無防備の代償は案外高い



「あ、起きた?」
 ガクンと大きく揺れた衝撃とかけられた声に、意識がぼんやりと覚醒した。
 視界にまず入るのは、グレーのすっきりとしたシート。
(ん?)
 ぼうっとしたまま、見回してみる。そこは、自分の慣れた殺風景な部屋ではない。何よりも体が小刻みに揺れている。
 この振動には覚えがある。
(…車の、中…)
 そして視界を前に固定すれば、ちょうど赤信号で止まったのか、運転手が少し振り返った。
「もうすぐつくから」
「へ」
 そこで小磯健二は、この日初めての声を出す。
「一応朝食だけ、どこかで食べとくか。時間も時間だし…ファミレスでいい?」
「は、はぁ」
 健二はよく判らないまま返事をし、相手――理一の顔をもう一度見てから、周囲の景色を見て、遅い悲鳴をあげた。
「ちょ、えええええええっ」
「あ、動くよ」
「はい! って、あ、あの、ここどこ、どこっ」
 健二の記憶が確かであれば。
 確かに昨晩、理一と健二は一緒にいた。その時は、当然二人は車内ではなく、理一の自宅に招かれていた。
 それは珍しいことではなく、たまに酒を飲む場所にお互いの自宅を選ぶことはあった。
(き、のうは)
 健二は青い顔をしつつ記憶を辿る。
 学会誌の投稿も先月で終わり、その後処理もようやく落ち着いた自分と、比較的仕事の落ち着いている時期だという理一。
 確かに、二人で結構飲んだ気がする。家であることも大きかった。
 理一の話は、面白い。自衛隊についつい興味が沸くような面白い話も沢山してくれるし、健二と違い、色んな畑のことに彼はとても詳しかった。
 そう、だからつい色々なことを幅広く話し込んでしまった気がする。
 研究のことから、世情のこと。自分の家族のことから――この親戚だけが知っている恋人のこと。
(そうだ、珍しくそれを色々聞かれて、僕、は)
 だんだん健二の顔色は悪くなっていく。
 普段は絶対に喋らない。知っている人間が少ないということもあるが、話すのが恥ずかしいということもある。
 大抵一方的にからかってくる佐久間や、あれこれ聞いてくる夏希とお互いの近況を交換する際に少し出す程度だ。
「名古屋」
「え」
 理一が口にした単語の意味が、健二はすぐに分からなかった。
 同時に、車がどこかに止まる。ファミレスの駐車場だと、これまた遅まきながら理解した。だが、それはハッキリいってどうでもいい。
「トイレで顔を洗えるし。一応俺のでよければ、上だけ着替えもあるけど?」
「は、はい。って、いえ、あの、名古屋…名古屋?」
「そう、ここ。名古屋」
 健二は数秒呆けてから、悲鳴をあげる。
「――名古屋ぁぁぁ!?」
「うん」
 理一は、にこりと綺麗な笑みを見せてくれた。
「なななななな、なんでっ」
「え、佳主馬の高校見学ツアー」
「…!!」
 健二は、声にならない悲鳴を全身であげていた。



 着替えて顔を洗えば、健二が己が二日酔いだということもよく判った。多分、ここが名古屋だという事実を抜かして、自分は今頭が痛い。
「昨日さ、きみが高校に通っている佳主馬を見たいっていうからさ」
「……」
 半分ぐったりとしながら、健二はセットのサラダをフォークでなぶる。
「きみが寝ちゃった後、少し調べてみたら、俺の高校の頃の恩師が今年転勤になってたんだ」
「……はぁ」
「で、一応起こして聞いてみたら、『行きたい!』って健二くんが珍しく叫ぶから」
「い、言ってません!」
「言ってたんだよ。だから、珍しいなって」
 普段の自分であれば確実に言わない言葉だ。それを、絶対に理一は分かっていたはずだ。分かっていたんだが、彼は行くことにしたのだと、悲しいことにもはや分かってしまう。
 それでもせめて、と健二がぐったりしつつ呟く。
「…酔っ払いのたわごとです…」
「本当に?」
「ほ、本当ですよ」
「へぇ。昨日、あんなに制服の佳主馬を見てみたい、年頃のあいつを見てみたいっていってたのに」
「そ、そそそ、それは」
 その内容には不本意ながら覚えがあった。話を実際にしたのかは分からない。だが、確かにそれは、たまに自分が思うことだったからだ。
 健二の顔色は青い。それなのに理一の発言に、熱も出そうだ。
 ひとまず、一応の言い訳のような言葉をボソボソと繋げる。
「た、多分…僕が、彼の子供っぽさを奪ってしまった気がして」
「あいつはもともと、そんな子供だったさ」
「で、ですけど」
 理一はそこで笑う。
「ほら、だから高校見学すれば全部解決」
「う、うう」
 言いくるめられている。確実に今、自分は反論の余地を奪われている。
 それでも、心が動くのは確かだ。健二が絶対に見ることができないもの。それは、高校生として生活している佳主馬の姿だ。
 制服を着ているだけの姿なら、聖美の家に泊めてもらえば見ることができるかもしれないが、彼とそういう関係になってから申し訳なくてとてもじゃないが泊まれない。
 別の場所に泊まれば、佳主馬は必ず制服を着替えてきてしまう。
 時計を見ると、時刻は十時過ぎを指している。
(まぁ、登下校の時間でもないし、校舎を見るくらい、害はないよね?)
 健二は自分にいいきかし、はぁとため息をついた。
 店員が運んできたトーストを口に詰め込みながら、健二は気になっていたことを問いかける。
「理一さん、今日お仕事は?」
「お休み。健二くんは?」
「僕は今日明日は休みで…ゼミは明後日まで。教授が居ないんです。て、むしろすみません…貴重な休日を」
「なんで? すごい楽しいけど」
「……」
 理一は、確実に昔から自分をからうことに楽しみを見出している気がする。
 手早く朝食を取り店を出ると、理一が登録されているナビを再度捜査する。健二は改めて周囲を見た。
 建物の高さや看板は違う。
(でも、名古屋か…)
 直接顔を合わせたのは一ヶ月程前だ。佳主馬は今年受験生であり、自分としては気を引き締めて付き合うつもりでいる。去年ほど会うことができないのも覚悟の上だし、それを突きつけるつもりでもいる。
 もっとも、それで一度揉めているのも、佳主馬に押し切られているのも事実だ。
「はい、到着」
「え!」
 見ると、少し古びた校舎が見える。それでも、この周辺の県立ではトップクラスだと聞いている。
(ここが…)
 思っていれば、理一の車は校門から中へと入っていく。
「え」
「駐車場…はこっちか」
「え、え」
「はい、おりて」
「え、え、ええええええっ」
 まさか中に入るのか。戸惑っていれば、理一に外から腕を引っ張られる。
「朝連絡はいれておいたから」
「ちょ、え、えええ! いや、入る!? 入るぅぅぅ!?」
「あれ、さっき言わなかったっけ?」
 絶対にわざとだ。遊ばれていると分かるが、健二は顔色を変えずにはいられない。
 そして二日酔いの頭は、己の悲鳴で更なる頭痛を呼ぶ。
 まさか学校の中にまで入ることになるとは思わなかった。だが、『恩師に挨拶』をするのであれば、確かに高校の中に入る必要はある。
 健二が動揺している間に、掃除をしている人物に入り口を聞いて、理一はどんどん歩いてしまう。あっという間に、受付で用件を伝え、健二たちは校舎の奥にある一室へと向かっていた。
「りりり、理一さん」
 健二は小声で袖をひく。
「何?」
「ぼ、僕もついていっていいんですか?」
「一人で校舎を見て回りたい?」
 首が取れそうなほど健二は横に振る。その時だ。
「おお、陣内くん!」
「お久しぶりです」
 迎えに来ようとしていたのか、年配の人物が廊下の先から声をかける。
 そして、それは神さまの悪戯としか思えなかった。
 ガラリと間の教室の扉が開き、数名の生徒が出てきた。一階のその場所は、多分保健室と書かれていた気がする。そこから、ジャージ姿で、出てきた三名の男子生徒。
 その姿を見た瞬間、健二は硬直した。
 ひどい偶然だ。咄嗟の判断で逃げ出そうとしたが、そうはいかなかった。
「となると、ああ、きみが小磯健二くんか!」
「!」
 何故か、理一の恩師が自分の名前をフルネームで告げたのだ。当然、逃げ出すことは間に合わうわけがない。
 生徒のうち一人がグルリとすごい勢いで自分を見る。慌てて理一の後ろに隠れるが、完全に遅く、健二はそろっと伺うように相手を見た。
 ポカンと、珍しく彼は口を開いて硬直していた。
 その彼の名は――自分の恋人でもある、池沢佳主馬だ。
「ちーっす」
「あれ、おい池沢?」
「け、んじ…さん…?」
 呆然としたまま呟いた彼は、友人に揺すらている。
 全身で動揺を表したまま、無意識というように片手で少し着崩していたジャージを直し、そのまま後ろによろめくように一歩、佳主馬の体が下がる。そして、勢いよく――健二達と反対方向へと走り出した。
「え、ちょ、佳主馬くん!」
 その姿に自分が動揺していたことも忘れ健二は叫んでしまう。
 するとそれに興味を持ったのは友人達だ。
「え、何あいつ。珍しー」
「お兄さん、池沢の知り合い?」
「ほらほら。お前達はさっさと授業に戻れよ。手当ては終わったんだろ」
「運んできただけでーす」
 その中でもひとりの男はくりっとした目で、興味深そうに自分達――健二を見ていた。
「で、おにーさんだれ?」
「え、や、あ、の」
「佳主馬のこと知ってんでしょ? 先生ってわけじゃあねぇよな」
 じっと健二を見て眉を寄せ、考えるような表情を見せた。くるくると表情が分かりやすく変わる。
「んんー。駄目だ。答えは?」
「さ、さぁ?」
「えーいーじゃん。教えてよ。あいつただでさえ謎多いんだし」
 その言葉に、健二はふと気持ちが揺らいでしまった。
「謎、多いんだ?」
「多い多い。多いってもんじゃねーよ。なぁ?」
「あーまぁな。つーか、おにーさん細いね」
「え、や、あの。あれ?」
 二人に囲まれそうになった健二を救ったのは、理一の恩師ではなかった。
「ぐえぇっ!」
「ぐおおおおっ」
 健二が言葉に詰まったとき、後ろから些か強すぎる勢いで、二人の首が取られた。
 再び、凄いで駆けて来た佳主馬がその腕で二人の首を抑えていた。
「黙れ」
 その迫力は、思わず健二までが黙ってしまうもので。
 けれども、いつもよりも年頃の少年のようで。
 一瞬目が合うと、佳主馬はまた瞳を揺らした。すぐに視線をそらし、ずんずんと佳主馬は二人を引っ張って歩き出す。
「池沢、ま、まて」
「ぐるじーっ」
 健二の見間違いでなければ、彼の耳が僅かに赤かった気がするが、あっという間の出来事に今は呆然と立ちつくすことしか出来なかった。




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なんていうか、高校生として居る自分を(しかも全く予想してない場所で)見られるのは恥ずかしかったりして!
なんて妄想。…本当妄想……