かみ恋バレンタイン




 二月一日、日曜日。
 冬休みに会ったとはいえ、無理やり用を作って東京に行ったのはいつものことだ。
 根が真面目な恋人は、高校生でもある自分が頻繁に東京に来ることをあまり快く思っていないようで、結局無駄に「仕事」といういい訳というような、免罪符を使っている。
(会いたいだけなんだけど)
 わざわざ理由を探すことも面倒くさいが、会えれば必ず健二は喜んでくれる。そう思えば、それくらいは些細なことにも思えるから不思議だ。
 健二にはまだ話をしていないが、佳主馬としては、当然大学こそ東京に行く予定でいる。両親もそれについては、納得してくれているので、何一つ問題は無い。
(一応、次のときは幾つか下見しておくか)
 ぼんやりと考えながら、佳主馬は携帯を取りだす。
 先ほど会った企業の担当者から、もう資料のメールが届けられている。それを流し読みしていれば、あっという間に健二の住んでいる駅についた。
 東京でももうすぐ、もっとも寒さの厳しい時期だ。電車から降りると冷えた風が顔に当たる。
(…健二さん、風邪引いてないといいけど)
 集中すると全てのことが後回しになる恋人は、何か思いついてしまえば、冬だというのに薄着で、濡れた髪のまま、すぐに紙へと向かってしまう。
 住宅地のため、それなりの人数が降りる駅を素早く歩く。
 足が自然と早くなるのは、やはり彼に会えるからだ。どれだけ自分が楽しみにしていたことか。
 沢山の人間も、今の佳主馬にとってはただの風景に過ぎない。誰かに見られていようが、囁かれていようが、自然と視界から外れてしまう。
 足早に健二の自宅があるマンションに付くと、そのままインターホンを押す。ガタっと部屋の中で音がする。
 それから響く、慌しい足音。
 その音に思わず笑みが漏れそうになる。
「いらっしゃい!」
「うん」
 笑顔と共に開けられた扉にすらとても満たされて、笑う。今日も家族が居ないことはあらかじめ聞いている情報で、扉を閉めてそのままその体に抱きついた。
「会いたかった」
「う、うん」
 照れた声。
 そして温かい体に、自分の体が冷えていることに気づく。
 自分が冷やしては元も子もないと体を引きかけたとき、同じことを思ったのか健二が顔をあげる。
「寒かったよね。温かい飲み物入れるよ」
 パタパタと急ぐ健二は、いつも大抵、こうして再会したときには妙にそわそわとしている。本人曰くどうしていいのか分からなくなるといっていたが、物足りない気もしつつ、可愛くもある。
 いつもであれば無理やり抱きとめてしまうが、今回ばかりは少し体を温めてからにしようと思いなおす。
「お邪魔します」
 靴を脱いでキッチンダイニングに向かえば、健二は小鍋を火にかけていた。
 健二の自宅は、彼が問題に集中しているとき以外は大抵綺麗だ。その机の上に、珍しくノート以外の紙が置かれている。手に取ると、何かのパッケージの欠片のようだ。
「ああ!」
 健二が気づいたのか、慌ててそれを佳主馬の手から奪っていく。
「……」
 無言で思わず健二を見てしまえば、健二は「あはは」と完全に誤魔化す笑いを浮かべて、じりじりと台所へ戻っていく。
「ねぇ、健二さん」
「ちょっとまって! ちょっとだけでいいからっ」
「…ふーん。じゃあちょっとだけ、待つよ。いい子だから」
「……」
「女子からのもらい物?」
「……」
 食品の説明書のようなものであったことと、書かれていたのがお菓子の絵だったことは見た。
(夏希ねぇ以外にも)
 大学には沢山の女性が居る。それは当然分かっている。
 生涯を通し、最大のライバルはやはり夏希だと思う。だからこそ、彼女のこと以外では、極力健二に迷惑をかけるような嫉妬は止めようと心がけてはいる。
 だが、だからこそ彼は、普段きっと自分をどれだけやきもきさせいているのか、間違いなく知らないし、気がついていない。
(まぁいいけど)
 自分は彼を好き。彼も自分を好き。
 それは、しっかりと分かっている。
「…はい、佳主馬くん」
 コト、とカップを置かれる。湯気が出ているそれは、とても温かそうだ。
「ありがと」
「ちょっと佳主馬くんには甘いかも。ごめんね」
 健二は頭を良く使うからか、比較的甘いものを食べる。カップを見ると、白い液体に棒が漬かっている。
「それ、回して呑んで」
 言われたとおり回すと、色が茶色に変わっていく。それを一口飲むと優しい甘さが広がった。
「うん、美味しいよ。で、健二さんさっきのって」
「あ、え」
 再び問いかけると、健二の顔が赤くなったまま止まった。
「や、それは、あの、えっとさ」
 あーとかうーとかよく分からない音を、健二が口にする。
「今、呑んでいるそれ…」
 これのパッケージだったのかと納得するが、だが何故健二が照れているのか、佳主馬には全く分からない。
「ああ、もう!」
 健二が何かを言って、パタリと机に顔を伏せた。
「……やらなきゃよかった」
「え?」
 顔を赤くしている恋人。
 佳主馬は首をかしげてその姿を見て、そしてもう一度液体を口にして、はっと気づいた。
 カップをゆっくりと置いて、健二の隣の席に移動する。向かい合った今の席ではどうしようもなかった。少し椅子をずらし、ぴったり隣にくっつくと、健二は完全に顔を伏せてしまった。
「ありがとう、健二さん」
 顔を伏せられているのは、ある意味佳主馬にとってもよかった。何故なら、今多分自分の顔は緩んでいる。確実に。
「う、ううう」
 イベントごとが苦手だということは知っている。
 だが、これはどう考えたって。
(バレンタインの、先取りだ)
 出されたのはミルクに、混ぜて溶かすチョコレート。
「……たまには僕だってと思ったけど、駄目でした」
「駄目じゃない。物凄い嬉しい」
 そのまま伏せている彼に覆いかぶさるように抱きついて、その無防備な首筋に口付ける。
「ひあっ! ちょ、ちょっと」
「うん」
 悲鳴にとりあえず頷いた後、その耳元にリクエストする。
「健二さん、あったかい。ね、暖めてよ」
「…呑めば温まるよ」
「もっと」
「……」
 手を伸ばしてカップを取り、かぶさったままもう一口飲む。甘さが優しく体に染み渡る。
 健二が顔をあげようとするが、今度は逆に負ぶさっているせいで、身動きが取れなくなっている。カップを置いて少し体を浮かすと、ようやく健二とちゃんと目があった。
 目が合った瞬間、健二の頬が少し赤くなるが、そのままじっと見返される。僅かにその瞳が動き、困惑していることが分かるが、その奥に見えるのは甘さだ。口にしたチョコレイトよりも甘い、健二の甘い反応がよく見える。にこりと、佳主馬は笑う。
「っ」
「ありがと、健二さん」
「う、ううう」
 その頬に口付けて、耳に口付けて、首筋を舐める。それからその唇に口付ける。
 それは、とても幸せな甘さが残るキスだった。





ペーパー版と変えたかったのだけれど、そのままになっちゃいました…ごめんなさい。
当初はここで佳主馬が同居を切り出していたのですが、もう少し大切にとっておきたくなったので延期しました(笑)