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 拳がめり込んだ瞬間、分厚い鎧が割れる音以上の大歓声が、その場を包み込んだ。
「おいおい、なんてこった! やっぱり我らがキングに敵はなしかっ」
 テンションの高い司会者の声が響き、それを更にかき消すように歓声が大きくなる。その賞賛の対象であるキング・カズマは、まるでその声援など聞こえもしないかのように、その場に静かに立っていた。
「まいったっ、やっぱりOMCのチャンピオンは、こいつ以外ありえねぇ! 新記録のオマケまでついてきたら、もう文句なしだろっ」
 普段であれば、その司会者が話を終わる頃まで、動かずにただ彼はそこに立っている。せいぜい、最低限の指示としてもらっている、『OMCのロゴを見る』程度にしか動かない。
 だが、この日はゆっくりと顔をあげ、いつもの落ち着いた視線でその場をぐるりと見回すことで、キング・カズマは珍しく声援に応えた。
 操作者である佳主馬なりの、あの戦いで最後、協力をしてくれた沢山のアバターへの、その主への礼でもあった。
 その対応に、更にその場の声が大きくなり、司会者が驚いた声をあげる。
「今日は一体どんな日だ! 世界を救った経験が、キングを更に変えたのか! これだけ珍しいものを見たんだ。デートをすっぽかされたヤツも、注文を間違えられたヤツも、広い心で許してやってくれ!」
 キング・カズマは司会者の喋り続ける声を聞き流し、画面越しでは分からない程度に、耳をそっと揺らす。
『ふ…ぅ』
 その声は、キング・カズマの耳しか拾わない。否、拾えない。何故ならそれは、自分の主でもある佳主馬の声だからだ。
 OZのトラブル。ラブマシーンとの戦い。
 それにより奪われたベルトは、OZからの調整で戻るのではなく、佳主馬の強い希望もあり、再び正式な手段で、こうしてキング・カズマの元へと戻ってきた。
 暫く歓声を聞いた後、結局一言もしゃべらずにキング・カズマはその場からログアウトをしたが、その場にこもった熱気と歓声はまだまだその場を包んでいた。



(よかった)
 キング・カズマはぼんやりと立ったまま、つい先ほどまで自分がいた会場を見下ろしていた。佳主馬との接続はもう切れている。最後に、ひどく安堵した息を吐く音と、感情が伝わってきて、自分も心底ほっとした。
 拳を確かめるように、ゆっくりと握り締める。その拳は、自分でも分かるほど動かしやすく、そして自分の強さが変わったことを感じさせた。
 自分の主たちが、自分たちをどこまで分かっているのか分からないが、ラブマシーンとの戦いの中で、性能だとかそういったものを抜かし、自分はパワーアップをした。
(沢山の思い)
 佳主馬の強い思い、それに重なった沢山の人物の思い。
 この世界の人々の思い。
 キング・カズマ自身、彼のためにも、最高の戦いを常に行いたいと思う。それでも、今の自分が強くなったのは間違いなく主の変化――この戦いを共に行った、あの沢山の者達のおかげだと思う。
(特に、あの)
 主を、最後まで見捨てず、そして強い姿を見せてくれた人物。
 主との感情は、彼が自分を操作している限り常に伝わっている。その間、自分は彼自身となる。だから、手に取るように分かるのだ。佳主馬の心が動いた瞬間を。
(それが、主に必要だったもの)
 ふいっと視線をずらし、どこへ行くでもなくOZの世界を漂った。アバターは主とのログアウトが切れている状態であれば、各自、自由に動くことができる。ただ主とのつながりが浅ければ、動けても彼らに何の意思もない。ただ漂っているだけだ。
 そして主との接続が切れているアバターは、同じ状態のアバター同士しか見ることができない。
 だから、その中で、それを見つけたのは本当に偶然だった。自分も彼も、接続が切られていたという幸運も前提として。
「はぁ? お前がぶつかってきたんだろうが」
 図体のでかいアバターに囲まれている小さいもの。
 普段であればまったく気になど留めなかった。だが、今は足をとめた。それは、自慢の耳が音を拾ったからではなく、ただその存在に気持ちがひっかかったからだ。
 そのアバターは自分の主でもある彼が、変わるきっかけになった小動物。
 小動物はしばらく無言で、三名それぞれの言い分を聞いていた。
 軽くど突かれて転がったりしつつも、その小動物は無言であり、切れた一人が本格的に拳を振り上げたところで、真面目に顔をあげた。
「思うんですが」
 小動物は心底真面目に口にした。
「僕よりも体が大きいんですから、僕が自ら当たる可能性は低くないですか?」
「は、はぁ?!」
「だって、僕の面積と比べると…ええっと、何倍だろ。まず、この手を基準として考えて」
(……駄目すぎる)
 聞いている方がガックリくる。確かに彼の主は、天才的な数学センスを持っているようだが、アバターの方はまだまだ計算力は勉強中のようだ。
 必死に汗をかいて計算をしている。この状況で。
 はぁと短いため息をついて、キングは軽く足を振る。
 さほど距離は離れていない。ダッシュでその場に近づき、手加減して小動物を蹴り上げる。
「う、ひゃぁぁぁぁぁぁっ」
 それには三人のほうが唖然とした。呆然と真上に吹き飛んだ小動物を見て、それからそれを行った人物を見てその表情が変わる。
「もらってくから」
「は、はいっ」
「どどどどど、どうぞぉぉぉぉぉ」
 動揺のあまり逃げ出しそうになった三人にチラリと視線を向け、そのまま上に飛び上がる。そのまま予定通りの動きで、小動物の服をつかむ。
「あ、あへぇぇぇっ」
 完全に目を回している上に、どうやら掴んだ場所が悪く、服で首が締まったようだ。
 ふと目に付いた尻尾をむんずと掴みなおし、そのまま移動する。やわらかく芯のない感触に、本当に本体もついてきているのか一度振り向いたが、軽い体が上下に思い切り揺れているので問題はないだろうと、ある程度静かな場所が見えてから着地した。
「ふぐ、お、がっ」
 パっと手を離したせいか、ぼん、ぼん、ぼんと弾力もある体が数度跳ねて止まる。
「ううううう。計算、忘れ…」
「左端のヤツが、7.34倍で、奥のヤツが5.2倍程度。あんたが呟いていた数字を基準にしたら」
「え、ええええええっ」
 答えてやると、ばっと驚いたように小動物が顔をあげた。
「あ、あなた…っ」
 その目がようやく自分を映す。驚愕に見開いた目。
「あなた、天才ですか!」
「……」
(駄目だ、こいつ)
 本日二回目のことを思いつつ、それでも佳主馬が気になっている人物のアバターだ。
 見捨てることはできないし、何よりも興味がないとはいえない。
 まだこの姿に切り替わってから日が浅いようだが、本質は多分どこか引き継いでいるはずだ。
(主――佳主馬が)
 興味を持ったということ自体、不思議な気がする。
 固く閉ざされて、故に強さを身に着けた彼が、どうやってその世界を広げたのか。
 一目で、自分と目の前の小動物が、全く違った存在だということは分かる。戦ってしまえば、自分の圧倒的勝利だ。それでも、主の変化に関わったのは、自分ではない。
 興味があった。見極めたい気持ちもある。
(このアバターの、この主のどこに――)
 キング・カズマはしゃがみ、まだ半分倒れたままのアバターに近づく。
「うーん、やっぱりまだまだだなぁ。あ、でもありがとうございます」
 小動物は立ち上がり、礼をして笑った。
「やさしいんですね」
「どこが?」
 蹴り上げられたことを忘れたのかと、つっこめば逆に驚いたように目を丸くする。
「だって、答えを教えてくれたし」
「……さっき、蹴り飛ばしたけど」
「僕、よく弾むって言われました!」
「……」
 どこか自慢げに言われれば何も言えないが、きらきらしている顔を見ていると、なぜか苛々するような気持ちになり、その頬を摘まんでみる。
 すると本当に驚くほど柔らかく良く伸びた。
(……)
 妙にはまりそうな感覚である。
 しかし、この世界で生きるには不必要としかいえない機能だ。
 主と接続が切れている間におった怪我は、接続とともにリセットされる。
 だが、だからこそ、この世界は平和ではない。
「あんた、出歩かない方がいいよ」
「え、なんでですか?」
 不思議そうな顔をした後、小動物は言う。
「でも、僕探すものがあるんです」
「さがすもの?」
「はい。僕の前のアバターの欠片を」
 思わず目を見開いたが、目の前の小動物はにこにことしたまま話をしている。
「僕は新しく生まれたんですけど、でも前のアバターもやっぱり僕なので。少しでもその情報を吸収したくて」
 彼が何を言おうとしているのか、理解はした。理解をしたからこそ、意味が分からなかった。
 彼の前のアバターは、自分の拳が砕いた。AIにのっとられたのだからそれはしょうがないことだ。
「…何それ」
「え、や、なんていうか」
「今のアバターはあんただ」
「えーっと、だからあのその」
 慌てたように、汗が宙に飛ぶ。
(……)
 どちらにしろ、今の自分には関係のない話だ。
 キング・カズマは立ち上がり、もはやこの場に用はないと去ろうと思う。付き合うのも馬鹿らしい話だし、自分がこれ以上構う必要も義務も無い。
 そう思うものの、どうも立ち上がることができない。
 不本意ながら、どうにも、この小さくて馬鹿な生き物が気にかかる。
 確かに興味はあったが、別にわざわざ――。
(物凄く不本意だ)
 眉が寄り、思わず顔が歪む。
(けれど)
 主が。
 どんなにこのアバターが怪我を負おうが、リセットはされるだろうが、もし万が一。何か決定的なバグを受けてしまったら。
(…なんで、見つけたんだか……)
 多分主は、今この小動物の主と電話をしている。それを、そこで今日のことを、ベルトを取り戻したことを無事に報告を出来ることを、彼がとても楽しみにしていたのだと、自分はちゃんと分かっている。
 自分の腰には、昨日までは無かった黄金に輝くベルトが巻かれている。
「……あんたさ」
「はい!」
「あいつが分解された場所、行った?」
「あ、いえまだ」
 ため息をついて、小さい物体を小脇に抱える。間違いなく、欠片があるならばそこが一番確率が高い。
「え、ちょ、は?」
「行くよ」
「え、えええっ」
 悲鳴はこの際無視だ。ぼんやりと覚えている座標に向かって、速度をあげる。
「う、げ、ぐ」
 空気抵抗のせいで顔が歪んだ物体に思わず口元が緩みそうになり、キング・カズマははっとする。
 基本的に、自分は笑わない設定になっているのだ。
(それが、何故)
 衝撃に手が滑りそうになったこともあり、少しだけ速度を落とす。目標地点はまだ遠いのだ。急ぐ必要は多分ない。
「うう、すみません…」
「別に」
 あんたのためじゃない、とは言葉をつなげなかった。心の中では思ったとしても。
 暖かくて柔らかい手触りは、案外抱えるには悪くないと思いながら、キング・カズマは走っていった。