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〜遠い夏の日〜



 肩に食い込む鞄が重い。
(荷物を詰めすぎた)
 それでも、パジャマと着替えは譲れないし、ドライヤーはきっとあると信じても、ヘアスプレーや簡単な身だしなみの道具もやっぱり必須だった。
 天気は良好。緑の多い道路を歩き、予め調べてあった建物を、下から見上げる。外壁は多分、元は綺麗な白。今は薄汚れているが、それなりにしっかりしたマンション。
(多分、収入はそこそこ。治安もクリア)
 駅から十分ほど離れているが、側には民家も多く、大きな公園もあった。子供連れもいたことから、きっと治安は悪くないはずだと予想する。
 そこで、一度重い鞄を抱えなおした。
「よし」
 呟いて、マンションのエレベーターに乗る。手元には一枚の葉書。律儀に、毎年新年に送られてくる年賀状だ。この三年、住所が同じことを確認して、一番古い一枚を抜いてきた。新しいものなら、すぐにバレるかもしれないため、一番古いものを抜いてきた。
(さすが私)
 今のところ計画は完璧で、ぬかりない。
 扉の番号を確認しながら、小豆色のような扉の前に立つ。見た目は全く両隣と同じ。ただ違うのは部屋番号と、ネームプレートに入った名前。それを再度確認し、チャイムを鳴らした。玄関の扉は厚くないようで、向こうから話し声が聞こえてくる。
「え! 家出って――あ、ごめん、ちょっとチャイム」
 ガチャリと、扉が開く。
 こんなこともあろうかと用意していた画用紙を、私はばっと持ち上げる。それを見て、相手の動きが完全に止まった。
 扉を開けた男性が持っている、携帯電話から聞きなれた声がする。
『ごめん、じゃあ一度切る』
「あ、う、うん。また、あとで」
『健二さん?』
 私の目の前に居る健二さん――こと、小磯健二は、震える指で電話を切った。私は、容赦なく射抜くような目で、抱えている紙に書いてあることと同じことを口にした。相手に拒否権は絶対に与えない。
「お兄ちゃん含め家族にいったら死んでやるついでに暫く世話になります」
「え、は、え、ええっ」
「重い。中に入れて」
「あ、は、はい!」
 これで今年三十歳なのか、と思うと思わずため息の一つも漏れたのはしょうがないと思いたい。



「はい、コーヒー」
「ありがと」
 出されたミルクたっぷりのコーヒーを受け取り、疲れた体をようやく少しほぐすことができた。名古屋の自宅から東京まで二時間程度。暇をもてあますことはなかったが、それでも十分な長旅だった。
「で、聞いてもいいかな?」
「駄目」
 きっぱり言えば、相手はあっさりと言葉に詰まった。
 相手は男性、自分は女性。それでも、兄と師匠仕込みの少林寺拳法で、間違いなく私の方が強いと思う。
 小磯健二は、とにかく細い。決して兄や親戚達のような強さはない。
「もう聞いたんでしょ。家出したって。それ以上でもそれ以下でもない」
「…佳主馬くん、凄く心配していたよ」
「へー」
「電話しているときに、ぶつかって何か割ってた」
「…ふぅん」
 言いながらも私はその反応に非常に満足をした。誰にもばれないよう、こっそり家出の準備と計画をたてたかいもあるというものだ。携帯は、当然家族全員着信拒否にしてある。
 この連休が来ることを、自分はもう二週間前からずっと静かに、まっていた。
 私は、この連休の初日に、家出をした。そしてきっと、家族はもう私の置手紙を目にしたのだ。
「で、小磯健二」
「はい」
「暫く世話になるけど、家族に言ったら、バレたら、全部あんたのせいにして、ここのベランダから落ちて死んでやる」
「えええええっ!」
 何事も始めが肝心だと、大人達がよく言っていた。それはその通りだと思うので、一度は告げたことをより具体的に説明してみた。この人物に裏切られたら、全てがぱあなのだ。
 驚きの声をあげた後、しかし彼はゆっくりと年相応の落ち着きで息を吐いた。
「えっと、別に泊めることはいいんだけど。本当に、いいの?」
「何が?」
「皆、本当に心配しているんだよ?」
「いいの」
 じっと相手の目を見つめる。彼が私を心配していることは分かるが、今だけはハッキリいってそれは必要ない。
「陣内家に半端な人間はいない。簡単に、私だって家出をしたわけじゃあないの」
「でも」
「それとも、未成年者暴行で訴えられたい?」
「ええええええっ」
 本日二度目の情けない悲鳴。
「十・九・八…」
「な、何のカウントダウン!」
「七・六・五…」
「ちょ、ちょっと」
「四・三・二…」
「わ、分かった! 分かりました!いてもいいから。言わないからっ」
 待っていた言葉に、にんまりと笑った後、一応率直な感想も伝えておく。
「絶対さ、人生で一度は詐欺にあってるでしょ?」
「……」
 小磯健二。陣内家と関係のある他人。
 兄の友人。そして私は兄の妹。大人達はとある事件で、彼ととても濃密な時間を過ごしたようだが、私は残念ながらまだ生まれていなかった。
 親戚の中でも、私は、かなりこの人と関係がない他人。
 だからこそ、足はそう簡単に付かないはずだ。兄は小磯健二と仲が良く、動転と相談のため電話をしたのだろうが、きっとここに私が居るとは思っていない。それくらい、私達には関係がない。


 こうして、私の家出生活が始まった。







妹ちゃんの家出から話は開始です。
サンプルはひとまずAまでUPする予定です。さすがにここで終わるのは…ハイ