きみはいつでも無敵の王様



(あ、危ない)
 それは本当に偶然だった。
 たまたま買いにいった自販機で飲みたかったものが完売で。時間があったため、別の物を買うよりはと、佳主馬はなんとなく隣の下級生がメインで使っている棟のそばまで買いにいった。距離は大して違わないが、やはりついつい側にある物ばかりを利用してしまっている。
 その帰りだ。よろよろと、その棟から荷物を抱えた人物が歩いてきたのは。
 分厚いファイルに教科書。その荷物で顔すら隠れており、今時漫画の中でしか見ないのでは、というほどの量に、なんとなく視線をそらせなくて見ていれば、やっぱりというかなんというか。
 すぐそばの段差で足をその人物は足をとられた。
「うわぁっ」
 悲鳴とともに、見事なまでに持っていた物達が散らばる。プリントに、ファイル。ファイルから散らばった書類たち。それは、結構な惨状だった。
(しょうがない)
 佳主馬は小さく息を吐いて、散らばっている書類を一枚手に取った。
(数学か)
 その動作に気づいたのか、拾っていた人物が顔をあげる。
「あ、ごめん。ありが…」
「…」
 二人はそこで、しばし無言になった。
「……」
「……」
 先に我に返ったのは、相手のほうが先で、プリントを捨てて佳主馬と逆の方向へ走って逃げ出した。
 同時に、佳主馬は無意識のうちに一歩踏み出し、相手の襟首を引っ張る。このときばかりは、自分の手足の長さに無意識に感謝をした。
「ぐえっ」
「な、にしてるの…」
「あ、は、はは。いや、えっと、あの、教師…?」
「何してるのって、言ってるの!」
「はぅっ! すすす、すみませんっ」
 佳主馬は自分でも何を言っているのか分からない。動揺しすぎて心臓が痛くて、目がぐるぐると回る。
 頭に言葉が浮かんでこない。
 だが、確かに分かることが一つ。
 今目の前に居るのは、もはや絶対に高校生ではない、佳主馬の恋人でもある小磯健二の姿だった。



「えっと、実はね」
「教育実習生。先週の月曜日から参加、だよね?」
「……はい」
 昼休み。職員室まで行き、問答無用で佳主馬は健二を呼び出していた。
 実習棟の端っこの人気の無い階段下で、健二は階段に座り、佳主馬は立ったまま健二を見下ろしていた。
「なんで、言わなかったのさ」
「…え、ええ」
「なんで」
「だ、だって」
 あまり大学のカリキュラムの話は聞かないし、健二がまさかこの性格で教育実習を取っているとはまったく持って思っていなかった。
 だから、確かにしばらく忙しくなるとは聞いていたが、教育実習だとは思わなかったのだ。
「は、恥ずかしいじゃん!」
 健二はばっと顔を両手で覆った。
「恥ずかしいって…あんた」
「知ってる人に見られるのは恥ずかしいの。これでも、もう結構いっぱいいっぱいなんだよ!」
「俺だって今いっぱいいっぱいだよ! しかもなんで俺の学年じゃないわけ!?」
「やややや、やだよっ。佳主馬くんに教えられるわけないだろっ」
「なんでっ」
 二人とも動揺のため、完全に会話が方向性を見失っている。
 佳主馬は昼休みになるまで、考えた。健二のために、昼休みまでは突撃するのを我慢し、必死に色々考えた。
 もはや半分以上妄想がはいっているといわれても可笑しくないくらい、考えた。クラスメイト達に不審の目をされつつももはや関係なかった。
(せめて、うちの学年なら…)
 教育実習生は、女子高生にとって半分以上おもちゃになる。
 健二のこの性格であれば、あっという間に面白がらるだろう。上手く逃げることもできなければ、拒絶などもっと出来るはずがない。
 健二が女子に囲まれている姿を想像すれば、それだけで腹の底から苛々する。しかもそれを自分が見てない場所でされるのだ。
(見ている場所でされるのもつらいけど――ああ、もうどっちでもいい!)
 休憩時間になるたびに考えては、ぐしゃぐしゃと頭を突然かき回し、後ろの席のクラスメイトにかなり驚かれたが本当にそれどころではない。
 健二は佳主馬の年上の恋人だ。
 中学三年生のときに、ようやく前向きな返答を貰い、高校一年生から正式に付き合いはじめた。それなりの日数は経ってきているが、実際佳主馬としては健二の中で『恋人』という意識があるのかは、疑っているところである。
(なのに、ライバルだけ増加って、本当ありえない)
 健二が一目でもてるタイプではないとは、さすがに佳主馬も分かっている。だが、彼と話をすれば、見る目が変わることは自分が一番よく知っている。
 ぐるぐるとした思考で、佳主馬は机につっぷし、起き上がるを繰り返す。
(なんで、こんな…っ)
 しかも自分と付き合っている時点で、高校生が範囲外とは言い切れないところが、今はとても悔しい。
「…ちっくしょう」
「い、池沢?」
 とうとう三時間目終了後の休憩時間には、呟きすらもれた。呟きながら、先ほどの驚いていた健二――珍しく、上着を脱いでいたがスーツを着ていた健二を思い返す。
「可愛いいんだよ…っ」
「いいいい、池沢?」
 居ても立ってもいられないとは、まさしくこのことなのか。
 どうしようもなくて、だが今健二のところをたずねても迷惑になることは分かっている。ギリギリ残っている理性が、昼休みにしろと、会った後から告げている。
 ガタンと佳主馬は立ち上がり、短い休憩時間がまだ残っていることを確認すると電話をかけた。
「おーっす」
「ちょっと佐久間さん!」
「おわ、な、なんだよ」
「健二さん! なんで!」
「…落ち着け、落ち着きましょうキング」
「落ち着けないよ! なんであんな可愛いのさっ」
「…あいつを可愛いと言い張るのは、キングくらいだって。ガチで」
 佐久間の落ち着きすら今は憎いが、冷静さを完全に欠いていた佳主馬は少しだけ我に返る。はーっと深い息を吐いてから、改めて問いかけた。
「健二さん、教職とってたんだ」
 口にして、またその知らなかった事実がのしかかり、佳主馬はため息をつく。
 察しは良いがたまにその活かし方を間違う男は、電話越しで苦笑いをしたまま、更なる追撃をくれた。
「あ? キング知らなかったんだ。あいつの母さんの条件だったからなぁ」
「……」
 佐久間があっさりとつけ加えた情報によりいっそう落ち込むが、落ち込んではいられないとも思う。
 この地位――恋人というポジションを、キング・カズマという称号と同じくらい、守り抜くことが、佳主馬にとって最重要なことであり、気が抜けないことだと分かっている。
 その上で、大変頼りになるが、最大のライバルでもあるのはこの佐久間の気がしてならない。
 佳主馬にとっての幸いは、佐久間には一ミリも健二にそういった意味で興味がないことである。
「まぁいいや。少し落ち着いた」
「そ? ならよかったですよ」
 たまに佐久間は自分に敬語が混ざる。彼も、そして健二も本当に『キング・カズマ』が好きなのだ。
「ごめん。また改めて連絡する」
「まぁいいって」
 電話を切って、そして少し落ち着いたものの、悶々として迎えたのが――この昼休みだったのだ。
「でも、佳主馬くん」
 健二の声に、回想にふけっていた佳主馬は我に返る。
 目の前の健二がじっと自分を見ている。何故か、今怒っていたのは自分のはずなのに、健二の瞳に何か強い意志が見える。
「もてるみたいだね? …分かってたけど」
「は?」
「さっき廊下で話していた後、囲まれたよ。知り合いなのかって」
「……誰に」
「女の子達」
 早速始まったかと、佳主馬は何かがプチっと切れる。あげく、自分のことなど絶対に口実で、健二に声をかける機会を狙っていたに違いないのだ。
「俺だって囲みたかったのに! ずるいっっ。無防備反対!」
「こっちがずるい、だよ! 学校生活、楽しそうだよね!」
「ずるくない。俺は常に健二さんに夢中。それは、分かってるでしょ」
 じっと睨みをきかすように健二を見れば、健二が息を呑み、そのの瞳がゆらりと戸惑うようにゆれた。
 彼は、未だに佳主馬の向けてくる感情に戸惑っている。それがどういう意味でかは分からない。けれども、こうして隣に居ることを許してくれて、そして彼も多分自分を好きでいてくれている。それが分かるだけで、十分だ。そう、基本は十分なのだが。
(たまに、ちょっとだけ)
 色々なことを期待してしまう。求めてしまう。
(贅沢になった)
 反省もするが、そこでふと気づく。
『ずるい』
 彼は先ほどそういわなかったか。佳主馬はまじまじと健二を見る。
「健二さん、もしかして…」
 佳主馬はそこで言葉を止める。
「何」
「なんでもない。言わない」
「気になる」
「…駄目」
「え、なんでっ」
 否定をされたら、自分の夢が砕けてしまう。否定されなければ、もしかしてこれは。
(嫉妬された、とか…思ったら駄目だろうか)
 理性が別の可能性――女子に囲まれることを対象に、その発言をした可能性も提案するが、健二の性格を考えれば、それは大変低い。
(学校生活が楽しそうでずるいとか)
 冷静にそんな提案も自分の中で行われるが、僅かな希望が。
 万が一の可能性が。
(純粋に嫉妬されたのかもしれない)
 そう考えただけで、心臓が先ほどまでと違った意味でどきどきとなり始める。
 それは笑った顔に表れていたのか、健二はますます不満そうな顔になるが、はぁとため息をつき、追求を諦めてくれた。
 代わりに、佳主馬は今の気持ちを違う言葉にした。
 理由を口にはできないが、それでも今の幸せな気持ちは黙っていられない。単純だけれども、少し満たされた気持ちで、現状の贅沢さを改めて見つめなおす。
 健二は確かに自分の恋人で、今こうして目の前に居る。
 その目は自分を見ている。
「独り占めは出来ないけど、暫く健二さんと同じ場所に居れるのはさ」
 その細く、筋張った手をとって呟くと、健二が驚いた顔をする。
「嬉しい」
 それは素直な気持ちだった。
「すごく」
 だから最後は、笑っていたのかもしれない。
 突然目の前で、かーっと健二の顔が赤くなっていく。そんな赤くなるようなことを佳主馬は言ったつもりは全くなかった。
「ちょ、な…なななななっ」
「健二さん?」
 健二がばっと手を振り払い駆け出していく。
「ぼ、僕準備があるから」
「健二さん!」
 佳主馬はもう一声呼びかける。
「頑張って」
「…ありがと」
 顔は見せてもらえなかったが、小さく返事がかえってくる。
 佳主馬は一人取り残され、はぁと小さく息を吐く。一人になると、もう一度先ほどの言葉が蘇った。
『こっちがずるい、だよ! 学校生活、楽しそうだよね!』
「っ」
 そのまま胸を押さえて、その場にしゃがみ込む。
「心臓にわりぃ…」
 けれど、まるで少しだけ。
 校内恋愛のようでもある。楽しくて口元は勝手に緩む。

 健二の研修期間はまだ始まったばかりだ。きっと心配は尽きないと分かっている。
 それでも今は無事に済むことを願い、共に過ごせることを喜びつつ――けれど帰ったら、側にある彼の家に絶対に押しかけようと佳主馬は心に誓うのだった。







なんか、ご希望に激しくそえてない気が…するんですけどぉぉぉぉ!!
よる様から頂いたリクエストで「教育実習生でやってくる健二」でした。
本当いつもありがとうございまぁぁぁぁす!!!!(土下座)。

タイトルはお互いにとって、そんな感じということで。
実習生ネタは、これだけで何本もかけそうです。ちょっと佳主馬を年頃っぽくしたせいか、とても楽しかった…