カーテンコール



「っ」
 ガクンと落下するような衝撃に、佐久間は我にかえった。時間は本当僅かなもので、ソファでメールを打ていた、たった一瞬の出来事だった。
 階段から落ちる夢を見るように、一瞬だけ夢を見て覚醒したのだ。
(なん、だ?)
 しかもその夢を、もう欠片も覚えていない。
 念のため時計を見るが時刻は全くといっていいほど進んでいなく、一分、もしくは数秒の世界だと分かる。
(あ、メール)
 続きを打たなくてはと思うが、何故か自分の視界が滲んでいることに気づく。
(涙?)
 目が乾いていたのかもしれない。それを適当に拭って、佐久間は――立ち上がった。
 それが何故なのか、理由は一切分からない。
(あれ)
 何故自分は立ち上がったのか。玄関に向かいながらその理由を考える。
(夜中だし)
(危ない)
(制服を着ているし)
 大切な子だ。
 だから多少過保護になってしまっても、しょうがないのかもしれない。取り返しがつかない事態が起こるよりは、数百倍はいい。
 気づけば足は早くなり、階段を先ほどと同じ様に駆け下りることに、小さく苦笑いが浮かぶ。ここで滑り落ちたら、それはそれで笑える気がしないでもない。
 何故か気持ちが、それこそ滑ってもおかしくないほど、ざわざわとして落ち着かない。
 通りに出るとすぐ側の所に、少し前に出たはずの彼女が立っていた。
 その背筋は震えているわけでもなく、ただいつものように凛としていた。佐久間は後ろから呼びかけるが、彼女は全く動かなかった。
(よかった)
 近くにいてくれたことに安心する。
「…駅までやっぱりさ」
 追いついたところで、気づく。隣に立つと、彼女は泣いていた。
 ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、泣いていた。
(え)
 佐久間の心に衝撃が走る。それは、泣いていたこともそうだが、彼女は真剣に、そこまで電話の男を好きだったのだ。
 確かに彼女自身先ほど、好きだったと言葉にしていた。
 だが、ここまで泣くほど。
 真剣に。
(な、んだこれ)
 佐久間はその衝撃を振り払う。
 まるで言葉の重みを今理解したように、佐久間は動揺していた。言葉が上手く、何も出てこない。
 佐久間が不器用な慰めを発する前に、彼女は自ら静かに涙を止めてくれた。
(泣かれるのは)
 本当に辛い。
 心臓がギリギリと締め付けられているような気分になる。
 今、ギリギリの所でもっている彼女の涙に、このまま堪えてくれと必死で、全身全霊で願いたくなる。
「送る」
 彼女は首を振った。けれども、こんな状態であればより一層一人で帰すわけにはいかない。
「駄目」
 首を振られる。
「いや、ガチで送るから!」
 その目が佐久間とぶつかる。
(う、わっ)
 その目に涙が盛り上がるのを見た。佐久間は気づいたら叫んでいた。
「な、泣くな!」
「っ」
「なくなったら泣くな!」
 目の前で、彼女の顔がどんどんと歪んでいき、佐久間の焦りは最高潮に達する。
「お願いだから、もうなんでもするから! ガチで泣かないで」
 情けなさ過ぎるお願いだ。
 けれども、心底自分は泣かれたくないのだ。それだけは、間違いなく本当で、彼女の笑顔が自分は好きだ。笑っていて欲しい。
 目の前で、ゆっくりと顔が歪んだ。そしてまるで何かにキレたというように、怒鳴るように叫ばれた。
「じゃあ結婚して!」
 それは唐突過ぎる叫びだった。だが焦っていたのは佐久間の方だ。
「結婚してよ! 何でもしてくれるんならっ」
 怒鳴りながら、彼女の目から大粒の。
(涙が)
 落ちると思った瞬間、彼女を抱きしめていた。見ないですむように。そして慌てて返事をする。
「する、するからっ」
 佐久間は必死に頼む。抱きしめた体は呆然としている。
「なんでもするから、泣かないで」
 そうだ。自分と結婚するくらいで、涙が止まるというのならば、幾らでも――。
「ん?」
「え」
 呟いたのは、お互い同時だった。
 しかしそこから、我に返ったのは佐久間より相手の方が早かったのだ。
 ドンとぶつかるようにしがみつかれた。
「佐久間さんの、馬鹿っ」
「え、あ」
「あほ、最低、間抜け、鈍感!」
「うわっ、えっと」
「大好き」
「へ」
 しがみつかれた場所が熱い。彼女の目から落ちる涙が自分の、なんでもない着古している服にしみこまれていく。
「大好きっ」
 そして吐き出された言葉は、同じように佐久間の中へしみこんでいく。
「ずっと、ずっと大好き…っ」
 しがみつかれた場所から、信じられないほど熱くなっていく。かーっと熱が頭の先から、指先まで回っていく。
(落ち着け佐久間敬)
 自分はまぁ平凡な男で、それなりに楽しくはやっている。
 普通の人間で、きっとこのまま行くと思っていた。健二と佳主馬がそのうち多分同居をして、その妹もきっと誰かと結婚をするだろうと漠然と思っていた。
 皆、そんな風に幸せに――。
(ああ、なんだこれは)
 そんな思いを壊す程必死の力でしがみつく体は、どこか不安で、まるで何かを恐れて震える小動物のようでもあった。
 強く、明るい輝きを常に放っていると思っていた彼女が。
(もしかしたら、いやきっと)
 健二も、佳主馬のそういう姿を見たのかもしれない。ずっと昔。
 本当に昔に、そんな彼を見て、彼は彼と生きることを決めたのかもしれないと思う。
 名前を呼ぶと、拒否をするようにしがみつかれた。
 頭が混乱しすぎて、何もかもを考えることを拒否している。
(ずっとって)
(好きって)
(結婚って)
 何もかもが収拾がつかない。
 ただ分かることは、今自分の顔も赤いだろうということと、今が幾ら夜とはいえ顔をあげられ――自分の赤くなった顔を見られたら堪らないということだ。
「…同情でも妹でもなんでもいいから」
「いやいや、ちょっとちょっと」
「鈍ちんのくせにっ」
「うっ、いやだってそれはなっ」
「ばーかばーかっ」
 ぐりぐりと頭を押し付けるようにしがみ付かれたまま、佐久間は何故か一瞬、彼女が別の男と結婚式を挙げている絵を見た。
(あ)
 美しい彼女の姿に、自分は多分泣いていた。
 何故自分が泣いていたのかなど、分かりはしない。全ては、ただの夢であり、妄想だ。
(だから、この痛みも)
 自分の手が、暖かい彼女の顔に触れる。
「えっと、ひとまず」
 佐久間は小さく耳元で伝えてみる。
「――――」
「っ」
 彼女が顔をあげようとしたのを、慌てて佐久間は押さえ込もうとする。
 よく分からない力比べのような攻防戦の果て、結局彼女は顔をあげたが、何か拍子抜けしたような気持ちになって、二人同時に笑ってしまった。夜中だが、笑い声をあげて笑った。
 まだ僅かに涙の残った顔で、嬉しそうに笑う顔は、妙に心の奥に焼きつく。
 まっすぐに自分を見つめる瞳。
(ああ、これはまるで)
 ヒロインに惚れられた役のようだ。
『馬鹿だなぁ佐久間』
 何故か、友人の声が耳に響いた。

『それを、主役って言うんだよ』











本当はもっとしっかりとしたループネタにしたかったのだけれど、取り合えずあっさりとさせてみました。
はしょった部分も多いのだけれど(1日仕事)イメージどおりにはいかないもんだ…

当初はなんとなく、佐久間が妹ちゃんの結婚式で、初めて「ああ俺好きだったんだな」と気づいて終わり。
という道筋を限りなく正解のルートで思っていたのだけれど。
頑張ってください、佐久間先生!!!!!
「ロリコーン!」
とからかわれても、がんばれ佐久間!