無防備の代償は案外高い
佳主馬の年齢は自分より下だが、健二よりもしっかりしている。
それは、自分達のことを知っている――特別な関係のことを抜かしたとしても――人たちの大抵の評だ。
もっと自分もしっかりせねば、と思うものの、健二はたまに無性に心配になる。
『…何?』
無意識にソファの下にある頭を撫でていたようで、佳主馬が怪訝そうに顔をあげた。
『あ、ううん。可愛いなぁと思って』
『……前から思ってたんだけど、なんで「可愛い」かなぁ』
読みかけの雑誌が無造作にどかされ、邪魔をしてしまったと思ったのは一瞬で、佳主馬の手に手首をつかまれ意識が戻される。
『え、駄目?』
『駄目っていうか…男としては、嬉しくないでしょ』
確かに健二自身、可愛いといわれてしまえば微妙だ。
『そうだけど…あ、でもほら。佳主馬くんの場合、格好よくて可愛いんだからいいじゃない』
『何の解決にもなってないし』
『ええっ』
自分としては上手くいったつもりなのだが、健二は言葉につまる。
(なんていえばいいんだろう)
可愛いと思う気持ちと、しっかりしている彼に心配になる気持ち。
だから、理一の前で少しでもスッキリさせたくて、口にしてしまったのかもしれない。
『佳主馬くんが、可愛いと妙に安心するんです』
それに理一はなんと答えたのか。声を出して笑われたのは覚えているが、理一は自分に答えをくれたはずだ。
(その、答えは――)
残念なことに、今は二日酔いの向うに存在しているようだった。
佳主馬たちが慌しく去った後、案内された準備室は健二にとって非常に安心する場所だった。
部屋の名前は『数学準備室』。
理一の恩師は数学を担当していたようで、健二の論文を読んだことがあり、今回の顔合わせにも到ったようだった。
話題にあがった論文は健二が初めて出した古い物でもあったため、非常に恥ずかしく恐縮の連続だったが、有意義な話もできたのは事実だ。更に、慣れ親しんだ数学の話に、こんがらがりそうになっていた健二の思考も少しは落ち着き、なんとなく二日酔いもスッキリした気がしていた。
「ありがとうございました」
簡単な挨拶と共に、二人が数学準備室を後にし少し進んだ後、理一がふと何かを見て足を止めた。
「ちょっとだけ待ってて」
「あ、はい」
軽い駆け足で戻っていく理一をぼんやりと見る。
(何か忘れ物かな)
階段の側の壁により、理一が戻るのをまちながら、もう何年も前に自分は卒業してしまった高校という建物を見回す。
当然だが自分の通っていた校舎とは違う。それでも、どこか酷く懐かしい気がする。
(ここで、彼はあんなふうに)
劇的に何かが違うわけではない。それでも、同年代と彼が話をしている姿はとても新鮮だった。
(……なんで、逃げられたんだろ)
そう思うものの、動揺する佳主馬を見れたことは非常に珍しい気がした。
動揺する佳主馬は可愛い。
(あ)
可愛い、という単語に何かが刺激される。優しく響く理一の声。
『健二くん、それはね――』
ぼんやりと思っていれば、肩を叩かれた。
「みっけ」
「ひゃぁっ!」
自分の考えに入り込んでいた健二は、思い切り悲鳴をあげる。
後ろに立っていたのは、名前も知らぬ高校生――おそらく、先ほど自分をじっとみていた彼だった。
「やっぱりこっちに居た。こっちじゃないかって思ってたんだよね」
「は、はぁ」
「何々、迷子?」
「ま、迷子では…人を待ってるんだよ、です」
どこか人懐っこく軽いが、嫌な感じではない。
勢いに圧倒はされるものの、数度深呼吸をすれば、冷静にそう思える。彼の雰囲気が、どこか幼い感じがするからかもしれない。
健二は若干の緊張を解く。
「ふーん。ね、おにーさんさ」
自分の詰まらない答えに興味は無くされると思ったが、その若者はずいっと内緒話をするように顔を近づけてきた。
「池沢の知り合いってことは間違いないでしょ。で、年上だよね」
「う、うん」
咄嗟に嘘をつける器用な性格ではないし、特に当たり障りは無い問いだったので、健二は素直に頷いた。
「池沢のさ、彼女みたことない?」
「……」
健二がその問いを理解するまで、だいぶ時間がかかった。
その後激しくむせる。
「げほ、がほっ! っ、え、な、えええっ!」
「四つ年上で、すげぇ可愛いって聞いたんだけどあいつ写真も見せてくれなくってさ」
四つ年上。
それは、自分と佳主馬の年齢さだ。
そして彼女ではないが、多分付き合っているのは自分だ。
「は、はは…」
突き抜ける展開に、もはや笑うしかない。
「あ、知ってる? 知ってるの?」
「え! いやややや、やっ。か、彼に、き、聞いたんだ?」
「そうそう。二年の時に聞いたのに、写真は全然見せてくれねぇし。ま、しつこく聞けば結構喋ってはくれるんだけどさ」
にこにこと楽しそうに笑っている顔に、健二はその様子を想像してしまい、致命的な攻撃を自分で自分にしてしまう。
(っ)
確かに高校生であれば、そういう話題は出るだろう。それを、佳主馬が少しくらい話すことだって、不自然なことではない。
彼は普段、知られたくないという自分のために、色々我慢をしてくれている。
だから、理性ではしょうがないと分かるし、そう答えを出せる。
だが。
だが――こう聞くと恥ずかしくてたまらないのは何故なのか。
(何言っちゃってんの!?)
顔は、かろうじてそのままを保ちつつも、かーっと体内の温度が無意味に跳ね上がる。
逃げ出したい。消えてしまいたい。叫んでどこかに走り出したい。
「ど、どどど、うだろう、ね!」
「……その反応、さては」
自分で答えていても、全力で怪しいと思う。
(だって、しょうがないじゃないか!)
一体佳主馬が、どんな風にこの青年に向かって自分とのことを話をしているのか。
(し、しかも可愛いって)
佳主馬自身、あんなに可愛いといわれることを気にしているようだったのに、と訳の分からない文句が生まれてくる。
「一生のお願い! ね、ね、教えて見せて!」
「いいい、いやそれは――っ」
「だって、あいつがあんなに夢中になってんだぜ。気になるじゃんっ」
「……!」
死んでしまいたい。良く分からない羞恥に、健二がパニックに陥りそうになったとき、聞きなれた声が響いた。
「健二さん!」
制服姿で再び駆けつけた姿に、健二は必死で助けを求める顔を向ける。
「か、佳主馬く」
だがその声は途中で止まる。
当然だが、佳主馬は制服を着ていた。先ほどの体育がとっくに終わるほど話しをしていたのだから、制服で居ることはおかしくはないし、当然なのだが、健二は言葉もなく口をぽかんと開いて見つめてしまう。
一瞬その露骨な健二の視線に、佳主馬が再びその瞳を動揺させたが、今は目の前にある別の問題に彼は対処しなくてはいけなかった。
問答無用で、むしろ色々なものの八つ当たりをこめて佳主馬の手が青年の襟首を掴む。
「うわ、ちょ、まっ! ぐえっ」
「何、してた?」
「睨むなって! お前の彼女の顔しらねーかなっってぐええええええ」
「かかかか、佳主馬くんっ。死んじゃう。死んじゃうからっ」
健二の声に、佳主馬の手がはっと気づいたように離れる。そそくさと、彼は助けてくれた健二の後ろへと逃げ込んだ。
「う、おにーさん優しい。だって、お前が自慢すっから気になるんだって」
「っ」
佳主馬は一瞬言葉に詰まる。その顔が慌てたように健二を見る。
僅かに赤くなるその顔を健二は新鮮な気持ちで見た。同時に、先ほど佳主馬が去るときの耳の赤さも、もしかしたら見間違いではなかったのかもしれないと思う。
(――けど)
それに浸ることはできない。
健二自身も先ほどの、勝手に想像してしまった羞恥を思い出し、恥ずかしさが再び腹の底から込み上げてきたからだ。
(だ、だめだだめだだめだっ)
顔を赤くするわけにはいかない。それは、明らかに不自然だ。
健二がそんな葛藤をしている間に、佳主馬は一瞬で動揺を建て直し、いつもの彼の表情に戻す。その目が、一瞬ですら逃さないというようにじっと健二を見つめた。健二は、その視線に完全に動けなくなる。
「…そりゃね。自慢の恋人ですし」
「うわ、でたよ」
佳主馬がわざと言っていると分かる。耳を塞ぎたい。だがそんな僅かな動作すら、今は出来ない。
耳が、顔が熱い。本当に、倒れてしまいそうだ。
「俺はその人が居れば十分だし?」
「はいはい」
「なのに、別の男と歩いてたりするし…。無防備に。ねぇ」
「はぁ! 何、浮気されてんの?」
「どう思う、健二さん?」
「どどどど、どうって! ――…許して、ください…」
突然話を振られ、もう健二は限界のまま悲鳴をあげて、降参の謝罪をした。
倒れてしまいたい。消えてしまいたいがそんなことできるわけもなく。
「お前本当ベタぼれたよなぁ。だから余計顔みたいんだって! 池沢様」
「ぼ、僕理一さんを…迎えに…じゃあまた!」
一瞬視線が緩んだ隙に、もはやこれしかないとばかりに健二は全力で走る。そして、先ほどの準備室へと駆け込んだ。
そこで穏やかに話をしていた二人は、健二を見る。理一は楽しそうに笑いながら、先ほども廊下で確認していた――時計をもう一度見た。
「用事は、終わった? まだ授業中だったんじゃない?」
「……はい」
そっちが用事があるっていったのに、と健二は泣きたい気持ちでうなずいた。
再度、理一の恩師に挨拶をしている間に、休憩時間を告げるチャイムも、終了を告げるチャイムも鳴り終わった。そのため、校舎は静まり返ってい、そのことにほっとしていれば、隣で理一が笑っていた。
「来たかいあったね」
「……死にそうです」
「ははは。楽しかったならよかった」
「……」
「ね?」
健二は何も答えなかったが、理一は楽しそうに続ける。
「で、納得いった?」
「え?」
理一が隣で笑う。
「佳主馬を、可愛いと安心する理由」
健二は言葉に詰まる。だが、同時に昨日の言葉が蘇る。
『健二くん、それはね』
理一が自分に、教えてくれたこと。
それはなんだったか。それを聞いたから、自分はあんなにも更に、酒を飲んでしまったのではなかったか。
(そうだ、それは――)
『きみが、年下としての彼のことも、愛してるからだよ』
「っ」
佳主馬は自分の恋人だ。性別も年齢も越え、彼が佳主馬だからこそ、今自分はこうして彼と共に居ることを選んでいる。
けれど。
キング・カズマであり続ける彼の強さを格好いいと思うし、見た目だって綺麗だと思う。少し大きく固い手に安心するし、彼がたまにみせる無邪気さや年頃の行動を可愛いと思う。
それら全てが、自分にとっての池沢佳主馬の魅力であり、愛すべき箇所であり――失われることをもったいないと思う箇所なのだ。
「あ、…っ」
全てが自分の中で、あるべき場所へ綺麗に落ち着いていく。
同時に、二日酔いの向うに押し隠したかった思いまで再び見えてしまう。
(ぼ、くは)
制服を着た佳主馬も見たかった。愛らしい佳主馬も失われて欲しくなかった。それは、一種の独占欲とも呼べるものではないのだろうか。
昨日気づいた、理一の指摘。自分のそんな心。
健二が動揺し、言葉に詰まる。
「簡単だったろ?」
理一は視線を逸らさない。簡単ではないが、健二はそれを確かに理解した。理一は、優しく見守るような瞳で、だが視線は決して逸らさない。頷くのを待っているのだ。
「っ…う」
健二は諦めるように息を吐いた。
それから、根負けするようにうなずいて、力なく笑う。
理一にはどうせ敵わないのだ。それであれば、少しくらい自分が恥ずかしい所を見せたって、惚気のような馬鹿な言動をしたとしても、許されるはずだ。
むしろ、理一は、もしかしたらそれを聞いてくれるつもりでいるのかもしれないと、ふと思った。
(それに、今は)
どちらかというと、理一よりも佳主馬に会うときの方が怖い。
(理一さんと来たことも、気にしてた、よね…?)
それでも今日あえてよかったと思う。
友人らといたり、制服を着ていたり。年相応な顔にもみえて、非常に満足といえば満足だ。
「で、まさかもう帰るつもり?」
「へ」
後ろからかかった声に振り向けば、立っていたのは佳主馬だ。
健二は暫く呆けるように、その顔を見た後、我にかえり悲鳴のような声をあげた。
「え、ちょ、授業!」
「誰かさんが電話もでないもんで」
「あ」
携帯をサイレントにしていたことを今思い出す。佳主馬がさらに健二に近づいて来る。
その時、健二はトンと背中を押された。押した人物は、当然一人しかいない。
「一足早いけど、大学入学お祝いで」
佳主馬は今年受験生であるが、実際の受験時期はまだはるかに先だ。
「へ?」
「落ちるわけ、ないだろ?」
にやりと笑った理一は、さらに言葉を続ける。
「あと、いい情報をもう一つ。健二くん、明日までお休みで、ゼミはあさっても休みだって」
「え、ちょおおおお、理一さん!?」
「へぇ」
佳主馬はそこで視線を緩め、口元で小さく笑う。
「大学は絶対受かる。じゃあ有難く」
「ちょ、ちょっと! いや、まって」
「さぼってもいいなら一緒に行くけど」
「だ、だめだめだめ!」
「じゃあ三時まで待って」
「……」
「待ってて」
「…はい」
終わったら連絡して、と力なく伝え、健二はとぼとぼと校舎を今度こそ後にする。
頭の中を、先ほどの会話やこれからの自分のことがぐるぐると回る。
まさか、受け止めたばかりの色々な感情を含め、こんなにも早く向かい合わないといけないとは。
「理一さん…」
「うん、自分の身が可愛いからね」
「ええええええっ」
「まぁでもいいじゃない。きみももっと、たまには感情にまかせてもいいと思うよ」
「……」
健二は思う。ヘタに行動力のある人たちの前で、うかつな話は絶対にしないと。
今日自分は果たして東京に帰れるのだろうか。そもそも帰りたいのだろうか、と健二は自分に問いかけながら、とりあえず理一の車に荷物を取りに向かう。
混乱しつつも、その頬が僅かに赤く嬉しそうであることは、まだしのび笑いをする理一しか気づいていなかった。
END
後日短いオマケをつけまーす。
世に言うただの馬鹿っぷるです。馬鹿すぎるよ!!!
最後は自分の身のために、あっさり健二を差し出すのが理一クオリティ(褒め言葉)
いやいや、健二のためですよ?ね?(笑)