表情になっていく。
「俺は」
 イルカはまるで自分に言い聞かすように呟いた。
「中忍で」
 皆がイルカの声に頷く。
「しかも、万年中忍で」
「…万年は言い過ぎだろ」
 イルカの様子に、同僚は思わずフォローを入れるが、イルカは無理をしないでいいというように軽く首を振る。
「いや。中忍なのはいいんだ。仕事も満足してるからな。やりがいもあるし。比較としての話だ」
 イルカは、己が冷静であることを、きっぱりと知らせた。
「で。俺は、収入もたいしたことねぇし、料理だってうまかない。顔だってごく普通なもんだ」
 そこまで言い切ってから、イルカは集まっている同僚達の顔を見る。
 少し前なら、こうして皆に悩みを相談する。打ち明ける、ということ自体思いつかなかったが、今はこうして自然と言葉がついて出てくる。
 そもそも悩みなんて、少し前は無いと思っていた。深く考えないでいいと、己に言い聞かせてなんとかなってきていた。
 だが、今はこれ以上無い程、己の中でくすぶる悩みを感じている。
 同僚らは全員真剣な瞳でイルカを見ている。みなが、イルカの次の言葉を待っていた。
「なのに―――なんで、あの人俺を気に入ってるんだ?」
 場は、これ以上無い程静まり返った。
 いっそ聞けるなら、多分この同僚達がそれを一番聞きたかっただろうが、聞きたかった本人から逆に問い返されてしまえば、さすがの同僚達も黙り込むしかない。だって、思いつかないからずっと聞いてみたかったのだ。
 チク、チクと時計の針が進む音だけが響き渡る。誰かがその沈黙に、微妙な音に耐えかねたように叫び声をあげる。
「せ、性格だろ!」
「カカシさんみてぇに優しくない」
「い、いい奴だからだろ! お前は俺達にとって、かけがえのない友人だ」
「…いつも『いい人よね』って言われたな、そういえば」
「………」
 思い出すように呟けば、何故かその場は余計静まり返ってしまう。
「つーか、イルカといえばあれだろう!」
 その沈黙を再び破るように、同僚は叫んだ。
「面白い。見ててあきない!」
「そうだ! それだよっ」
「そうよ。それに違いないわ。うんうん、決定よ」
「よね! イルカ以上に面白い奴なんていないわよっ」
 みなは、それを聞いてそうだそうだ、と口々に言い出す。
 お前は面白いからな、と叫ぶ皆の言葉が重なり、まるで合唱のようになっている。そんな訳の分からないものを聞きながら、イルカははっきりと思う。
(相談したメンバー、間違えた…)
 そんなことを思いつつも、自分の価値について、イルカは深く考えるのだった。





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