いぬもくわない
「別れる」
「は?」
駅前にあるなんでもないチェーン店でハンバーガーを食べていた佐久間は、それを喉に詰まらせるかと思った。
瞬きと共に、目の前に居る人物を見つめなおす。間違いなく目の前に居るのは小磯健二だ。
「あー…と、それは、キングと?」
「もちろん」
真面目くさった顔で、健二は静かに同意を示す。
佐久間はオレンジジュースをずずっと一口のみ、付き合いも本格的に長くなってきた友人の顔をぼんやりと見つめる。
池沢佳主馬のことは、彼が13歳の時から佐久間も知っている。彼がどんな人物かと問われれば、二言で佐久間の説明は終了する。
『キング』
そしてもう一つのキーワード。
『健二厨』
池沢佳主馬はびっくりする程の健二厨だ。むしろ崇拝していると言っても良いくらいで、一体全体この薄っぺらくて、もさっとしている男のどこがいいのか、最初の頃は本気で聞き返していた。だがその度にまるでゴミを見るような目で見られた後、恐ろしく熱のこもった声で延々と魅力を語られ、取り敢えずもうこの話題は禁句にしようと佐久間はもう数回は、否、数十回は心に誓っている。
健二はけっこう面倒くさく、手間のかかる人間だと佐久間は思っている。しかも一度数字に夢中になってしまえば、他のことには一切気が回らない。このままいけば、この友人はこの日本においても、栄養失調か餓死をするのではないかと、高校の頃は思ったが、それも全て佳主馬が高校生になると同時に上京してき、全て解決した。
そう、佐久間の目から見ても、二人は何かのピースが嵌るような良い組み合わせであった。
鬱陶しい程に健二を崇拝する佳主馬のことも、健二は持ち前の鈍感力でさして気づいておらず、佳主馬の驚異的なハイスペックさも、「佳主馬くんはすごいんだよね」で終わらしてしまう。
佳主馬はそれで良いのだろうか――と考えるのは普通の、彼らの関係をあまり知らない人物らの問いであり、今の佐久間からするとキングは受け入れて貰えてよかったな、ストーかにも犯罪者にも日陰者にもならず幸せそうだ、という程度の話である。
だがそれも、別れてしまえばそうも言っていられない。
「……健二。順をおって話そう。つーか、何があったんだよ」
「佳主馬くんが浮気した」
「ああ、浮気ね。なんだよお前、浮――」
佐久間は一度そこで動きを停止した。数秒考えてから悲鳴のような声をあげる。
「は、ああああああ!? ねぇよ!」
「あるの!」
「いやいやいや、あのキングだぜ! 小磯厨で犯罪者予備軍かと最初まじびびったキングなんだぞっ」
「犯罪者だよ。浮気したんだから」
「いやそこじゃねぇから!」
「浮気だよ!?」
お互い怒鳴りあってから、ここが真昼間のハンバーガーショップであることを思い出す。二人同時に座り直し、それからお互い飲み物を口にする。
「……言い分を聞こうじゃねぇか」
健二は珍しく膨れたような顔をしてから、十分時間をあけて呟いた。
「女の人と抱き合ってた」
佐久間はつとめて冷静に、様々な可能性を思い浮かべながら問いを重ねる。
「どこで」
「大学」
「具合が悪かったとか、なんかそんな理由じゃねぇの」
「知らない」
「は?」
健二はぶすっとした顔のまま、一刀両断した。
「理由なんて、知らない」
「……えー、っと小磯さん?」
「とにかく、別れるったら別れる」
健二は頑なにそう告げると、トイレと告げて席を立つ。
はんば茫然とその姿を見送りながら、自分の友人はこういう面倒くさい性格だったと思い出す。
(どうすんよ、俺)
これは長期戦になるか、最悪な展開も想像しておくべきかと佐久間は小さくため息をつく。
健二に会う前に佳主馬に連絡を入れていたが、この分ではむしろ事態を悪化させてしまうかもしれない。
そう思った瞬間入れ替わるように、店内に走りこんできたのはまさにその人物、池沢佳主馬だった。
「あー……」
やっぱり来てしまったか。と待っているはずないよな、と思いながら佐久間は片手をあげる。
佳主馬は店内に入ってきた瞬間から、移動してくる現在まで、フロアの視線を集めながら歩いてくる。そう、池沢佳主馬はイケメンだ。しかもどこか、色気を持った思わず振り返ってしまうようなイケメンだ。
(イケメンはどんな顔をしていてもイケメンってことか)
見慣れた佐久間は冷静に、いつもよりも険しい佳主馬の顔にそんなことを思う。
「佐久間さん!」
「……キング、俺のライフはもうゼロになるぜ。つーか、なんで喧嘩すんだよ! あいつ子供みてーに怒ってるぞ。ガチで!」
「健二さん、怒ってるの!?」
軽く息が切れている佳主馬は、かなり急いでこの場所に来たのだろう。
そして席に座るなり、顔を下に向けたまま拳で机を叩いた。
「っ」
「キング――」
「その顔、見たかった…!」
遅かったか、と血を吐きそうな悔しさで告げる佳主馬に、佐久間は生ぬるい気持ちになった。
(あーそうだった……)
佳主馬はこういう人物だった。
「佐久間さん! 写真は! 動画は撮ってないわけ!?」
「撮るか!」
「普段のハイスペックさはどこに行ったわけ!」
「しらねーし!」
怒鳴ってから佐久間は我に返る。
「……じゃなくてだ。キング、浮気したわけ」
「は? なんで? するわけない」
「ちょっとそのゴミを見るような目止めてください! 俺だって思わねーけど健二が言ったんだよ。キングが女と抱き合っていたって」
「抱き合ってた?」
言われて佳主馬は何かを考え込む。
「抱き合ってはないけど、先週くらいにうちの教授が躓いたのを抱きとめたのはある」
「……キングの所の教授って」
「63歳の女性。栄ばーちゃん思い出すよ」
「………」
佐久間は気を失いたい気分でちらりと横を見ると、トイレから戻ってきた健二が完全に固まっている。その顔が、じわじわと、少しずつ真っ赤に染まっていく。
(ああ、分かる)
(分かるぞ健二)
恥ずかしい。
なんという勘違――。
「やっぱり!」
顔を真っ赤にした健二は叫ぶ。
「僕の方が付き合い長いのに、なんで佳主馬くんの方が仲よくなってるの!?」
「健二さんっ」
会話は全くかみ合っていない。
同じくらい二人の表情もかみ合っていなかった。佳主馬はぱぁっと顔を輝かせ、健二は怒鳴る。嬉しそうに席を一つ詰めて、健二は佳主馬の隣に座る。
「健二さんが大切にしているのを知っていたから、怪我させるわけにはいかなかったんだよ」
「だからって!」
「あのー……健二さん」
「何!」
気がたっている健二は、睨みつける勢いで佐久間を見る。
「あれですよね。恋人であるキングが誰かに取られて怒っている――」
「はぁ!?」
「……ですよねー」
佐久間はげんなりとその場に突っ伏したい気持ちになる。
佳主馬は相変わらず健二の文句を嬉しそうに聞いている。よく見れば、その手を知らぬ間に握りしめてすらいる。イケメンの顔はでれっと崩れてもイケメンだと心底腹立たしく、周囲の女性の視線を集めたままであることも爆発しろとしか思えない。
(ホモだっての! 手にぎってるだろうが!)
佳主馬はとにかく健二至上主義で、健二がよければどうでもよいのだ。
その佳主馬がわざわざ抱き留めたというのであれば、それは本当に言葉通り健二のためだったのだろう。僅かに、栄に似ているということもあったのかもしれない。佳主馬は身内には優しい。
(ま、しゃーねーか)
佳主馬を人間不信にしたのは周囲だ。その彼が、周囲を拒絶したからといって、誰が咎められるのか。
「あー…俺帰ります」
聞いてないと分かりつつそっと宣言して佐久間は席を立つ。
健二は本当に言葉通りその女性を抱き留めた佳主馬に嫉妬したのか。
それとも僅かにでも、無意識レベルでも、佳主馬が女性を抱き留めた行為に嫉妬したのか。
(まぁでもさ)
佐久間は知っている。
健二が、どれだけ佳主馬の傍でくつろいでいるか。
暴言を口に出せる程心を開き、まるで昔、健二にとって唯一の逃げ場であった物理部の部室のように過ごす場所があることを。
だからこそ、この二人はきっとずっとこのままなのだろうと、佐久間は苦笑いをしてから数秒後心の中で最大ボリュームで叫び声をあげる。
(――リア充爆発しろ!)
俺いい奴だよ! ガチいい奴すぎんだろ!
その悲鳴にならない声を聞く相手は誰も居ない。
本日はクリスマスイブ。なんだかんだこの後言いくるめられて、佳主馬の家に連れて行かれるか、健二の家に上がりこむのか、どちらにしろ二人は共に過ごすのだろう。
佐久間はただ小さく息を吐き、凍える程冷たい風に体をすくめつつ、取り敢えず暖かい自宅に帰ろうと足を進めるのだった。
今年一年お世話になりました。
また来年も変わらず良い年を。
そして宜しくお願い致します!