駄目すぎる人たち



(……駄目だこの人)
 正直なところ、出会って三日目くらいには、そんな結論に池沢佳主馬は達していた。


 この夏、初めて夏希につれてこられてやってきた薄っぺらい男は、ありえない諦めの悪さと強い意思と、ずば抜けた計算力で陣内家を、世界を救った。
(そりゃ、この世の中に凄い人物は沢山いる)
 陣内家にいれば、尊敬に値する人物を見ることも多い上、池沢佳主馬はキング・カズマという面も、少年実業家の面も持っている。普通の中学生に比べれば、そういった特異性を持っている人物に会うことも多いと思っていた。
 だが。
「圧倒されるような、息を呑むような…天才だと思ったんだ」
「はは、佳主馬はやっぱりまだ若いね」
 いつの間にか佳主馬の座っている縁側の後ろに、いつでもどこか掴みどころのない親戚が一人立っていた。
 聞かれて不味い独り言ではなかったが、自然に入ってこられた会話に呆れつつ、佳主馬は無愛想に返す。
「何それ」
「言葉のまんまだけど?」
 眉を寄せた顔は相手から見えていないはずだというのに、その人物はすぐに「違うよ」と呟いた。
「彼は天才だと思うことは否定しないし、その感性は正しい」
「……」
(じゃあ何がだよ)
 心の中で毒づくが、冷静な思考は、『若い』と指摘された自分の判断がささる場所を理解した。
 過去形だ。
 天才だと思った、と過去形にして現在を否定しようとしたところに、それがささったのだ。
 思わず佳主馬は呆れるような重いため息をついた。
「だって、あの人さ」
 思い出しただけで、あきれ返る気持ちが蘇る。
「食事中にさ、何回零したと思う? 数学のテレビ番組が始まったからといって。五回は零したよ。五回?」
「そうなんだ」
「あげくのはて、全部さ、僕が言わなければ気づきもしてないで、何も食べてないのに咀嚼してるし…!」
 むしろ指摘をしたところで、隣の健二はほぼ全くといってろくな反応など返さなかった。
 それ以降も何度も似たようなシーンに行き着き、佳主馬は気づいたのだ。
 脅威の天才、小磯健二は一点集中型だ。一度集中のスイッチが入ってしまうと、別のことが何一つできない。会話は聞こえているようだが、多分どうでもいい会話は脳が勝手にシャットアウトしてしまうのだ。返事だけが幾ら返ってこようが、何の意味も無い。
「パソコン触ってる時も、問題解き始めたらもう駄目だし」
「へぇ」
「一回ほっといたんだけど、四時間経っても同じ姿勢でにらめっこしてたしっ」
「ふぅん」
「………」
 話せば話すほど、妙に自分の居心地が悪くなるのは何故なのか。
 佳主馬はとうとう話す言葉をなくして、小さなため息と共に喋ることを放棄した。
 そもそも口に出して誰かに言うような話題ではなかった。
(そうだ)
 どうでもいい話だ。
 自分が勝手に期待をしていて、勝手に何かを思っただけなのだ。期待を裏切られたからといって――
「佳主馬は、本当に健二くんが好きなんだね」
「なんでそうなるんだよ!?」
 全くもって脈絡のない言葉に、佳主馬はとうとう振り返ってしまい、しまったと思う。視界に入った人物は、想像通り薄い笑みを口元に乗せ、からかうような軽さで自分のことを見つめていた。
「だって、そうだろう?」
 穏やかに、いつも通りの穏やかさで彼は喋る。
「健二くんが気になってたまらないのに、相手してもらえないから寂しいってこと」
「は、はぁ!?」
 思わず今度は声がひっくり返る。
「何言って――」
「あ、佳主馬くん」
「っ!」
 廊下の先から、怒鳴った自分の声が聞こえたのか、顔を出してきたのは話題の主である健二だ。
「ああ、健二くん。今ちょうどきみの話をしてたんだよ」
 思わずガンと足を叩くが、嫌な大人は全く動じた顔を見せない。
「え、ええっ、そ、そうなんですか」
 照れるような慌てるような、複雑な顔で、だがどこか少し緩んだ表情で健二は笑った。
「あ、じゃなくて。ごめん! 佳主馬くんっ。ちょっと集中しちゃって…あ! で、でも佳主馬くんがよかったら、さっきの続き、聞かせてくれないかな…?」
 健二が伺うように佳主馬を見る。佳主馬はその健二の顔を見返せなかった。
 先ほどのことだ。
 健二と二人で、今度作る予定のゲームの話をしていたのは。
 途中のプログラムの話から、その計算処理の話になった途端、健二が動かなくなってしまったのは。目の前の文字から、膨大な数字展開を恐ろしい速度で行いだしたことはわかる。何故突然健二のスイッチが入ったのかは分からない。
 話かけた。
 けれども、生返事は返ってくるものの、健二は結局戻ってこなく――佳主馬は縁側に転がっていたのだ。
(……駄目だ)
 佳主馬は思う。
(この人は、駄目だ)
 食事はボロボロ零すし、生活能力はないし、ドンくさい。
 天才だけれども、それは特出しすぎている、まるで生き難い枷のようなそれだ。
「本当ごめんっ。佳主馬くんが話しかけてきてくれているのは、いっつも聞こえるんだけどっ」
「でも健二くん、返事してるんだろ?」
「恐らく…ですけど。集中してると、普段は絶対僕、声なんて聞き取れないので」
「へぇ」
 驚いたのか驚いてないのか分からない声が、続けるように自分の名前を呼ぶ。
「佳主馬?」
 後ろからかかる声に、絶対に振り向くものかと思う。
(絶対に)
 何があっても、振り向くものかと思う。
 泣き顔を見られた。健二が強い心を見せているときに、自分はボロボロと涙を零した。健二の気合を前にして、自分は健二に泣き顔しか見せることができなかった。
(ちっくしょう…!)
 だというのに、今度はこんな赤い顔まで、格好悪くて見せれるものかと全力で思う。
 絶対に、次に勝つのは――格好いい所を見せるのは、自分でなくてはならない。
 だというのに。否、その考え自体。そう考えさせられること自体。
(――っ)
 自分の声だから、かろうじて返せているとでもいうのだろうか。わざわざこうして探しにきたことを、自分は嬉しいと思っているのだろうか。
 この都合のいい男は、一体なんだというのだ。
 けど、後ろに居る憎たらしい大人が分かっているように、自分だって分かっている。
(この僕が)
 本当に駄目だと思って、呆れた人物に、何度も何度も付き合うものか。
 生返事に、がっかりなどするものか。
 がっかりするのに、それでもこうして、何度も、何度も――。
(駄目なのは、この人ではなくて)
 間違いなく、それは。
「佳主馬くん? や、やっぱり怒ってるよ、ね…? あーもう、本当ごめんっ、ごめんねっ」
「……別に」
「反省してます! 本当にごめんなさいっ」
「っ」
 隣で、多分恐らく土下座しているだろう気配を感じる。佳主馬が思わず何かを言いかけたが、その前に健二が呟いた。
「せっかく友達になれたのに…」
 佳主馬は思わず、気づけば何かを誤魔化すように全力で床を叩いていた。
(はっ)
 我に変えると同時に、遠慮もなく、くっくと後ろから喉で笑われる声が聞こえる。
 健二はびっくりして、「やっぱり怒ってる…」と呆然と呟いている。
 キング・カズマは天才だ。
(ああ、もう…っ)
 だが、現在目の前で展開されている難問を、どうやって解決すればいいのか――解決せずとも、切り抜けられるのかは、現状では見つけ出すことだけは出来なかった。









ふっと思いつき更新でしたー!
ノリでごめんなさい。ただ、駄目だ駄目だといいつつ気になってたまらんっ
という佳主馬を書きたかったのでした。笑