SatisfactionWarsより



「改めまして、健二くんの『婚約者』夏希です」
 濃い青髪をした女性が笑顔と茶目っ気をこめて挨拶をすると、程よく酒のまわっている周囲から楽しそうな声があがった。
 街を出る前夜。
 健二達は今更といえば今更だが、小磯の皆に夏希望を正式に依頼主として紹介をした。彼らは基本、隊長の決定に逆らわない。意見や軽い文句を口に出すことはあっても、決定をすることは健二の仕事だと分かっているのだ。
 重い展開でなければ、まず隊員の誰かが鹿爪らしい表情でお決まりの言葉を口にする。
「ま、隊長さんの決めたことならなぁ」
「しょうがねぇ」
 そして弾けるような粗野で乱雑だと称される笑い声か、にやつくような笑いで包まれる程度だが、今日は違った。
「とうとう隊長も身を固めるときがきたか」
「隊長には良い相手なんじゃねぇか。しっかりしてそうだしな」
「新婚っすね!」
 妙にしみじみと、そして最後の慎吾にいたってはきらきらと輝く笑顔で口にされた。
「だってよ、健二」
「……はは」
 からかいはある程度予想はしていたが、予想と全く違う反応にとりあえず健二は力なく笑った。
 夏希は笑って、渡された酒を女性とは思えない呑みっぷりを見せている。疲れる話題ではあるが、夏希が馴染むきっかけになればいいと、健二は息を吐いた。
(あれ)
 皆はそれぞれ、幾つかある焚き火の側でくつろいでいるが、ふと健二の視線は一人の人物を無意識のうちに探す。
 大抵彼は、こういった時輪には加わらない。それでも最初のうちは焚火の暖かさが届くような場所に座ってはいるのだ。だが、今日はその姿すら見当たらない。
 露骨に探していたわけではないが、その視線にいち早く気づいたのは隣にいた佐久間で、にやりとその表情を緩ませる。
 その表情に健二が眉を寄せ、表情を険しくしたのは反射のようなものだ。
「我らがキングをお探しですか」
「……、そうだけど」
「キングは、今反抗期が来るかもしれねぇわけよ」
「は?」
 その言葉を、側の焚き火にいた男達が拾う。
「そりゃそうだ。勝手に親が結婚しちまったんだしなぁ」
「へ?」
 結婚などしていないが、しみじみと呟くのは万助だ。
「心に傷を負ったかもね」
「ええっ!」
 普段はあまり悪乗りを見せない理一の追い打ちに、健二は思わず振り向き声をあげる。しまったと思った時には、嫌な笑みを一層深くした佐久間の腕が首に回っていた。
「いやー実はな、キングに今日聞かれたんだよ。不思議な顔をしてたから、どうしたんだって言ったら」
 佳主馬は普段、自ら口を開かない。
 この傭兵隊で最も寡黙な男だ。ただそれは、事情を知らない人間が見ればの話だということを、健二達はよく知っている。
 佳主馬は喋らない。彼は許可なく口を開くことを「許されない」とその身に教え込まされているのだ。そして彼自身、それが面倒だというように、放棄した。
 健二は出会ったとき、佳主馬は今以上に感情を見せない、まるで人形のような生き物で、ただ戦いの時のみハッキリとした強い意志を、想いをその瞳に見せていた。そして時たま、健二に向けられる流暢な言葉。
 それら全ては、ただ佳主馬が「奴隷」という出身であることに関わっていた。それを知ったときの衝撃は忘れないし、健二自身忘れるつもりはない。
 その思いの深さに違いはあれど、この隊に居る者達は少なからず佳主馬のことを気にかけている。彼らは知っているのだ。
 誰もが恐れるほどの腕前を持ち、瞬時に恐ろしい程正確な腕前で人の命を奪える男が、どれだけ空っぽなのか。
 強い。
 けれど、その中身はどれだけ、「主人」から奪いつくされたのか。
 その佳主馬が、幾らこちらから問いかけたといえども、質問を佐久間にした。健二に口を開くことはたまにある。だが、それが他の隊員となると、報告など一部の仕事を抜かし現在までほぼゼロに近いことだった。
 健二は驚き口を開けたまま閉じられない。
「婚約者とはなんだと」
 そこで慎吾が勢いよく手をあげる。
「将来嫁さんになる存在だって、教えといたっす!」
「あ、俺は二人の邪魔をするなよって言ったな」
「もうあまり構ってもらえなくなるんだぞ。今から気合を入れとけって激励したな。俺らも寂しいんだからなぁ」
「ちょ――」
 酒の入り始めた男達から笑い声がおこるが、健二はそれどころではない。
「ちょ、ちょっとまってっ!」
 健二は悲鳴をあげつつ、周囲を慌てて見回して声をあげる。
「か、佳主馬くん!」
 呼ぶが今日は一向にその姿が現れない。
「佳主馬!」
 鋭い声にも反応がない。だが、ふと視界の端に白いものが映る。
 それが何か分かって、慌てて健二はその方向に走り寄った。
 真っ白いハヤテの尻尾。その側に居るだろう人物は一人だ。
 近づけば、大木の後ろに探していた人物は立っていた。僅かにその瞳が戸惑っている。
 それでも探していた人物がその場に居て、健二は思わず安堵の息を吐く。だが、確実にその立ち居地は距離がある。
 健二は数秒じっと佳主馬を見てから、そっと一歩踏み出した。
「……佳主馬くん、婚約者というのは」
 その言葉に僅かに佳主馬の体が震える。それから静かな声がした。
「分かっている。近づかない」
「え」
「ぶわははははは!」
 佐久間は転げる勢いで笑い出す。佳主馬を見つつ、健二はその頭を思い切り殴り飛ばした。
「あ、のね! そもそもこれは振りで! 別に結婚するわけでも、婚約するわけでもないから」
「あなたが、幸せになることは俺の望み。そのためになるのであれば、この声も、意志も、血肉も――魂の一欠けらすら残さず捧げる」
「い――いやいや、佳主馬く、んっ」
 美しい緑色の瞳を少しだけ下げて、忠誠を誓うように跪かれ健二はもはや悲鳴のような声をあげる。
 ぞっとする程、何もかもを投げ出す言葉だ。だが佳主馬が冗談で口にしているわけではないことを、健二は知っている。佳主馬が本気で、心から自分にそう思ってくれていることも。
(っ)
 照れていいのか、否定すればいいのかどうすればいいのか全く分からない。ただ己の顔が恐ろしい程熱いということだけは分かる。
 何かを言おうとするが、普段恐ろしい速度で数字を計算する頭は馬鹿になったように欠片も動かない。
 唯一幸いだったことは、夏希は違う仲間達と盛り上がりこちらの様子には気づいていないということだけで。
 佳主馬は自分を奴隷だと言う。
 だがその瞳は誰よりもまっすぐだ。そして強い。
 シンプルな意思を持って自分を見つめてる。戦いのときの、濃い感情が濃縮したような色とも、誰かの命令に従わされている時とも違う。
 健二は詰まったものをなんとか飲み込み、震える口で言葉を紡ぐ。
「僕、なんかじゃ、夏希さんの方が困るから!」
「何故」
 まっすぐな問いが健二にぶつけられる。その瞳は、明らかに『どこに不満があるのか分からない』と健二に告げている。
 健二はもはや言葉が一言も出せなかった。
 湯気が出そうになっている健二に代わり、呆れたように佐久間が続ける。
「あのなぁ、キング。世の中の女性は、計算が趣味で弱っちい男には興味が無いの。つーか、キングはもてたろ」
 もてるという意味を理解できていないことを察したのか、興味が無さそうで、しかし会話を聞いている理一が口を挟む。
「もてるって言うのは、遊びに誘われたり、求婚されるということかな」
 その言葉に、佳主馬は即答した。
「奴隷に、遊びはない。結婚も」
 淡々とした声だ。
「あるのは、命令だけだ」
 佳主馬の声は悲痛なものでもない。
 淡々と受け入れているというのに、どこか挑むような強さも持っている。どんな命令を持ってしても、彼の魂を穢し、折ることは出来ないのではと思わされる程。
「奴隷じゃない」
 気づけば健二は、口を開いていた。
「佳主馬くんは奴隷じゃない」
 佳主馬は健二の強い口調に黙り込んだ。
 本人としては、奴隷以外の何者でもなく、ただ健二の口調の手前、黙る必要があると理解しているに過ぎない。
 佳主馬からすると、この傭兵隊の人々は、奴隷というものを本当に理解していないのだ。
(その、使い方も)
 もっと使えばよいと思うことはある。誰かを殺すことも、何かを排除することも、奉仕することも全て自分は出来る。
 そしてそれが、健二のためになるのであれば、佳主馬は何一つ困らない。むしろ戦闘が無い間、静かに貯めている息を、その瞬間には堂々とつくことすら出来るかもしれない。
 だが同時に、ただ静かに時間を過ごすことは、心地よくもある。それはこの場所にきて、砂漠しかないあの土地を離れて気が付いたことの一つだ。
 ハヤテの頭を撫でて、健二と火にあたり穏やかに話す時間は、大切なものだと分かっている。
 健二は鞭を振るわない。
 暴力も振るわない。
 戦闘以外の命令をしない。
(変な人だ)
 健二の手が佳主馬に伸びる。誰かの手を怖いと思ったことはないが、殴られる予感は何度も持った。
 だが、佳主馬は健二の手には何の反応もしない。
 そして予想通り、その手は佳主馬にただ触れようとだけする。
 今までのどの主にも思ったことはないが、健二のためであればどんな戦いでも勝ってみせると佳主馬は思う。命を捧げるのは元よりのことだ。誓いの言葉も、幾らでも心から吐き出せる。
 この手で、この剣で彼の命を、魂を守れるというのであれば、自分は幾らでも戦える。
 健二の手は、暖かい。
 その声も、涙も。
 佳主馬はその健二の暖かさが嫌いではない。大切なものだ。
 佳主馬は健二のマントの裾を手に取り、そっと口づける。本来であれば許可が居る行為だと分かって居たが、健二は許可を問うとよりいっそう怒る。だからマントの端を勝手に手に取る。端であれば、命令ではなくとも奴隷にも許された範疇だと想いをこめて。
 もし機嫌が悪くて殴られようとも、健二であれば構わなかった。
 だが。
「か、佳主馬くん!」
 健二の手が伸びる。その手は、目的であろう佳主馬の手に触れることはなかった。
 佳主馬が寸前で手を引いて立ち上がったからだ。
「あなたに触れるのには、許可が要る」
「へ」
「あー…もしかして、奥さんの許可が要るってか」
 佐久間の言葉に佳主馬は静かに頷く。
「ぐふっ。まじかよ! やーキング。それはさびしいよなぁ。今日は俺らと寝るか。ハヤテも一緒にな」
 いつもであれば佐久間の絡むような言葉は相手にされず、すぐに佳主馬の視線はそらされるが、今日はまるで迷うようにじっと佐久間を見ている。
 焦ったのは当然健二だ。
「だ、だめだめだめ! 絶対だめ! 佐久間なんかと絶対駄目!」
 二人の間に勢いよく入り込む。
「おいおい、そりゃねぇだろ!」
「じゃあ俺は?」
「俺んとこでもいいぞ」
「だめ! ちょ、やめて! 駄目だからねっ」
 健二は悪乗りする仲間達の前で顔を引きつらせることしかできない。佳主馬が受け入れられるのは嬉しいことだ。嬉しいことでもあるのだが――。


 死守はしたものの、それでも一向に近寄らせてくれない佳主馬に、この問題が解決するまではどうやらまだ日数がかかりそうだと健二は静かに理解したのだった。








SatisfactionWarsで一番言われた婚約者あたりのネタでした。
いつもは焚火から離れた場所で、ハヤテと3人でなんでもない話とかをしていて、それが至福の時間なんだと思います。

ちょっと色々違ってても見逃してください。笑