恋する日常



「おはよ…」
 カタカタと軽快な音をたてるキーボードに掻き消されそうな声が、かろうじて佐久間の耳に届いた。
「おう」
 佐久間は振り返ることもせず、画面を見つめたまま返事を返した。
 ホームルーム前の部室で二人が会うことは、比較的珍しい。お互い早起きを好むタイプではなく、当然ながら物理部には朝練などもないため、早く来る必要などもないのだ。
 だが、お互い定位置に座ってしまえば、多少の違和感など関係がない。
 否、お互い違和感などそもそも持ってもいなかった。
「あーもう昨日からこれに、超苦戦しててさ」
「……また…だった」
「あ?」
 今度の健二の呟きは、さすがに小さすぎて佐久間も聞き取ることができない。画面に視線を向けたまま、それでも問い返せば、健二は先ほどよりは僅かに大きな声で言いなおした。
「今週、最下位だって」
 聞き返したものの、意味がさっぱり分からない。
「? それ、何の話よ」
「…テレビなんてつけなければよかった」
 言いながら、健二は顔を電源の入っていないパソコンのキーボードに思い切り埋めた。ガンとかなりのいい音が響く。
「あの、健二さんー?」
「…やってたんだ」
「だから何が」
「占い」
「は?」
「だから、占い」
 呟く健二は真顔だった。
 佐久間の知る限り、小磯健二は、占いなどとは程遠いところに居る存在だ。むしろ今まで、健二の口からそんな単語なんぞ聞いたことはない。良く分からない数式を聞くことはよくあったとしても。
 もはや完全に佐久間の手は止まってしまった。
 なんせ、目の前に居る親友が、宇宙人になってしまったのかもしれないのだ。
「この占いは…本当に凄いんだ」
「はぁ」
「だって、恋愛運でいいことがあるって言われたら先輩から電話が来て」
「へぇ」
「ラッキーカラーがグリーンだって言っていたから、デートの場所聞かれて、思わず公園って言ったらこれが大正解で」
「ふぅん」
「なのに、今日は最下位だった……」
「……」
(なるほど)
 佐久間はそこで理解をする。
 真剣に、大真面目に、宇宙の真理として聞いていたものを、今正しく理解する。
(これが、恋する男ってやつだ)
 要するに、真剣に相手をしては――無駄なものである。
 キーボードに突っ伏したまま、健二はよく分からない数字を呟き始めている。それを聞いたところで、佐久間は再び画面に向き直った。
 もう心配はいらない。
 たとえ宇宙人であろうと、間違いなくこれはもういつもの健二だ。偽者であるはずがない。
 数式が出てきたのであれば、問題あるはずがない。
「今日、先輩お昼に誘えるかな」
「あー誘っとけ誘っとけ。つーか、この部室は譲らねぇからな」
「ちょ、だ、誰も二人で食べるなんて言ってないし!」
「おーおー」
 適当に返事をしつつ、ふと佐久間はバグの原因らしき数字が眼に止まる。
(も、しかして)
 画面に飛びつき舐めるように確認するが、恐らく。この数字が。
「っしゃー! これか! これだ!」
 思わず悲鳴と共に、両手を挙げる。勢いとなりの友人の肩をバンバンと叩くが、全く何の反応もないが、一ミリたりとも気になりはしない。
 数字に愛されている男が側に居ると、数字も機嫌もよくなるというのは、ある意味佐久間が勝手に持っているジンクスというか、持論である。
「はーすっきりした。小磯先生、いつまでもそのままでお願いしますよ」
「…最下位はもうやだ……」
「もとから最下位くらいだろ、俺らの運勢なんて」
「それもそうだけど」
(つーか、夏希先輩に断られるわけねぇだろうが)
 公園だろうが、百貨店だろうが、遊園地だろうが、映画館だろうが。
 要するに、恋する人物らは二人で居れればどこでもいいと言うのは、これまた佐久間の知っている宇宙の心理の一つであり。
(ったく)
 しょうがないと、悩んでいる小磯健二について、とりあえず浮かれた佐久間が夏希に報告メールを送るまであと十数秒。
 友人からのいらぬおせっかいも、恋にはつき物だということは、残念ながら健二も佐久間も全く気づけて居なかった。







まったりした日常話が突然ふと書きたくなったりします。
本当どうでもいいコネタですんません!