池沢佳主馬は悩んでいた。
上田の名古屋よりも涼しい風を感じながら、あてがわれた布団の上であぐらをかき、腕を組んでいた。
今年の夏も変わらずにタンクトップとハーフパンツ。髪型も同じ。ただ少し身長は伸びたし、体つきも変わってきた。
いやおうなく、来年からは高校生になる。中学と決定的に変わるのは、制服だと分かっている。
(いや、それはいいんだ)
今は、もはやさしたる問題はない。なれるまでは、笑われるかもしれないが別にそれを、自分はもうどうとも感じない。
「ほら、髪くらい乾かしなさいよ」
「うん」
生返事をしていれば、あきれたように頭にタオルを載せられた。
昨年と、佳主馬の格好は変わっていないようでいて、決定的に違うところがひとつある。
それは、タンクトップについているものがあるのだ。ブラカップ。
いくらスレンダーな体型で胸がなかろうが、母親と親戚たちの猛烈な反対により、昨年佳主馬の服装は一応の変化を見せたのだった。
池沢佳主馬。
その名前は、なんてことはない、男用に考えられていた名前を間違えて提出されたことにあった。
本来であれば、女であれば佳主眞、と決められていたのだが、初の子供に混乱している中のうっかりミスは、もはや運命だろうということでそのまま現在に至っている。
名前について、佳主馬は何かを思ったことはない。女らしい名前がつくよりは百倍ましだったと思っている。
過去イジメにあい、登校拒否もしていたことがあるが、それも今の佳主馬にとっては何の感傷もなかった。
自分は女であることがいやになっただけで。
忘れもしない。誰か知らないが、本当に迷惑なことに、よそのクラスのなんとかという奴が、佳主馬を好きになったらしく、そこから女子の陰湿ないじめと、その女子にほれている男子のイジメが始まった。
それに付き合うのも面倒で、早々に登校拒否を選んだことを後悔はしていない。
(って、そうじゃなくて)
すくっと佳主馬は立ち上がる。
(まさか、女の武器で迷う日がくるなんて)
佳主馬には、現在好きな相手がいる。その相手は、ちょうど数時間前にこの場所につき、問答無用で酒を飲まされ部屋に運ばれている。
そこまでは知っている。よろよろになりながら、太助の肩を借りて歩いている姿を見ていたからだ。
しかし、佳主馬にとって重要なのは、まだその相手が――最大のライバルだと思っていた夏希と付き合っていないという情報にあった。
酒を飲んだ席で、彼がポロリともらしたのだ。
雷に打たれたような衝撃が走った。
(今しかない)
なりふりなどかまっていられない。
(絶対に、健二さんは押しに弱い)
それでいて、根が真面目な彼だ。
(既成事実を作れば一発なんだけど…)
さすがにこの自分の体で発情するとは思えない。
と、佳主馬は完全に思っている。が、昨年親戚らから服装について猛攻を受けたのは、妙な色気を佳主馬が持っているからの話なのだが、当然本人はしらないのである。ちょっとした動作が艶っぽく、じっと見つめられたりすれば思わずそわそわする。脇の隙間や、無防備に捲れ上がる服に、誰かが手を伸ばしても不思議ではない。
そんな魅力があり、中三になった現在、いろんな意味で男女からの注目を浴びているのに、やはり本人だけが依然気づいていない――というよりも無関心だった。
「あの人性欲なさそうだしなぁ」
「…お前、その独り言どうよ」
「なんだ、おじさんか」
廊下を歩きながらつぶやいていれば、割り込む声がする。珍しく佳主馬は足を止め、相手が近づいてくるのを待つ。
「お前ちょっとは動揺しないわけ」
「しない。ねぇ、おじさん教えてほしいことがあるんだけど」
「お前が?」
「うん」
「ほー。けど、面倒だから、違うやつに聞けよ」
佳主馬はじっと背の高い相手を見る。相手の返答を待たずして、佳主馬は聞いた。
「男の人を誘惑するってどうすればいいの?」
その場は、限りなく静かだった。
侘助はあんぐりと口をあけ、後ろに一歩下がる。
「…おまえ何を言ってんだ」
「教えてよ」
一歩近づくと、侘助が不自然すぎるほど体をビクっと振るわせた。
「ま、まて!」
「何動揺してるの」
「つーか、その蔑む目はやめろ!」
同時にスパンと襖が開いた。
「わっ、侘助さん、な、何してるんですかっ」
佳主馬が、ただ侘助が近づいてくるのをまっていた理由。それは、この会話をこの部屋の中で寝ているだろう相手に、わずかな希望をかけて聞かせたかったからだ。
思わず少し口元が緩む。
面倒くせぇと侘助は呟いて片手で顔を覆った。それから小さく息を吐いて、ポンと襖の向こうからパジャマ姿で現れた健二の肩を叩く。
「後は宜しく」
「え?」
侘助はこれ以上巻き込まれたくないというように、そそくさと去っていく。その姿が消え去る前に佳主馬はどんと健二の体にあたり、中へ健二の体を押し込む。
「うわわっ!」
よろけた健二が布団に倒れこみ、その上に佳主馬はまたがって乗った。
「いた…、って、え、え」
「ねぇ健二さん」
「な、なんですか。って、ちょっと、あのこの体勢」
「健二さんに教えてほしいことがあるんだ、僕」
「え? そうなの。いいよ、僕で分かることなら」
「うん、大丈夫」
佳主馬はにこりと笑う。
その顔に、健二がポカンとするのが分かる。自分でも、笑顔になるのが珍しいと分かっている。
それでも、目の前の人がフリーだと分かったのだ。奪うつもりでもいたが、幸せを願う気持ちも強かった。
だから。
だから、今は。
健二のやはり細いけれど男の手をとり、自分の頬にあてる。それからその手を勝手に自分の首あたりまで動かす。
「なんでもするから、」
健二がその動きに、呆然とした顔をしている。その手を追いかけるように少しだけ首を傾げ、笑った。
「既成事実の作り方、教えてよ」
「は?」
「なんでもするよ」
「え、ちょ、えええっ」
「しっ。うるさいよ、健二さん」
「はい! って、え、え」
驚く手を無理やり自分の胸までひっぱれば、それこそ本気の男の力で手をひっこぬかれる。
「ちっ」
「ち、ちっって、な、え、なっ」
こうなれば次は泣き落としだろうかと、考えていれば何故かパチンと頬に痛みが走った。
驚いて見れば、真っ赤な顔をしつつも真剣すぎる目で自分をみて、頬を挟むようにたたいた手があった。
「佳主馬くん」
名前を少し強い声で呼ばれ、じっと目が合う。
(あ)
ポロリと気づいたら、本当に涙がこぼれた。
「う…っ」
「え」
再び健二が驚くが、もうどうしようもなかった。
がしりとしがみついて、嗚咽をもらす。
「ねぇ、本当に好きだよ。好きだから、なんでもするから、僕と付き合ってよ」
なんとも情けない。
情けないけれど、自分にできることなど、やはり最初からろくにないのだ。
ぎゅうぎゅうとしがみつけばつくほど、何故か涙があふれ出る。
「…佳主馬くん」
「聞きたくないっ。何も言わないでいいからっ」
涙でゆがんだ顔を勢いよくあげる。終わりの言葉など聞きたくなかった。
聞いたところで、あきらめるつもりなどはないが、この人を悩ませたくなどないのだ。
「なんで、そんなに自分のことを、もったいない扱い方をするの」
「だって!」
「だってじゃない」
健二の声も、目も真剣だった。
佳主馬の大好きな表情。やさしい顔も好きだし、真剣な顔も好きだ。
本音を言ってしまえば、夏希がうらやましくてたまらなかった。それでも持ち前の理性で、会えただけましだと、定期的にあえるだけましだと思っていた。
健二の手が涙をぬぐってくれる。
その手が離れてほしくなくて、両手で手首を握り締める。じっと顔を見つめると、健二の瞳の奥が、揺れているのがよく見えた。
(綺麗)
その揺れを、もっと見ていたかった。一番近くで、みていたいと本当に、心の底から思う。
あの夏の日。自分の性別も関係なく、一個人として強く立たせてくれた。そして、最後まで諦めない気持ちの強さで、あの場にいた全員を守ってくれた、優しい人。
自分の、唯一のヒーロー。
「…今までの人生の中で、一番さっき、どきどきしたよ」
「っ」
「佳主馬くんがいいならさ、」
健二が耳元で小さく声を出す。その声がわずかに震えている気もしたし、笑っている気もした。
「普通に、付き合おう?」
呆然と、その言葉の意味を考える。
これは夢なのだろうか。
小さく胸は痛む。分かっている。この人が自分と同じ強い気持ちを、自分にもってくれているわけではないことを。
(それで、も)
「あ、言い方が駄目かな。これじゃあ」
「え」
健二が今度はハッキリと笑って言い直した。
「お願いですから、僕と付き合ってください」
「う、うん! うん!!」
夢でもかまわないから。
嘘でもかまわないから。
(この人を、後悔させないように頑張ればいい)
だから今はと、佳主馬は自分の心に正直になり、精一杯頷いたのだった。
この話妄想がありまして。
佳主馬の読みの通り、少し酷いんですけど健二さんは押されて流されてしまったんですね(笑)
でも当然その後本当に好きになるんですけど、佳主馬はずっと健二が「つきあってくれて『いる』」と思ってる。
それが佳主馬が高校2,3年くらいの頃に、二人の最大の試練としてやってくればいいなーなんて(笑)
あー楽しかった!(笑)