冬の帰り道




その日健二が佐久間と会ったのは、同じ講義を取っている教室の目の前だった。
「お、健二タイミングいいな。今日休講だってよ」
「マジ?」
「マジマジ。で、お前これから暇?」
「特に何もないけど」
健二の返事に佐久間はにっと笑った。親指をたてて、くいっと自分の肩越し、後ろを示す。


「よし、つきあえ」



***



「いやーしかしラッキーだったな、休講なんて」
「別にそうでもないよ。ラッキーだったら前もって分かってるし、そしたら掃除機かけられたのに」
「…お前最近主婦が板についてきたな」
「そうかな」
不思議そうに首をかしげる健二に佐久間は自覚がないのかと笑う。以前は生活に関してもっと無頓着だったのに、それが改善されてきているのはまぎれもなく彼の同居人のおかげだろう。
「…同居人つーか、同棲相手か」
「なにいってんの?」
「いーや何でも。それよりここらへん懐かしくね?」
「うん、久しぶりかも」
きょろきょろと周囲を見渡す佐久間に健二も同じようにして目を細めた。高校三年間、毎日のように通ったこの通りは、健二たちの通学路だった。
佐久間に提案されてせっかくだからと高校時代よく通っていたカフェテリアに向かうことになったのだ。唐突に恋しくなったらしい。
久遠寺高校から歩いて十分というほど近い距離にある、個人経営のごく小さなカフェテリアは中々の穴場で、普段は部室に篭りがちな二人でも常連客だったが、卒業してからはそれきりになっていた。
「別に家から遠いわけでもないんだけど、高校卒業するとやっぱ来ないもんだな」
「行動範囲が広がるからね」
「お前の場合は対して変わらないけどな」
「別にいいだろ」
「悪いとは言ってませんよー、お、後輩発見」
久遠寺高校の制服を着ている男女が二人ずつ、健二たちの少し前を歩いている。青春だねぇと揶揄まじりに呟いた佐久間が、ん?と怪訝な顔をするのと同時。
「佳主馬くんだ」
「あー、だな」
後姿すらも目立つ彼を一目で気づいた健二が声を上げる。道理で見覚えがあるような気がしたと佐久間は頷く。
男友達と思わしき青年が佳主馬の肩にじゃれつくのをはたく。それに2人の女子が笑っている。振り払われて泣き真似をする友人に佳主馬が何事か言うのが見えた。
「すげーな」
「何が」
「ああしてるとキングも普通の高校生に見える」
「うん、そうだね」
同意しながらぼうっと佳主馬の後姿を視線で追いかけている親友を横目に見やる。
「声かけねーの?」
「え、あ、佳主馬くんに?」
「他にいないだろ」
「そうだけど。…いいよ、友達といるのに悪いし」
「まあ、そう言うと思ってたけどな」
しかしそんなにも熱心に見られていたら、周囲の気配に聡い佳主馬に気づかれるのではないだろうかと佐久間が思ったそのタイミングで、ふと佳主馬が後ろを振り向いた。
「あ」
「あ」
「健二さん?」
目を瞠り、すぐに顔をほころばせてこちらにやってくる。彼と一緒にいた男女はきょとんとしながらも、佳主馬の後をついてくる。
「珍しいね、外で会うなんて」
「うん」
「佐久間さんもこんにちは」
「おっす」
軽く目で挨拶をしてから、佳主馬は健二を見下ろして眉をよせた。
「健二さん、何寒いのに首だしてんの。風邪ひくっていつも言ってるでしょ」
言いながら自分がつけていた黒いマフラーを外して、健二の首にかける。
「わっ、い、いいよ佳主馬くん! 大丈夫だから!」
「駄目。ただでさえ免疫がないんだから今の時期はちゃんと暖める」
ぐるぐるとマフラーを巻かれて、最後に首の後ろで結ぶ。
首と足は急所だよと、まるで母親が子どもに注意するような言葉に佐久間は吹き出した。
「佐久間!」
「相変わらず面倒見がいいなー、キング」
「だってこの人自分のことに無頓着すぎる」
深くため息をついて、がしがしと大きな手で健二の髪をかき混ぜる。普段は鋭さをまとった黒々とした瞳が、それでも愛しげに細められているのにこのバカップルめ、と佐久間は内心で肩をすくめる。
「い、池沢の偽者がいる…」
「誰かな?」
「池沢くんて笑うんだ…」
佳主馬の後ろでぼそぼそと会話する高校生たちを見て、佐久間はほがらかに挨拶をした。
「ども、キング、えーと、佳主馬の友達?」
「は、はい!」
「ちょっと佐久間、何呼び捨てしてるんだよ」
彼らの返事の後で、むっとしたような顔で健二が佐久間を睨む。そりゃお前、キングの呼び名じゃわからないからだろう。
「別に俺はかまわないけど」
「ほら本人そう言ってるし」
「駄目だよ佳主馬くん! こいつすぐ調子に乗るんだから」
「ていうかむしろ、健二さんも呼び捨てにするといいと思うんだけど」
思いがけない佳主馬の言葉に健二は目を剥く。呼び捨て?!
「ぼ、ぼぼぼ僕?!」
「うん」
「む、無理です!」
「無理じゃないよ」
無理だよ!と何度も首を振る健二の顔は赤い。だって呼び捨てって、『佳主馬』呼びだ!くんがあるのとないのでは全く違う。
「だ、だって初めて会ったときから佳主馬くんだし!」
「うん、俺も初めはお兄さんだったけど、名前に直したし」
「そうだけど、いやでもそれとは」
「はいはーい、そこのお二人さんストップ」
ぱんぱん、と手拍子を二回した佐久間が呆れ顔で二人を止める。
「道端で話すことでもないだろ。家に帰ってからやれ、家に帰ってから」
「たしかに。じゃあ帰ろうか、健二さん」
「え?!」
「え、帰んの池沢」
「うん」
「か、佳主馬くん、いいよ。友達とどこか寄ったりするなら」
「別に。たまたま帰り道一緒になっただけだから問題ないよ」
「いやでも」
「いいから。それじゃあ」
淡々と別れを告げる佳主馬に彼の友人はほっとする。これこそ普段見知った彼だ。この二人――特に『健二さん』とよばれた青年はよほど佳主馬と近い間柄なんだろうが、見慣れない彼を見るのは心臓に悪かった。
「おう、またな」
「またね」
身長が少し高めの女子高生もにこやかにバイバイと手を振る。その隣で、この場にいる中で一番身長が低い女子高生がおずおずと声をかけた。
「また明日、池沢くん」
(……あ、この子)
女性特有の、柔らかそうな頬がほのかに赤らんで、ぱっちりとした瞳が恥ずかしそうに瞬く。それに健二がはっとするのと同時に、佳主馬は頷いた。
「ああ、…行こう健二さん」
「え、う、うん」
軽く頭を下げて彼の友人たちに挨拶をする。佐久間は笑いながら手を振って、佳主馬と健二の後に続いた。



結局カフェはまた今度にしようということになり(その際佳主馬も一緒に来ることになった)、佐久間はそのまま二人で思う存分いちゃつけと言い残して健二たちと別れた。
別に佐久間さんがいても(気にしないから)いいのに、と言う佳主馬に半笑いになった彼を誰が責められるだろう。
首にしっかりと巻かれた佳主馬のマフラーはとても暖かく、健二の口元すらも覆っている。つんとした痛みにも似た冷たさに鼻先を赤くしながら、健二はさきほどの光景を思い出した。
「…か、佳主馬くん」
「うん?」
二人が暮らすマンションへと向かいながら、カシミアのそれで少しぐもって聞こえた健二の声に佳主馬は彼を見下ろした。
「あの、さっきの子って、」
「どいつ?」
「一番小さな女の子」
「ああ、うん、高田がどうしたの?」
「高田さんっていうんだ」
どこかぼうっとした呟きに、いぶかしそうだった佳主馬の顔がこわばる。
「健二さん、まさかああいうのがタイプだとか言わないよね?!」
「え、えええええ?! いやまさか!!」
とんでもないとぶんぶん勢いよく首を振る健二に佳主馬はほっと息をついた。
「なんだ、びっくりした」
「いや、びっくりしたの僕だけど」
そもそも佳主馬と付き合っているのに、どうしてそういう発想にいくのかがよく分からない。
「それで? 高田がなに?」
「あの子、」
(佳主馬くんのことが好きなんだね)
動きかけた口が止まる。佳主馬はそれに気づいているのだろうか。普段から健二の一喜一憂に鋭い佳主馬ならば気づいていてもおかしくはない。
「健二さん?」
だがいぶかしげに首をかしげる佳主馬はいつもと変わらないままで、彼女の気持ちを知らないようにも思える。多分彼は、気づいていたら健二に心配をかけないようにするだろう。自意識過剰かもしれないけれど強ち間違いではないような推測をして、ゆるりと頭を振った。
「ううん、なんでもない」
穏やかに笑う健二に、ならいいけどと頷いた佳主馬の視線は正面を向く。その横顔を見つめながら、鳶色の瞳に複雑な光が宿る。じりじりと胸が焦げ付くような感覚は彼を好きになってから時折健二を襲うもので、マフラーの下で唇を歪めた。
(女の子は、…あの子は、佳主馬くんの隣にいられる正当な権利を持ってる)
佳主馬と隣にいる姿を想像するのは容易で、そしてそれは想像ですら絵に描いたようにお似合いなのだ。
健二は自分が佳主馬を好きであるように、佳主馬が自分を好きでいてくれていることもちゃんと知っている。世間から、常識からみれば普通ではないことではあっても、彼は彼自身の心を預ける相手として、健二を選んでくれた。…それでも平静ではいられない自分の心は、どうしようもなく。
健二はそっと右手を伸ばした。
「! 健二さん?」
ひんやりとした感触が佳主馬の左手に触れた。そのまま健二の手が佳主馬のそれを繋ぐのに、わずかに目を瞠った佳主馬はふ、と微笑む。
「寒い?」
「…うん」
「だから手袋しなよって言ってるのに」
咎めるような言葉に反して、彼の機嫌は良さそうだ。人前であまりスキンシップをしたがらない健二が、いくら人通りが少ないとはいえ道端でこういった行為にでるのは珍しい。
「佳主馬くんの手が暖かいから、いい」
「そうやって健二さんは俺の体温を奪うつもりなんだ」
「あ、冷たいよね」
どこか楽しげな言葉に、はっとして手を離そうとする健二を制止するために佳主馬は指を絡めなおす。手のひらと、指と指の隙間からじんわりと温もりを伝えた。
「いいよ。健二さんならいつでもあげる」
「…そんなこと言うと、本当に全部もらうから」
熱も、言葉も、心も、佳主馬自身も、全部。
体温だけではなく、それ以外のことまで言いそうになった健二はとっさに口を噤んだ。
だが年下の恋人は何言ってるのと笑って、ぐいと健二の手を引き寄せる。
「本当にもなにも、とっくに俺は丸ごと健二さんのものなんだから」
「…っ!」
「だから健二さんも、全部俺に頂戴ね」
「…佳主馬くん」
「うん」
「好き、だよ」
「知ってる」
俺も大好き、とひどく嬉しげなその笑顔が、自分だけに見せるものだと知っているから、たまらなくなって健二もきょろきょろと辺りを見回す。人気がないことを確認してから、一瞬だけ彼の薄い唇に自身のかさついたそれを押し付ける。お互いの口から吐き出された息が白く混じりあい、交差する視線の熱に融けるように消えていった。









ふ、ふおおおおおおおおおおっ
動揺がとまらない…三太さん、本当に本気で!ありがとうございます(土下座っ)
私の、「嫉妬する健二さんがみたい!」という我が侭を…我が侭を…っ(ごろんごろん)
もう萌えポイントが多すぎて、討ち死にです。

三太さんの素敵サイトはこちらから!!だいすき…。