ダストBOX (ちょっとだけ未来の話)



「だから、俺言ったよね」
 一歩後ろに下がると、ガタンと背中が締め切られている扉に当たる。同時に佐久間敬の顔からはただ血の気が下がった。
(やべぇ)
 今の状況は完全に振りだ。相手との体格や年齢の違いもさることながら、言い争いになっている内容においても不利にしか思えない。往生際悪くもう数ミリでもと体を後ろに下げると、再び扉がガタンと音を立てた。
(いやいやそもそも俺悪くねぇし)
 目の前に居るのは、佐久間の勤める高校の制服に身を包んだ青年だ。はたからの関係でいえば、教師と生徒。しかし現状においてもめている内容は本来のそれに関することではない。
 五時を過ぎた校舎で、特に佐久間のいる物理準備室のフロアにいる生徒などほぼ皆無だ。かろうじてたまに、グラウンドから野球部の声が聞こえてくる程度であり、助けを呼ぶこともままならない。
(いや、助けなんて呼べねぇけど)
 ごくりと唾を飲む。
「ま、まさかと思ったんだよ……」
「俺があれだけ、言ってたのに?」
 相手は明らかに怒りをあらわにしているわけではない。むしろいつも通りの、どこかつかみどころがないような緩い笑みを浮かべているがその目が全く笑っていないことを今の佐久間には分かる。分かってしまう。
「だ、だって俺だぞ! いくつ年上だって思うんだよっ」
「俺は?」
「お前みたいなやつ、普通は二人といねぇだろ……」
 本日、佐久間は女子生徒に告白された。三年生で卒業前にという駆け込みだったのだろうが、いつも通り憂望が来たと思い振り返り、佐久間はまず驚いた。次に、首をひねりつつも用件を聞いたところ、なんと告白されたのだ。
(つーか、最近の女子高生こえぇよ)
 驚きのあまり持っていた本を全て落とした瞬間そのまま飛びつかれて、もしやこのままいくと自分が危ないのではと思った瞬間登場したのが憂望だった。
 思わずホッとし、無事に相手にもかえってもらえたが、そこでようやく佐久間は己の立場の危うさに気づき今に至る。
(た、確かに前からそれとなくあの子のことは言われてたけど)
(もともと、女子高生が好きなわけじゃねぇし)
 確かに過去、当時ですら年の差はあったが女子生徒と付き合ったことが一度だけあった。ただ彼女と付き合った理由は、また別の所にあったうえ、失礼な話最初は断ろうとすら思っていたのだ。
 目の前には、恋人でもある生徒が立っている。その後ろには、大きな窓から赤い空と、少しずつ近づく夜の気配が見える。
「佐久間さん?」
「は、はい! いいいいいい!?」
 ぼうっとしている場合ではないと慌てて返事をした瞬間、首にかじりつかれた。
「ちょ、ちょちょちょっ、ゆ、っ」
 そのまま思い切り吸い上げられ、指で耳の後ろをくすぐられ思わず息を飲む。今更照れる程度のスキンシップではないかもしれないが、驚くものは驚くし、照れるものは照れる。
 特に少し前に短くなった憂望の髪がちくりと肌にあたると、佐久間は一瞬にして顔が熱くなるのを感じた。
 条件反射のように思い出すのは――。
「ちょ、ま、ままままてっ。学校! ここ学校っ」
「うん」
「うんじゃなくてですねっ、おいゆー坊っ」
「うん」
 首筋から離れた唇が、一瞬だけ軽く自分の唇に触れる。目の前の青年は、知らぬ間にいつも通りの目に戻っていた。
「まぁ本当はさ」
「お、おう?」
「口うるさく言うのもみっともないし、うるさくて恰好悪いなって落ち込んだりもしてたんだけど――」
 彼はたまに確かにあの生徒のことを口にしていた。それを全く気にしていなかったのは確かに自分の落ち度だ。更に言えば、あのまま憂望がこなければ、断ったとしても翌日変な噂をたてられてしまったかもしれない。
「直接追い払えて、すっきりしたよね」
「っ」
 憂望は、最近たまに昔は見せなかった表情をする。
 少しだけ気の強さを、彼が本来持っていた、けれども彼自身が認めていなかったものを表に出すような笑み。
(血筋、だ…)
 王者の持つ強さ。
 もともと自分の前では、どこかことさら子供っぽく見せていた部分と大人びた顔を見せる部分はあったが、そのどれとも違う表情。
 ごくりと佐久間の喉が動く。顔が妙なくらい熱い。
 しかし茫然としている間にも、憂望の手が動いている。あっという間に素肌に触れてきた憂望に佐久間は慌てて意識を奮い立たせる。
「か、帰ろうぜ」
「うん後でね」
「いや、あ、ほらコンドームもないし!」
「あるよ」
「は?」
「持ってる持ってる」
 言いながら確かに彼が財布から取りだしたのは、見間違うわけもないコンドームだった。
「…なんで?」
「えーこういう時用?」
「いやいやいやいやねぇから!」
 佐久間は思わず目いっぱい叫ぶ。
(持ち歩く?)
 確かに高校生であれば、持ち歩いていたとしてもおかしくはない。そういう年頃であることは、佐久間だって知っている。
 だが。
 頭の中が一瞬真っ白になったあと、佐久間の頭の中はぐるぐると高速で回転する。そしてその言葉を理解する前に、叫んでいた。
「なら、俺が持つ」
「え」
「お前ダメっ」
 憂望が、何故自分などのおっさんの域に入りつつある自分の心配をするのか一切不明だが、はっきりいって間違いなくもてるのは自分ではなく目の前の相手だ。
 長かった髪を切ったことで、その整った顔立ちもよく見えるようになり、この卒業式前にそれなりの数呼び出されていることを知っている。愛想はよくそつなく人の輪を広げていく男だ。学年問わずその交友関係は広い。
 憂望は何故か少し驚いたように、だが表情が一切見えないまま佐久間を見ていたが突然しゃがみ込む。
(あれ)
 僅かにその上からみた耳の傍が赤い気がしたが、それを問う前に相手が唸るような声をあげた。
「やべぇぇぇ」
「は?」
「もー、本当めろめろだよね俺」
「は!?」
 一体何がどうしてそうなるのだと、佐久間はひっくり返りそうな声を上げる。
「佐久間さん本当可愛い」
「可愛くねぇだろ!?」
「可愛いよ。だってさ」
 憂望は床に座り込んだまま、からりと笑った。少し年相応の無防備な笑顔で。
「それ、佐久間さん俺のこと心配してくれてるんでしょ?」
「へ」
 指摘されて、その事実を改めて理解する。
 確かに先ほど脳裏に浮かんだ事由はようするに、そういうことだ。
 そしてその感情は、世間でよく言われるに文字の単語にリンクすることを、遅まきながら理解し、佐久間は卒倒したくなった。
 実際には、卒倒する暇もなく思い切り腕を引っ張られ、しゃがみ込んでいる憂望に思い切り倒れこむ。
「うわぁっ」
「あーもう佐久間さんが可愛くて生きるのが辛い」
「お、おまえっ」
 ぎゅうっと強く抱きしめられ、頭をぐりぐりと擦り付けられる。
 大型の犬に懐かれているそれと非常に似ているが、佐久間の心境はそれどころではない。
 ぐっとそのまま腕を引っ張られ立たされる。
「帰ろう」
 憂望の足取りは迷いなく、勝手に佐久間の荷物を奪い歩き出す。
「は!? いやちょっと」
「いいから帰る」
「パ、パソコンの電源」
「スタンバイになるからいいよ」
「いやいいって」
 引っ張られる腕の力は強い。
「だって絶対一個じゃ足りないし」
 その一言に佐久間は体が固まる。それでもかまわず相手はぐいぐいと自分のことを引っ張っていく。
「もうさ、あの先輩のことは忘れるから」
 文句を言おうとしていた口は、その一言でピタリと止まる。
 現状、特に今日その単語を出されると圧倒的に弱いのは自分だ。
 別に何があったわけでもないが、確かに抱き着かれたのは、そしてむしろ告白をさせてしまったことは自分の隙だ。
 鈍い鈍いと言われる自分でも一応は分かる。
 同じことがもし憂望であったのならば、いい気はしないだろう。大人という立場から、はっきりと口にすることがたとえできなかったとしても。
(いや、事実)
 佐久間は僅かに眉が寄る。
(あいつの携帯には、男女問わず連絡が多いし、今回の告白ラッシュでさえ)
 例え憂望が相手にしていなくても、一緒に写真を撮ったり、輪の中で騒いでいる姿すら時には――。
「泣かしてぐちゃぐちゃにして、ひぃひぃ言ってほしいよね」
「ぎゃああああああああっ」
 一瞬にして現実に戻り、佐久間は悲鳴をあげる。
 当然だがさびれたこの場所に、他に人の姿は無い。それにほっとする間もなく、どんどん引っ張られ、裏口へと向かわれる。
 そこで急に憂望が足を止めて振り返った。
「嫌?」
(こ、の野郎)
 卑怯だと思う。本当に卑怯だ。
 自信を感じさせるような言動をしても、その内面が。
 本当はとても繊細で優しくて、自分の小さなゴミみたいな感情すら、綺麗だと言ってくれるような馬鹿な子供。
「嫌い?」
「…大好きですよ!」
 ヤケになって叫ぶと、憂望は可笑しそうに笑いだす。だがその顔はとても明るいもので。
 笑いを落ち着けてから、彼はあっさりとじゃあ俺はその百倍くらいとあっさりと告げてくる。
(こっ恥ずかしい)
 今更どこの高校生同士だと思う。
 それでも頭がくらくらするくらい、結局は幸せだということを佐久間は認めない訳にはいかなかった。







ただの馬鹿っぷるでしたかNAINE……。