お手本はありません




「愛を囁く?」
「そう」
 健二は難しい顔のまま頷いた。
「どうやって囁けばいいのかって…難しいよね」
 気持ちに当てはまる言葉を口にしたとしてもやっぱり嘘っぽくなるし、と健二は付け足す。それはこの数時間、健二が散々悩んでいた問題だ。
 とりあえず相談できる相手が現れたことに、健二はただ純粋にその悩みを口にしたが、佳主馬はふっと肩の力を抜くように笑うと、畳の上に荷物を置き健二にさらに近づいた。
 その瞳の奥は笑っていない。
「で、俺は誰と戦えばいいの?」
「は?」
「健二さんが囁く相手と、戦わない訳にはいかないけど」
 健二は数度瞬きをしてから、かっと頬を赤くした後、慌てて首をぶんぶんと振る。
「ち、違う! 僕が、僕じゃないっ」
「だろうね」
「だから――へ」
「自分のことじゃないから、考え込んでいたんでしょ」
 佳主馬はさらりと、すばらしい推理力を見せ付ける。
「…なんか、たまにあれだよね」
「別に、健二さんの思考は透けてないし、何でも分かるわけないよ」
「…負けました」
 佳主馬が、自分のことを理解するために努力をしてくれていることは、十分すぎる程分かっている。だが、今はいっそ見事なほど読まれまくっていた己の思考に、もはや感服するしかない。
 健二は小さく笑った。
「絶対、きみに嘘つけないね。つきたくないけど」
 言った瞬間、健二の手を、佳主馬の手が包み込むように掴む。その突然の行動に、健二は笑みを消して、驚いたようにその手を見る。
 佳主馬は驚いている健二をみて、微笑みを浮かべる。健二は、まっすぐに自分を見つめる瞳に、射すくめられるように動きを止めた。
 その表情に、健二の心臓は妙な音をたてる。間違いなく、自分の心臓はこの数年、幼少期の頃の怠惰を取り返すかのように活動している気がしてならない。
 普段は押さえられている華が、目の前で見せ付けられ健二はただ己の鼓動の音を聞く。
(い、一体どうやったら…)
 人は、こうなれるのだろうか。
 視線を泳がしていた健二は、けれども最終的に佳主馬の顔を一応見つめ返す。
「俺は、どんな人が来ても絶対に負けないし、健二さんに満足してもらえるように努力し続ける」
「え」
「俺が神様から貰ったものは、本当にそれくらい――」
「え、ちょ、か、佳主馬くんっ」
 思わず健二が身を引くように上半身を少しそらすと、ずいっとより佳主馬が近づいてくる。その距離は非常に近い。
 確かに佳主馬はよくこの手のことを口にする。彼曰く、健二が忘れやすいからだというが、そんなことはないと主張をしたい。
(じゃなくて)
 今はそう。場所が、場所だ。
 止めさせたい。けれども、健二は先に控えめに、小さく自己主張を口にしようとする。
「…それは僕だ――」
「俺が勝手に、そうしたいだけだから」
 健二が言いかけた言葉は、佳主馬の手に塞がれる。
「好きだよ」
「っ」
 健二は息を呑んで佳主馬の顔を見る。そのままかーっと温度が上がるのを感じる。言葉がもう何一つ出てこない。
 佳主馬の手が、何かを真似るように健二の唇に触れる。
「うん」
 佳主馬は小さく頷く。
「一応、満足した」
「…ま、んぞ、…?」
 佳主馬は健二の言葉に答えない。
 だから、健二は佳主馬の視線を追うように、そっと視線をずらす。そこには障子があるが、団子のように影ができていた。
「あ」
 健二は思わず声をあげる。
 そこに居たのは、他でもない。今日最初に健二に質問してきた――。
「真悟くん?」
 佳主馬の手がそっと健二から離れ、障子をあける。そこには顔を真っ赤にした、真緒、真悟、祐平のみなれた三人組みが硬直していた。
「人のもんなんて、参考にならない」
 健二の後ろで立っていた佳主馬があっさりと、切り捨てるように口にする。
「……よ、く分かりました…」
「なりふり構ってたら、負けってことか」
 真悟と祐平の感想に、真緒が続ける。
「佳主馬にぃ、イタリアにいけるよね…」
「まさか」
 佳主馬は真顔で三人をみて、真悟の頭を無表情につつく。
「健二さん以外は勘弁」
「……恥ずかしくねぇの?」
「最初の頃は夢中だったし」
「し?」
「今は、健二さんの反応を見るのが楽しい」
「え、ちょ!」
 健二が声を荒げると、佳主馬は柔らかく微笑んだ。その表情の変化に三人はまた目をむく。
「健二さんが、受け止めてくれるようになったから、楽しいし」
 その言葉に健二は完全に言葉を失ったが、なんとか声を絞り出す。羞恥で声すら赤く染まっている気がする。
「……そ、そうですか」
 こんな場所で言わないでくれと、健二はその言葉は飲み込んで、畳の上に座り込む。
(嬉しいけどさ!)
 だからこそ、余計困るのだ。そして、親戚の皆が、嫌悪しないでくれるから――居た堪れないし、羞恥で死にそうになる。
 ある意味贅沢な悩みだと分かってはいる。
 そんな健二とまた違った意味で、後ろの三人組みも、完全に廊下に沈没した。
「負けました」
 祐平の言葉に、佳主馬だけが小さく声を出して笑う。
「もう邪魔するなよ」
 その声の半分以上が、彼の本音であることは、多分健二だけが分かってしまった事実だった。






神恋の佳主馬は、親戚やその他の前では全然羞恥など二の次です。
特にライバルが、佳主馬も認める魅力的人物が沢山親戚にはいますからね!


けど学校は普段健二さんがいないので、そこにフラっと健二さんがくると、「わーっ」とちょっと動揺してしまったりもする感じです。