恋はいつでもアップテンポ



「相談があるんだけど」
「え、僕に?」
 OZ上で声をかけられた相手はよく知ったもので、健二は疑問を持たずに、むしろ僅かな喜びと共にそのチャット申請を受けた。
 小磯健二は一人っ子だ。
 そのため、賑やかな陣内家など憧れそのものであったし、妹の出来た佳主馬のこともどこか羨ましい気持ちもあった。その意味でも、佳主馬の妹である彼女――チャットの申請相手を、どこか特別な気持ちで見ていた。
 特に、最近両思いになったが、彼女の長年の思い人のことをずっと知っていたせいもあるかもしれない。
「うん、健二にしか聞けないことだから」
「僕で分かることなら幾らでも。あ、数学の話?」
 普段頼りなく思われることが多いためか、改めてそう切り出されるとやはり嬉しさを感じずにはいられない。
 彼女も高校三年生であることを考えれば、受験用の数学についてかもしれない。
 どこかわくわくとした気持ちで、その頃の数学レベルを思い出そうとする。
 画面には彼女の使っているアバターと、兄につくりがよく似た顔が映る。当然ながら細かいパーツは違うのだが、どこか印象が似ているのは、その表情の乏しさのせいなのかもしれない。
 乏しいといっても過剰な表情の変化がなく、最低限で過ごしているだけであり、どちらかといえば無愛想になるのかもしれないが、その優しさも可愛さも健二はよく知っている。
(あと、その熱さも)
 中学生のときに、名古屋を単身飛び出して健二の自宅に乗り込んできたこともある。
 はっきりと口には結局一度も出さなかったが、大好きな兄のために。
 身近な人たちの優しさを、その身に受けている愛情の重みを理解している、聡く優しい子だと思っている。
(ごめんね)
 健二は、心の中で小さくいつも謝る。
 彼女が可愛くてしょうがないのは、多分いつも自分の中にあるうしろめたさのせいもある。
(正しくは)
 健二は一度ゆっくりと瞬きをして、微笑みを浮かべる。
 この世界において彼女は、否――自分以外の皆は正しく、輝いている。
 本当はもっと早く、佳主馬との関係は解消しなければいけないものだったと分かっている。
(僕は、愚かで本当に弱い)
 ただ積極的にそうできなくとも、いつかその日が来る覚悟だけは常にしているつもりだ。その隙を、自分が見逃さないですむようにと。
「どうしたらいいと思う?」
「え」
 考えに没頭していたため、健二は僅かに変な風に言葉を聞き取ってしまった。
 そのため、すぐに問い返す。
「えっと、ごめん。もう一回いいかな?」
「誘惑ってどうすればいいと思う?」
 彼女の顔は、真顔だった。
「……」
「……」
「は?」
「誘惑」
 彼女は丁寧に、もう一度はっきりと言いなおした。
 それから更に数秒後、完全に単語の意味を理解した健二の顔が、かーっと顔が赤くなっていく。
「ちょ、な、誘惑!?」
「そう。兄貴のこと、どう誘惑したの?」
「い、いや僕は別に何も!」
「ああ、あっちががっついてるのか」
「ちが、いや、もう、あのね! ちょっと落ち着いて!」
「それは健二」
「……はい」
 淡々とした声に完全に押されている。健二は数度深呼吸をしてから、改めて問われた内容を考えた。
 誘惑という単語が、向けられる相手を健二は一人しかしらない。
「…、誘惑の必要、別になくないかな…?」
「なんで」
「だって佐久間も好きだと思うよ」
 一度考え込むような表情を見せたが、次の瞬間彼女の口がその単語を言う前に健二は完全な悲鳴をあげていた。
「でもセック――」
「うわああああああああああ!」
 もはや画面にへばりつく勢いだ。
「ちょ、なっ。ダメ! ダメダメダメッ! そんな単語口にしちゃだめっ」
「じゃあ性――」
「わああああああ! 分かったからもう言わないでっ」
 体力気力共に一瞬にして、根こそぎ奪われた健二はガクリとパソコン前でうな垂れた。
 だが、幾ら鈍い自分でも用件は分かった。分かったが、何故彼女がそんなことを言い出すのか、全く分からない。
 その困惑した気持ちが表情に出ていたのか、何かを問う前に、彼女はゆっくりと口を開いた。
「だって」
「う、うん」
「一緒に泊まっても、何しても、そうならないんだもん」
「…それは、どう考えてもきみを大切にしているからじゃないかな」
 心の中で、友人に力一杯健二は同情した。
「私がいいって言ってるのに?」
 何故今、こんなにもあけすけな話を聞かされないといけないのか。
 複雑な心境にはなるが、佳主馬に相談されるよりはいいのだろうかと、健二は思いなおすことにした。
「だから、健二に誘惑の仕方を聞こうと思って」
「……」
 ただそれを聞くための人選としては、頷けなかった。
「僕に、そんな力があると思う…?」
「でも兄貴、そんなことよく言ってるよ」
「………」
 せめて、彼氏の親友だからとか、そういいった理由を全力で望む。
「……、佳主馬くんがね、特殊なんだよ……」
 ふぅん、と彼女は気の無い返事をした。何かを考えている様子だが、健二はため息をつくことしかできない。
(佐久間、頑張れよ…)
 さすがに高校生に手を出せない気持ちは分かる。もっとも、自分は高校生にそういう意味では手を出されたのかもしれないが、今はそのことはおいておく。
 だが、決して修行僧でも、枯れているわけでもない友人を思うと、その決意が壊される日は近い気がしてならない。
「ネットみていたら、裸エプロンとか」
「ダメ! 絶対!」
「布切れみたいな下着とか」
「ダメダメダメっっ」
「じゃあ何?」
「……」
 健二はもう許してください、と口にしたい気持ちで一杯だったが、ぶつかった視線は真剣そのものだった。
(ああ、そうか)
 健二はゆっくりと理解した。
 彼女の、生まれて初めての恋。それが、実ったのだ。
 それこそ実ったといっても必死なのだろう。実ったところで恋は終わるわけではない。
 彼女の気持ちを、心境を聞いたことはないが、強く心臓をわしづかみにされるような思いならば分かる。
(僕が、結局)
(彼から、ダメだと思っても離れられないように)
 彼といつか別れる日がきたとしたら、その喪失感はハンパないはずだ。心臓ごと、胸をきっと全部抉り取られるだろう。
 良いこしかない、幸せなだけの恋は無い。それでもその後、自分が一体どんな風に生きるのか、全く想像などつきやしない。
「…普通に、密着してみたら? 上目遣いとか。佐久間、そういう『女の子』っぽい動作に、すごく弱いと思うよ。あとじっと見つめる」
「そうなの?」
 その声には、そんなことでいいの、と言うようなものが含まれている。多分佐久間は、出来る限り二人きりになる空間にいないようにとしているかもしれない。そのあたりは、彼女の押しに任せるしかないだろう。
「うん」
「そうなんだ…」
「好きな相手とは、佐久間だってくっついていたいと思うよ。我慢には限界があるから」
「そっか。積み重ねもありか」
 独り言のように彼女が呟く。
 彼女は、昔よりも断然可愛くなった。佳主馬はきっと嫌がるだろうが、輝いてすら見える。
(佐久間が、気づいてくれて、本当によかった)
 他人の恋路に口を出せるような性格を、自分はしてはいない。だが、それでもこの二人の未来が明るいものになったのであれば、それだけはとても嬉しい気持ちになる。
 佐久間であれば、気づかないまま、認めないまま、過ぎてしまってもおかしくないと思っていた。
(それでも、それが変わったというのならば)
 彼女は、きっと自分が思っているよりも主導権を握っていることだろう。
「佐久間も、幸せ者だ」
「私の方が幸せだよ」
 即答された返しに、健二は言葉に詰まる。彼女は笑っていた。
(あ)
 その顔に、とても懐かしい13歳の佳主馬を、そして付き合うことになった日の佳主馬を何故か思い出す。
「兄貴も、健二も幸せでしょ」
 健二は曖昧に笑う。
 彼女は暫くじっと健二を見つめた後、僅かに眉を寄せた。
「ばーか」
「ええっ」
「色々もったいない。ばーか」
「もったいなくないよ」
「ふぅん」
 彼女は呟くと、画面で見える位置に携帯電話を取り出した。そして健二からすると驚きの速さでメールを打つ。
「佐久間?」
「兄貴」
「……え、ちょっと」
「健二が寂しがってるって送っておいた」
「えええええっ」
 にやりと彼女は笑うと、軽く手を振ってくる。
「ありがとね。また結果でたら報告するから」
「そ、それはいいよっ。なんかそれはダメ!」
「そう? じゃあ兄貴に」
「もっとダメーーっ!」
 その夜、健二の自宅の扉が、この家の住人ではない別の人物によって開けられることになるのだが、それはまだ数時間後の話だった。







すんげーどうでもいいタイトルをつけましたすみません
いやはや。夢とはテンションが代わりましたが、まぁなんていうか楽しいね☆(自分が)
小話大好き!