【第十話】池沢佳主馬と小磯健二の交際



 それは、とある作業のため二日ほど徹夜をし、迎えた朝だった。
「おわ、った…」
 綺麗に動き出した画面を見た瞬間、思わずそんな呟きが漏れる。同時に、言葉通りふっと、体から色々なものが抜けていく。それからじわじわと、指先を満たすのは、酷く甘い感覚だ。
 類友、とはよく言った言葉だが、健二が数学による達成感にハマっているのであれば、自分はプログラムや式の組み立てに夢中になる。
「わはは、ははははは」
 眼鏡を取り、一度声を出して笑ってから、佐久間は一度大きく伸びをする。顔は妙に緩んでいる。
 眠いことは眠い。むしろ、かなり強烈だが、今は何故かそれすら可笑しい気がしてしまう。鼻歌など歌いながら、確実に今関係などないOZの設定画面などを開いてしまう。
 完成した瞬間の妙なハイテンションという奴だ。と、冷静であれば気づくが、今は冷静ではないので、気にすることなく、ふんふんと鼻歌とともに、ちまちまやっていたその瞬間。
 家のチャイムがなった。
「ほーい」
 ゴールデンウィークの真っ最中であるこの期間、両親は姉たちと旅行中で、佐久間は実家とは言えども、一人で気ままな暮らしを謳歌していた。
(あー毎日こうなら、家出る必要もないんだけどなぁ)
 物理室があったころは家賃もかからない第二の家があり、本当によかったとしみじみ思う。
 佐久間の声が聞こえなかったのか、ピンポーンともう一度チャイムがなり、佐久間は慌てて扉をあけ――硬直した。
「……」
 目の前の人物は何か言おうとしたが、眉を寄せた。
「何その頭」
「あー…作業中髪邪魔になるから――キング?」
「久しぶり」
 佐久間は数秒、否数十秒は、その声と、更に目の前の人物を見つめ、それが誰かを正式に理解した。
「――キング!? ガチで!」
 佐久間は姉の、無断で使っていたヘアバンドを下ろすことも忘れ、大声で叫ぶ。その声が再び煩かったのか、目の前のキング――こと池沢佳主馬は、その表情を再度曇らせる。
「おおおおお! 生キングっ」
「…佐久間さん酔ってる?」
「まっさか。俺はいつでも真面目でまともですよ」
「ああ。徹夜あけね」
 佐久間の格好から予想をつけたのか、佳主馬があっさりと答えを口にし、佐久間は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「てか、なんで?」
 考える前に言葉が口に出るのは、親友曰く悪いくせだが、本当にやばいことは考えてから口に出している。と、心底鈍い友人に対しては主張したい。
(や、じゃなくてさ)
 軽く首を捻る。回転の遅い脳みそでも、目の前の状況が不自然であることくらいは、認識できた。佐久間が知る限り、佳主馬が東京に来る理由は一つしかない。そして、その理由に、自分は関係がないことを知っている。むしろ複雑すぎるくらいの関係だ。
(っても、一方的なもんだけど)
 親友に対する淡い気持ちを、よく分からないままラスボス的な父親的な気持ちに昇華させられ、悲しいことに多分、最後に親友の背を押したのは自分だ。
 少し前の、まだ記憶に新しい寒い季節に、親友から「彼氏が出来ました」と改めて連絡があった意味を、自分はちゃんと分かっている。
 最も、その瞬間は苦しくも切なくも無く、ただ苦笑いとともに、不器用な親友を祝福する気持ちがあり、まさしく父親のようなポジションになってしまっていた自分に、若干愕然とした。いくら健二がとろかろうが、自分達は同い年なのだ。
(俺をふけさせるんじゃねぇっての)
 その、親友を渡した相手は今目の前にいる。自信に満ちたような顔で、順調に成長している。このまま成長していけば、それは佐久間にとって望ましくない――率直に言えば、腹がたつほど羨ましい結果に成長しそうな予感に、顔が複雑に歪んだ。
 神はときにエコ贔屓をするから、困る。
「早まった…」
「何が」
「おっと。そうだお茶お茶」
 佐久間は慌てて中に引き返し、玄関の扉で動かない佳主馬を振り返る。
「あれ? はいらねぇの?」
「入っていいとも言われてないけど」
「真面目だなぁキングは」
「礼儀だし」
 むしろその言動の方が、確実に生意気でもあったが、何故かそれは気にならない。それは、普段佳主馬とやりとりしているメールもそうだ。素っ気無く簡潔すぎるほどだが、別に嫌ではないし、正直悔しいがキング・カズマがメールを運んでくるたびにテンションがあがるのは事実だ。
(だって、あのキングだぜ!)
 中身を知ろうと知ろうまいが、キングはキングだ。あの憧れの存在だった、無敗を誇る王者が自分にメールを運んでくるのだ。気分が悪いわけが無い。
 そしてそのメールだって、自分を認めての依頼だということが分かるから憎い。
(あー自分の察しのよさが憎いね、ガチで)
 とりあえず居間に通し、冷蔵庫から冷たいお茶を取り出して、グラスに入れる。佳主馬は綺麗な姿勢で椅子に座っていた。
「キングさ、なんであいつがいいわけ?」
「何いきなり。好きになったから」
 何、といいながらも佳主馬は一息で答えをくれる。
「…迷いナイデスネ」
「あったら、あんな風に迫らないし」
 堂々としたものである。
 悔しいがその言動もどこか似合うし、自分には決して出来ない言動だ。なあなあにしたがったり、二頭を得ようとしてしまったり、得るものを決めきれない自分とは、もはや人種が違うとしか思えない。佐久間は苦笑いしつつ、お茶を置き目の前の椅子に自分も座った。
 佳主馬とは、メールのやり取りをする関係はある。だが、その内容は仕事に関するものがほとんどであり、こうして健二の話題をストレートに出すことは、ある意味始めなのかもしれない。
(あれ? だからキングは一体なんでここに――)
「まぁちょうどいいや」
 佐久間が浮かんだ疑問を口にする前に、小さく佳主馬が呟いた。
「ありがとう」
「は?」
「お礼を言いたかったんだ」
 佳主馬はじっと佐久間を見ていた。視線を向ければすぐにその視線がぶつかり合う。
 浮かんだ疑問は解決されたのかもしれないが、佐久間はその言葉の意味がさっぱり分からなかった。




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後編に続きます。