秋がもうすぐやってきます




「物理部ってここ?」
「え、はい」
 滅多に人のはいって来ることのない部室に、明らかに聞きなれない声が響いた。
 先に反応を返したのは、空気が読めなくとも、基本的にはそつがない佐久間だ。健二も釣られるように振り返り、全く見たことも無い人々がそこに立っているのを認めた。
 正しくは、なんとなく見たことがある人々、だ。
(誰だっけ)
 健二はぼんやりと見ていると、一人の女生徒がじっと佐久間を見る。
「今日部長は…居るかしら?」
「いえ。最近は滅多に居ませんけど」
「そうなの? えっと」
 そこでその女性が後ろを振り向く。
 健二は影に隠れていたその女性の顔は、つい最近どこかで見たなと思う。
(なんだっけ?)
 小さく首を振っている彼女。
(比較的最近…)
 どこかで。どこかで――。
「あ!」
 健二は思わず声をあげてしまい、慌てて口を閉じた。
「健二?」
 健二は言葉に詰まりながらも、慌てて佐久間の袖を引き、小声で伝える。
「せせせせ、生徒会…っ」
「なんだよ。それくらい分かってるっての。てか、一体今頃なんの…って、ああ」
 ぽんと佐久間はそこで手を叩いて、にこりと振り返って笑った。
「もしかして、こいつ見に来たんですか?」
「そう! なんだ、キミ話分かるね」
「えーじゃあやっぱり、彼が夏希先輩の?」
「まじっすか!」
 途端に盛り上がるその場に、健二は立ちくらみがする。一体なんだ。何の奇襲だというのだろうか。
「さ、佐久間?」
「皆興味あるんだろ?」
 ケロリといわれるが、こっちはたまったものではない。
「どーせ、いつかは皆見に来るって」
「な、なっ」
「お、いたいた。小磯!」
「はい!」
 狭い部室が人で溢れかえりそうな中、現れたのは生活指導を担当している教師だ。生徒会メンバーが一礼をし突然黙る。その辺りはさすがにそつがない。
 もっとも、この教師は生活指導を率先して担当しているだけあって、色々煩いことでも有名だからかもしれない。
 当然健二も、この教師は苦手だ。だが、健二は何故かこの教師によく声をかけられる。
「お前、正式発表が決まったからな!」
「は、え?」
「数学オリンピックのだ。やっぱり、学校側としても成績を発表しないわけにもいかないからな。表彰も行うから、それまでにその髪」
「は、はいっ」
「なんとかしてこいよ!」
「はい! え、はいっ?」
 上機嫌で去っていく教師の姿に、健二と違った意味で佐久間を抜かしたメンバーは唖然とする。
 あの教師がここまで上機嫌でいて、生徒と交流をしている姿を初めてみたからだ。
 しかしそれには当然理由がある。
 彼の、担当教科が、数学なのだ。
 少し前までは健二など、無駄に注意の対象だった。数学の成績がいいことだけは覚えていてもらっていたようだが、今回の数学オリンピックで、日本代表になりそこねたとはいえ劇的に評価が変えられたのだ。
 数学を好きなものであれば、誰もが理解する。健二の天才的な数学力。
(もしかして)
 健二は、彼は今回のOZのトラブルについて、裏側の一部でも聞いたのだろうかと思う。
 数学オリンピックについては、春の話で、表彰はしないことで話を通してもらっていたのだ。
「……あんた、すごいわねぇ」
 そんな健二の思考を破ったのは、生徒会メンツのそんな一言だった。
「い、いえ! ちが、いえ、どうしよう…」
 はぁと健二は頭を抱える。
 突然の心変わりの理由はどうあれ、みなの前で表彰など、本当に止めて欲しい。
「数学オリンピック、挑戦してたんですか?」
「日本代表なりそこね、たけどな」
 軽快に、同学年だというのに敬語を使う庶務の男に答えたのは佐久間だ。
「よく分からないけど、すごいじゃない!」
「い、いえ、すごくは…」
「すごいわよ」
 健二は首が取れるほど横に振っていたが、目の前の女性の目は真剣だった。
「ありがとう、ございます」
 だから恥ずかしながらその賞賛を受け取り、小さく笑った。
 すると何故かその場の生徒会メンバーが皆ぽかんとする。
「…これか」
「これね」
「これが!」
 それぞれが色々な意見を持った、その時だ。
 ピロン、とパソコン画面が音を立てる。健二が振り向いた画面先に移っているのは、メールをもったキング・カズマだ。時間を見ればもう17時近い。佳主馬も自宅にもう戻っているのだろう。
 そんなことを考えながら、視線を戻し、生徒会メンバーを見れば皆言葉を失っている。
「…キング、カズマ……」
「キングカズマと知り合いなの!?」
「ええええええ」
 割れるような声に、健二ははっとする。
「キング・カズマは知り合いではないです。その本人と――友達なだけです」
 健二は少しだけ画面を隠すように立ち、きっぱりと言い切った。これだけは、言わなくてはいけないことだ。
 今後も佳主馬と友達で居る限りは。
 急にしゃんとした健二に、生徒会メンバーも我に返る。
「すみません、こいつ、これ以上騒がれるのも大変なんで、黙っててやってください。個人的な繋がりなんで」
「え、あ。それは、もちろん」
「ねぇ」
 その中、にこにこと笑っているのは、今朝あった女性だ。
「きみ、いいね」
「へ」
「私は気に入ったなぁ。うん、頑張りなよ」
「は、はぁ」
「さ。皆帰ろう帰ろう。明日の準備もあるしね」
 失礼しました、とぞろぞろとその声に従い皆が帰っていく。その姿を呆然と見た後、健二はなんとなく息を吐いてから小さく笑った。
「…すごいね」
「はは。そりゃうちの生徒会メンバーだしな」
 健二は急に少し色々可笑しくなってくる。これからもっと自分は大変な目にあうのだろうが、あまりにも全てがパワフルで、突き抜けていて、落ち込むというより、笑うしかないように思える。
 彼らは、夏希の『彼氏』を見に来たのだ。
(彼、氏)
 かーっと頭の奥にまで血が上る。
 それでも今はそのことは押しやり、健二は携帯画面を開く。
『生徒会の方達に会いました。今朝の方にも。明るい方達ですね』
 すると驚く早さで返信が来る。
『嘘! 今まだ居る!?』
『つい今、帰りました。先輩はもう、剣道部終わったんですか?』
『先輩?』
 健二は画面を前にして一瞬固まる。
 はっと顔をあげれば佐久間がにやにやとこっちを見ている。もともと携帯の画面など見えていないはずだが、無駄に背中を向けてしまう。
「あれ、健二さん。その態度はつれなくないですか?」
「うるさい」
『…夏希さん』
『さん? それは今月一杯までね☆』
『は、はい。夏希さん、はもう剣道部、終わったんですか?』
『今終わったよ』
 健二はそこで一度思わず友人を振り返る。友人は苦笑いを浮かべながら、片手を振る。
「だから、俺は頑張れって言ってるじゃん」
「…ハイ」
 ゆっくりと間違えないように、ボタンを押す。
(彼氏、になったんだから)
 心も指も震えるのは、きっとしょうがないことだ。自分は、あの笑顔を隣で、すぐそばで見れる至福を手に入れたのだから。
「…っ」
 宜しくお願いします、と心の中で叫びメールの送信ボタンを押す。
『一緒に、帰りませんか?』
『うん! 昇降口で着替えたらまってるね』
 返信は驚く程早かった。
(!ってついてる…っ)
 健二はこれは絶対保護だ。と震えつつ友人を見る。
「まー落ち着いたら、俺もメンバーにたまには混ぜてくれよ?」
「…余計なこと、絶対言うなよ」
「任せとけって」
 ジロリとあの日、余計なことを言ったくせにと健二は佐久間を見るが、佐久間は全く気にした素振りもなくひひと笑っている。
 佐久間と共に進めていたプログラムを途中で保存して、健二はとりあえずさっきのメールだけ読もうと画面を開く。
「けど、お前急いだほうがよくね?」
「へ」
「昇降口で、夏希先輩が待ってたら…注目浴びるぜ?」
「!」
 健二は内心で佳主馬に謝りつつ、ひとまず画面を落とす。それから鞄をはしっと掴んで走り出す。
「佐久間、また夜に!」
「はいよー頑張れよ」
 ドタバタと走り去る足音を聞きながら、佐久間は去年よりもはるかに楽しそうな顔をしている友人の顔に満足をし、くるりと画面に向き直ったのだった。







オータムウォーズの直後の生徒会訪問でした。
で、更にこの後に、オフ版のオータムウォーズ(文化祭)の話に繋がるイメージです。