カーテンコール



 生まれて、はや三十年以上。自分である佐久間敬という存在と、もうそれなりの、驚く程の年数を付き合っているわけで、それなりのことは分かっているつもりだ。
(趣味特技はパソコン。才能はまぁそこそこ)
(情報収集が好きだけれど、イマイチそれを活かしきれてない)
(さすがにもう徹夜は響く体になってきたなぁ)
(性格はマイペース――良く言えば)
 佐久間としては非常に心外でもあるが、自分のとろくさい友人は自分のことを「鈍い」だの「鈍感」だの言ってくる。確かに繊細な人間ではないが、健二よりは気が効くと言い張りたい。
(まぁ所詮、平凡な男ですから)
 何事も平凡。けれども、十分その生活を楽しむ術は知っている。
 仕事と趣味の境界線は曖昧で、没頭できるものがあるだけいいし、やりがいもある。何度も泣かされてもいるが、それでも悪くはない。
 ブブブ、と携帯が振るえその音に佐久間は視線をパソコンから外した。
 カップラーメンやら資料やらに埋もれている携帯電話の光を、かろうじて見つけ手に取ると、そのまま慌てて開いた。
 届いたのはメールだ。
『夜にごめんなさい。兄貴、どこにいるか知っている?』
 それは短い文章だった。けれどもそっけないわけではないことを、短くない付き合いは知っている。
 自分の友人の妹であり、親友の恋人――佳主馬の妹からのメールだ。
 時計を見ると時刻はもはや深夜に近い。
(何かあったのか?)
 メールをするようになったのは、この1,2年の話だが、あの家のしつけらしく常識的な――佐久間からすると健全すぎる時間でのメールがほとんどだった。
(しかし、キング?)
 自分に連絡をしてきているのだ。ということは、佳主馬には当然連絡をした後であり、賢い彼女のことだ。きっと健二にも連絡をしたのだろう。
(二人とも出ないか――キングが外出しているかか?)
 平日だが二人がデートなどをしていれば、最悪だ。健二は未だに何か思う所はあるような表情をしているが、旗から見ればけっこう立派な馬鹿っぷるでもある。
(仲いいよなぁあいつら)
 天才二人組み。
 そしてその友人の自分。
 佐久間はその考えに小さな笑みが浮かぶ。
 あの二人は、特に健二は自覚していないだろうが、天才二人と長く友人をしている自分は、ある意味何かの才能があるのかもしれない。きっと自分くらいの性格でなければ、付き合っていくことなどできなかったかもしれない。
(馬鹿っぷるをスルーするスキルも必要だしな)
 はは、と笑った後で携帯に向きなおる。
『全然平気だし。急用?』
 佳主馬の家は、偶然だが現在佐久間と同じ駅の真逆にある。
 そろそろ買出しにいかねばならなかったこともあり、駅側に向かうついでに、佳主馬の家を様子見るくらいはしてもいい。
(つーか、あいつらさっさと一緒に住みゃあいいのに)
 佳主馬が引越しをするたびに思う。佳主馬は何故か、健二の住んでいる駅の側にだけは引っ越さない。まるでその一帯を避けるかのように、更新のタイミングで、場合により仕事の区切りなどで引越しをする。転勤になったものの、週に1,2日はこちらに居るため、住居は両方にもっているが、それでも彼は、健二の家に転がり込まない。
 呆れて最初の頃は言ったことがあるが、彼はいつもそれに関しては完全に聞く気がないようだ。
 携帯が再び振動する。今度は電話だ。
「もしもし?」
「佐久間さん? ごめんなさい、夜に」
 少しだけ後ろが騒がしい。
(なんだ?)
 佐久間はふと何か違和感を持つ。
「今平気だった?」
「家だし。暇なもんですよ。そっちは?」
 平気なのか、というつもりで口にしたのだが、一瞬不自然な沈黙が開く。佐久間は笑いながら冗談を口にする。
「実は東京とか?」
 彼女は高校生であり、地元名古屋の学校に通っている。一年生の秋には文化祭も見学に行った。彼女はそれ以外にも、それなりに頻繁に東京に遊びに来る。
 確かに年頃の女子にとっては、東京は面白い場所だろう。
「っ」
「え」
 だが、相手が息を呑んだことにより佐久間は変な声が出た。
 時計を見る。時刻は正確には23時10分。
「…ガチで?」
「……」
「もしかして、今うちの駅にいたりして…?」
「……」
 沈黙は雄弁である。
 今日は明らかに平日だ。佐久間は嫌な予感がして、上着も取らずに玄関を飛び出す。空き巣もビックリして何も取られないような家だ。
 鍵をかけることも忘れて、駅に走る。
「ちょ、一体どうしたよ!」
「ち、違うっ。いるわけないよ!」
「いやいやいや」
「違う違う違う」
 よく分からない押し問答が続く。
「佐久間さんもしかして走ってないっ!?」
「いやいやいや」
「絶対居ないから。居ないからねっ」
 歩いて5分ちょいの道を取り合えず走ったせいで、駅はもう見えた。
(おいおい……)
 夜だが酔っ払いを含めそれなりに人通りのある駅で、浮くような女性が一人立っている。制服だ。
 特別な職業ではなく、リアル制服を身にまとった人物がそこにいた。そして自慢ではないが、彼女は美人だと思う。
(立派に育って何よりだとも)
 勝手にそんな心境でもあるが、今はそれも不安にしかならない。
(一体いつからいたよっ)
 自分に連絡するまでも迷ったことが分かる。絡まれもしただろう。
 携帯をもって何かを話している。その声は多分自分の耳に届いているはずだが、佐久間はそれを言葉として理解する前に近づき、腕を取った。
「っ!」
 相手は驚いて逃げ出そうとするが、佐久間は腕をはなさない。
 自慢ではないが草食系のインドアだ。はっきりいって、言葉が出ない。
「ま…じ……、まって」
 彼女は少しだけ赤い目をしていたが、必死に吐き出した自分の姿を見て目を丸くした後、何故か声をあげて笑い出した。
「佐久間さん」
「は、いはい、なんです、か」
「格好悪い」
「格好悪くて、すみま、せんね」
 兄貴と比べないでくださいよ、と小さく文句を言うと、更に声をだして笑われた。
 これはもはや血筋としか思えないが、佳主馬も、そして彼の妹も美しい顔立ちをしている。正統派とは違うのかもしれないが、無駄なものが排除され、研ぎ澄まされたような美しさだ。それぞれが武道を習っているせいもあり、姿勢をよく、その凛とした美しさは、内面からもにじみ出ている。
 佳主馬がもてることは、彼が東京にきてから本当に思い知った。
(そういや、一度しつこいヤツを振るために、ガチで「俺ゲイだから」っていってたよな…)
 その迷いの無さもさすがですキング、と思う。
 しかしよく考えれば、自分の格好は明らかに酷い。先ほどまで家にいたせいで完全に部屋着である上、靴も適当にはいたせいで何故か革靴だ。
 髪も少しはねているかもしれない。
 上田に居る時に、似たような格好は見られているのでまぁいっかと佐久間はようやく落ち着いてきた息で口を開く。
「まだ、連絡来てない?」
「うん」
「じゃあ、ひとまず俺の家で待つか」
 今日の彼女はいつも以上に素直で、しおらしくもあり不思議だった。
(まぁなんかあったんだろうけど)
 どう見ても学校帰りにそのまま電車にのってしまった、といういでたちに荷物だ。
「あ、もしそばにファミレスとかあれば、勝手に時間つぶすから」
「それが、この辺り飲み屋ばっかでさ。つーか、こんな時間に一人で放置できないだろ」
「…ごめんなさい」
「いいっていいって。あ、悪いけど部屋きたねぇぜ?」
「知ってる。兄貴がいつもボヤいてた」
「う」
 少しずつ戻ってきた口調に、佐久間は僅かにほっとした。
 二人並んで、今度はさっきと違いゆっくりと歩く。
 理由を聞きたい気もするが、ここで聞いてしまったら健二と同じになってしまう気がする。
(うーん、けどなぁ)
 ふとその時、携帯の音楽がなる。
 佐久間はマナーモードにしたままだったため、それは自分の携帯からの音ではない。彼女が鞄から携帯を取り出した瞬間、その表情が僅かに凍った。
「キング?」
「あ、」
「健二?」
「う、ううん」
 あの、と何かを言い出そうとして言葉が詰まっている。そこで佐久間はピンと来る。
 先ほどは駆け下りた階段をゆっくりと上がり、電気もつけっぱなしのままの自宅の扉をあけた。
「彼氏か!」
 笑って振り返ると、小さく不思議な表情で微笑まれた。
「そっかー彼氏と喧嘩したわけね」
 青春だなぁと呟く声に、淡々とした声が重なる。
「別れた」
「そうそうわか――え」
「別れたの」
 そう告げる彼女の顔は、恋だの愛だのに浮かれているようなものでは一切なかった。
「私が悪い。だって、好きじゃなかったんだもん」
「へ、へぇ…」
 佐久間はとりあえずの相槌を打つ。
 彼女がいたことはあるが、大抵いつもこのペースなので振られるのも自分の仕事だった。
 一瞬相手の男に同情しそうになるが、今はそうではない。
「ら、色々しつこくて…思わず逃げてきちゃった」
 まさか佐久間さんに会うなんて思わなかったけど、と笑う顔はどこか自虐にも見える表情だった。
 それがかわいそうに見えて、佐久間は自分よりも低い場所にある頭に軽く手をのっける。
「うわ、それ何俺無視フラグ? せっかくここまで来て」
 彼女は笑っただけだった。
 その瞬間電話が再び鳴る。どうやら同じ相手らしい。
 意を決したのか、彼女は電話のボタンを押した。同時に佐久間は手を離そうとしたが、視線が向けられる。彼女はそれを恥じるかのように視線をすぐに外したが、佐久間は手を伸ばして頭をもう一度撫でた。
(さすがに、心細いよなぁ)
 気が弱くはないだろうし、活発な彼女だが、それでもこういう時には冷静ではいられないだろうし、動揺する彼女の心にどこか安心する。
 だがその第一声は酷かった。
「二度と電話すんな」
「ええええええ」
 思わず佐久間は声をあげる。だが、彼女は全く動じず、むしろ苛立ってすら居るようだった。
 その言葉に、相手が勢いよく何かを喋っている声がする。なんとなくだが、謝罪のような言い訳のような、縋るような言葉を吐いている気がした。
(まぁそりゃ)
 こんな彼女がいたら可愛いし、幸せだろうなぁとぼんやりと佐久間は思う。
 自分達のころでいう夏希のような、万人に対する明るさはないが、きっと多くの人間から好感は持たれているはずだ。
「関係ない」
 続いてまた、バッサリと彼女が電話の向こうを切り捨てる。
「…いやあの、ちょっとさすがに」
 普段聞くことのない冷たすぎる声に、切り捨てられる人物に佐久間は苦笑いが浮かぶ。
「東京。兄貴の所」
 相手はまだまだ何かを喋っている。
(あ)
 だがふと気づく。握り締めるようにもたれた携帯。振り払われない自分の頭に載せた手。
 別に彼女も平気なわけではないのだ。全く動揺していないわけでもない。
(なるほど)
 だからこそ、より一層言葉も厳しいものになるのかもしれない。
(昔の、キングみてぇだなぁ)
 そう思った瞬間、佐久間は手が伸びていた。あっさりと彼女の手から携帯を奪う。
「あ、悪いね。今本当に東京に居るんだ」
(今だけ兄貴代理ってことで)
 佐久間は相手が驚いている隙にと言葉を続ける。
「少しお互い冷静になってから、話をするならするってことにしてくれない?」
『え、あの』
「理解してくれた? ま、あんまりしつこくすんなよ。じゃあまた」
(なんか、大した男じゃねーんじゃねぇの)
 反論する隙は与えず、勝手に通話を切ってしまう。
 通話を切ってしまった携帯を差し出すと、彼女はポカンとした顔をしていた。言葉を完全に失っている。
 そのらしくない表情に、佐久間は両手をあげて反省と謝罪を伝えた。
「あー勝手にごめん」
「あ、」
「ひとまず、今日くらいはゆっくり休め」
 その瞬間、再び携帯が光る。
 それは今度はメールの着信で、手に持っていたため見えた表示は佳主馬の名前だった。
「キングだ」
 それを彼女は、何故かなかなか開かなかった。正しくは全く携帯に視線を向けなかった。
 ただじっと、佐久間を見ている。
「元気だせって。まだいい男もいるさ」
 彼女は小さく頷いた。
「少しは好きだったんだろ?」
 その瞬間、再び彼女は不思議な泣き出しそうな、怒りだす手前にも見える。
「……好きじゃ、ないよ」
「またまたぁ」
「だって、私は」
 彼女の言葉は、そこで止まった。
(ああ、そりゃ俺になんて気持ちはいいにくいよなぁ)
(けど)
 力になりたいとは思う。
 自分は天才ではない。凡人で、たいしたことなどできやしない。
(それでも、思うさ)
 佐久間は戸惑う彼女を見て、僅かに微笑んだ。
 彼女が昔自分にくれた言葉。思い。
 きっと自分は一生忘れることはないだろう。多分彼女にとってはなんでもない言葉で、慰めだったのかもしれない。
 だが、あの時の自分にとって、特別だと言ってくれた言葉が、どれだけ救いを与えてくれたことか。
 彼女は、間違いなく一生知らない。
「幸せになれよ」
 それは、自分の精一杯の思いだった。
「――かえる」
「え」
「兄貴、帰ってきたみたいだし」
「あ、じゃあ送」
「平気。本当にごめんね」
 彼女は顔をあげて、小さく笑った。
「迷惑、かけてて本当にごめん」
「何あらたまって」
 玄関と扉の側で、彼女は少しだけ振り返った。
「佐久間さんは」
「うん?」
「好きな人、いる?」
 唐突な質問だった。だが、彼女の現状を思えば自然な流れだったのかもしれない。
「ピンとはこないかねぇ、って何寂しいこと言わすかな!」
 彼女が一瞬口を震わせたが、その前に続けてしまった。
「ま、俺は一生独身かもしれないけど」
 友人らの前では、まだこれからよ、と笑っているが本心の所ではそんなものだ。漠然と、自分は多分一人がいいのではないかとすら、たまに思うことがある。
 女性は好きだし、付き合いたいとも思うが、それでも何故か。
 気ままに、好きな時に好きな友人達を主役にした話を、応援して、関係して、笑って。
(いいじゃないか)
 満足な未来だ。
「あ、だからちゃんと結婚式はしてくれよ。健二も式はできねぇだろうし…一度は参加したいんだよなぁ」
「私はっ」
「うおっ」
 突然の大声に体が跳ねた。
「………」
 暫く、そのまま彼女は無言だった。
 眉を寄せていた顔を、更にしわくちゃにして、彼女は声を絞り出す。まるで昔映画で見た、懺悔をする人のようだった。
「好き、だった」
「だよなぁ」
 仮にも付き合っていたのだ。好きではなかったことはないだろう。
「諦めないといけないって、思って、いたけど」
「あー…けど、もっといい男もいるって。幸せになるって」
 何故か、彼女はより泣きそうな顔になる。
(う、ダメだ)
 心臓が痛む。自分はどうやら、慰めが本当に上手くないらしい。
「好きだった、んだ、本当に本当に。…ありがとう、佐久間さん」
 彼女は走り去った。
 恋が終わった時に絡むのは、あまりよくないだろうと、気になったが佐久間は動きを止めた。
(なんだか、なぁ)
 不思議な気分だった。
 1,2歳のころにも姿を見ていたし、小学生のころも知っている。そして中学生になり、現在は高校生。
 そして彼氏が出来て、失恋もしたという。
(人生は、進む)
(時は動く)
 佐久間は小さく笑って、何かを軽く振り払う。
 佳主馬に連絡をいれておけばいいだろうと、ソファに腰掛けて、携帯を取り出した。
 妙に体が気だるく重いのは、さほど長い距離ではなくとも全力で走ったせいだろうか。
 そして、携帯をうちながら目を瞑り――。





「しかし、早いなぁ」
 懐かしい記憶を思い出しながら、佐久間は呟いた。
「俺らもそんな年になるわけだ」
 佐久間は隣に立つ親友に、笑いながら声をかけた。
 招待客として、自分達は今この場所に立っている。真ん中には赤い絨毯がしかれている。佳主馬は親族として、今は前の離れた席に居るはずだ。
 教会の内部は、さすがに海外のようにはいかないが、それなりに高い天井が作られている。
(ここに)
 もう少ししたら、彼女がやってくるのだ。
 生涯の伴侶を伴って。
「間違いなく、こういう時の主役は旦那じゃねぇだろうなぁ」
 正直な感想を口にすると、何故か健二は少しだけ重い表情をしていた。
「…ねぇ、佐久間」
「ん」
「佐久間はさ、自分が主役になることって考えたことがある?」
「は?」
 健二の質問は唐突だった。
「俺じゃあ主役にはなれねーだろ」
「主役だよ」
「おいおい、今頃俺のすごさに気づいたってのか」
 いつものような軽口を叩くと、健二は何故か辛そうな、困ったような表情を見せる。
「彼女はさ――」
 今口にする、その名前が誰をさしているかなどすぐに分かる。もうすぐここで、選んだ伴侶と愛を誓う人物だ。
 きっと今日の彼女は美しいだろう。それだけは間違いなく分かる。
『佐久間さん』
 彼女の目はいつもまっすぐに自分を映してくれた。
 とても綺麗な、澄んだ目をしていた。最初の印象は夜のように重く、だがその中身は限りなく澄んでいた。
「彼女は」
 健二は喘ぐように呼吸をし、その先を口にしない。
「おいおい。なんだって」
「――佳主馬くんも、案外意気地なしなんだ」
「は?」
 唐突な会話運びに、佐久間はついていけない。
「僕もそうだし、多分、誰だって、どこかは臆病なんだ」
「はぁ…」
「彼女も、だから、ただ臆病だった」
 何を言いたいのか、佐久間にはさっぱり分からない。
「…好きだった?」
「そりゃね。大切だよ。てかお前もだろ」
 健二がそれ以上何かを言おうとした瞬間、教会に音が鳴り響いた。式が、これから始まるのだ。
(ああ、やばいな)
 きっと、今日は泣くだろうと佐久間は思う。
 それでも彼女の幸せな顔が見えれば、きっと自分は満足だ。いつもとは違う、少し式に感動したような表情で笑う顔が見れるかもしれない。
(なんだろうなぁ)
 嫁ぐ彼女に、どこか寂しいと思うのか。
 少しだけ、胸の奥が思い。
『好き、だったよ』
 ふと何故か、そんな言葉を思い出す。先ほどの、懐かしい記憶の終わりだ。
 彼女の感情をもらえる人物は、きっと幸せになるだろう。願わくば、過去形の言葉など、一生聞かないですめばいいと思う。
 自分は、この場所からいつでも幸せを願っている。
「佐久間、馬鹿だよ」
「あ?」
 小声で健二が言う。
 健二は何故か泣いているようにも見えた。まだ泣くには早いだろうとつっこみたかったが、何故か自分の胸も詰まる。
『好き、だったよ』
 過去形の言葉が、何故か。
 今。
 ふと。
「本当、大馬鹿だ」
 その言葉の真意を結局佐久間は問い返さないまま、式は静かに進んでいく。
(ああ)
 もうすぐ花嫁の入場がある。
 今日は絶対に泣くだろうと、佐久間は滲みそうな視界で確信していた。






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