砂糖と蜂蜜 


 焼き魚と大根おろし、なすのみそ汁、胡麻とほうれん草のお浸し、手羽の甘辛煮、数種類の漬物――綺麗に整えられた食卓を前にして、イルカの食事は全く進まなかった。
 好き嫌いはとくに無いし、むしろつくられた料理が、自分で作るよりもはるかに美味いことは十分承知している。
 むしろ、問題は別の所だ。
「どうしたの? あんま食べてないね」
「い、いえ。 食べてますよっ食べてっ」
 そう。問題なのは、食事では無く、この目の前にいる男だった。
 イルカは焦ったようにふっくらと炊かれた白米を口に運ぶが、今度はイルカが見ていたことに対する仕返しとでも言うように、男の視線をイルカは嫌という程感じる。魚を、手羽を食べようが、その視線は自分から外されない。
「…何か、他に?」
「イルカ先生を見てるだけです」
「今は食事の時間なんですよね?」
「食べながら見てもいいですよ。イルカ先生の顔見てる方が、ご飯美味しいですし」
 イルカは本能がその言葉を拒んだのか、気づいたら物凄い勢いで机に頭を打ち付けていた。当然、食器の置かれていない場所にだ。
 数秒そのまま動けなかったが、イルカはがばりと顔をあげ、さっきまでの自分を棚上げし、思い切り腹から声を発した。
「じろじろ見られたら、俺が! 食えるもんも食えねぇだろうがっ」
「あ、よかった。元気じゃない」
 男は怒鳴られたというのに、嬉しそうに微笑んだ。
 そういう話ではない。
 そんな話をしていたはずじゃない。
 と、心底思うがイルカはわなわなと体を震わすことしか出来ない。
 なぜなら、もうそれは極上の笑み。イルカは思いの全てを一言に集約して、悲鳴で人を殴れるんです、というくらい力をこめて叫んだ。
「わ、猥褻物――っっ」
 イルカが食事を出来ない理由。
 それは目の前の男、はたけカカシが有名な上忍であることは関係なく、ただ世間一般の価値観の中でも、べらぼうに顔がいい、というところにあった。
 イルカはその尋常ではないカカシの色男ぶりを、照れも重なって、猥褻物やら公序良俗違反やら酷い物言いをしてしまう。
 今までそれについて特に何か言われたことはなかったが、どうやらそれは言われている本人も少しは気にしていたらしい。
「…イルカ先生、よく俺のこと猥褻物っていうけど、まだ猥褻なことしてないんだけど」
「なんですか…そのやりたいことを前提にした言葉は」
「え? だってやりたいじゃない」
 微笑む顔のエロさに、イルカは顔が一気に赤くなるのを感じた。もう言葉すらろくに出ない。
 カカシを戦場に探しにいき、里に戻ってきたのは一ヶ月前。それから半月程男は入院していたが、退院してからは当然のようにこの家にまた戻ってきた。戻ってきたことにイルカは今度は文句が無いし、ホモだろうがもうしらねぇと開き直ってしまえば、人と一緒にすむ生活はそれなりに楽しい気がしていた。
 が。
(慣れねぇ…)
 イルカは、どうしてもカカシの顔に慣れることが出来なかった。
 整っている顔は、普段あまり表情が無いが、微笑んだり、少し目を細めるだけで、酷く卑猥だったり、見ほれさせるような魅力が溢れ出す。
 いっそ一緒に食事などしたくない、とも思うが、カカシが違うところで飯を食べるのもそれはそれで寂しい。
 この葛藤する気持ちをどうすればいいのか、イルカは自分でも激しく悩んでいた。
 その上、この男は自分の動揺などお構いなしだし、更になんといっても自分と違って、人と付き合うことに――色恋沙汰に、酷くなれている気がしたのだ。
「はい、あーん」
「え? ぐはっ」
 かけられた声に顔をあげれば、お浸しを口につっこまれる。
「次は何がいいですか? 手羽? 魚?」
 表情は優しく、器用な指が手羽の骨すらとって、口につっこんでくる。
「お、んぐ。俺は! 一人で飯くらい食べますよっ」
「え」
「え、じゃねぇだろうが!」
「まぁまぁ。別に一人で食べないといけない、って決まりはないでしょ。はい、手羽。味わって食べてね。結構時間かかったんだし。柔らかいでしょ」
 言われてゆっくり味わえば、それは確かに柔らかく、よく味がしみこんでいる。自分一人では決して作らない一品だ。
(俺だって、次はちゃんと作ってやるさ)
 カカシは、自分の手料理に文句を言ったことなど一度もない。もともと食事にあまり時間をかけないイルカは、つくるとなると野菜炒めや、カレー、ごった煮などの一品料理だけですますことが多い。それに対してカカシが文句を言ったことは一度もないし、いつでも美味しそうに食べてくれる。
「明後日を見ててくださいよ」
「別にいいのに。イルカ先生の作るものなら、何でもいいし」
「それは、俺の手料理がまずいってことですか?」
「先生と一緒に食べれれば、何でも美味しくなるもの」
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
 ふざけんなっと、側にあった座布団を投げつけるがそんなのに上忍が当たるはずもない。
「食事中にあばれちゃダメじゃない。それとももう終わりなら…」
 意味深に繋げられた言葉に、イルカは本能的に箸を掴む。
「食べますっ。飯! もりもり!」
「一杯食べてくださいね」
 言われて、ようやく本当に飯の味を楽しみながらイルカはかきこんだ。
 何度も思い出すとしても、一つの悩みが持続しないのが、やっぱりイルカなのであった。




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