世界の真実



「なんだ。お前、いじめられてんのか」
「お父さんっ」
 食事中に、突然言われた言葉の意味を最初は理解できなかった。太助の焦った声と、一瞬静かになった食卓。
 それを理解した後、佳主馬は頭の奥までかっと熱くなった。
 だが自分にはどうすることもできない。
 それは事実だ。母親がそれを喋ったのかもしれないが、事実について何かを言うわけにはいかない。
 黙々と残りの食事をかきこんでいれば、その間に色々と話題が移る。
「ご馳走様」
「あ、佳主馬っ」
 いつもであれば、もう少し残るし、そしてまだ小さい従姉妹達を連れて相手くらいしてやるが、今はとてもじゃないがそんな気分にはなれなかった。
 自宅とは違い、この屋敷には自室などはない。
 皆が今はあの食卓に集合していると分かっていたが、部屋に戻る気にはなれず佳主馬はつっかけをはいて外に出た。
 夏とは言え、どこかその空気をひんやりと感じるのは長野という土地柄なのか。
 側にあった畑をぼんやりと見つめていると、後ろから肩を叩かれた。
「ひっ」
「おめぇ、何しみったれた顔してんだ」
「じ、じいちゃんっ」
 立っていたのは、先ほど自分に暴言を吐いた――と思いたい、万助だった。
 言われたくなかった指摘を受け、逃げ出したとも思える自分に、佳主馬は視線をあわせにくくてそっぽを向く。
 相手はそれを気にした素振りもなく笑った。
「明日、俺と一緒に行くか」
「へ?」
「海だ、海」
「海…?」
 長野には海などないはずだ。
「よし、決まりだ! なら早く寝とけ。朝は早ぇからな」
 残された佳主馬はただポカンと立ち尽くすのみだった。


 イジメられるきっかけなど、もはや思い出せない。
 ただ、自分は昔から同学年の子供達のガキっぽさは嫌いだったし、小馬鹿にしていたのは事実だと思う。
 それを生意気だといわれ、暴力を振るわれた。うざかったが、段々とその相手が多くなった頃には、真剣に抗うことすら面倒になった。
 そうなると相手はだんだんと調子に乗る。
(僕に、どうしろというんだよ)
 くだらない。本当に、子供の世界はくだらない。
「お、起きたか」
「…え」
 突然の揺れを感じ、起きた佳主馬は自分が寝た場所と全く違う場所に居ることに気づく。
 なぜならば、自分は車の助手席に居た。そして起きたのは、多分車を急ブレーキをかけられた激しい衝撃だ。
 漁船の周りにだけ明かりがともっているが、周囲はまだ闇だ。それでも、あまりの驚きに意識がはっきりと覚醒してしまう。
「あれがうちの船だ。すげぇだろ!」
 わはは、と豪快に笑う男は確かに万助だ。そして、確かに昨日言われた。
 海に行くかと。
 しかし。
 しかしだ。
(幾らなんでも、これは…)
 佳主馬はパジャマだ。
 だがどうやら母親からも許可をとっていたのか、万助がおおっと、と佳主馬に着替えを渡す。
 もそもそと暗闇の中着替えをし、引っ張られるように船に乗せられた。
「おう、出せや!」
「全く。なんだよ、急に戻りやがって」
「うちの孫だ。宜しく頼むぜ」
「お、坊主。海に落とされるなよ」
「最初はつかまっとけよ。あと、海面見てると酔うからな!」
 口々に言われる言葉に、佳主馬は驚くことしか出来ない。
 船はあっという間に速度を出し、どこかのポイントへと向かう。
「じ、じいちゃん?」
「まずは海だ。それから次は特別授業だな」
 万助は嬉しそうに笑っている。それから前の方にいってしまったため、佳主馬は一人残される。乗っている数名が、皆何かを確かめたりと準備をしている中、佳主馬は当然することなども何もない。
 ただ、つい先ほどまで長野の山中に居たというのに、あまりの現実に驚くのが精一杯だ。
 ぱしゃっと、船が大きくゆれ顔に水がかかる。
(う、みだ)
 本当自分は今、海の上に居るのだ。
 もう一度大きくゆれ、背中が何かにあたる。足場も悪く、置かれている物も多い。
「うわっ」
 なんとか側の壁にしがみつき、その揺れを堪えた。
「ほら、しっかりつかまっとけよ」
「お前本当細っこいなっ」
 大人達の会話が飛ぶ。
 顔には強烈な風があたり、強い海の香り。
(…なんだ、これ)
 それからの作業はあっという間だった。ポイントについた大人達の邪魔はできず、どこかに寄ろうとするが空いている隙間などあるわけもなく。引っ張りあげたものに絡まったり、水をかけられたり、魚が飛んできたり。
 佳主馬にとっては呆然とする出来事の山盛りだ。
「おまえ、そっち抑えろ」
「は、はい!」
 よく分からないまま、押さえたり、箱をとってきたりと必死だ。
 気づいた頃には、船は作業を追え引き換えし、荷物を降ろしたりする中で、ようやく強烈な朝の光と対面した。
「よし。次は飯を食うか」
 暫くぼんやりと、その光を見ていれば肩をバンと叩かれる。
 全ての作業が終わったその頃には、佳主馬は足元はもうふらついていた。それでも引っ張られ、捌きたての魚と味噌汁を勧められる。
 それは、確かに今まで食べたどの魚よりも美味しい気がした。
 味噌汁が、体の奥底から染み渡る。
「佳主馬」
「……何」
「楽しいだろ」
 にかっと万助が笑い、その笑顔に佳主馬は考える前に小さく頷いた。
「大人になるのは、楽しいぞ」
 そういって豪快に笑う姿は、本当にその言葉通りの気がした。
「お前、少林寺拳法やってみるか?」
「え」
「そいつなら、教えてやれるぞ」
「…別に、僕は強くなりたいわけじゃ」
「何いってんだ! 陣内に男は強くねぇといけねぇ。強くないと、守れるもんも守れねぇからなっ」
「けど、僕にはまだ守るもの――」
「佳主馬」
 万助が頭をわしわしっとかき混ぜた。
「うわっ」
「守るものは、沢山あるぞ。ご先祖様からもらった土地に、この体。家族に、友人らに、どんどん増える」
 頭を撫でる手は、たくましく、とても暖かい。
 網を軽々と引く手は、鍛えられていてがっしりもしている。この手で、万助は今まで沢山の人物を、そして自分を守ってきたのかもしれない。
(僕は)
 今の自分の手は、とても小さい。
 その小さな手で、自分すらも――守りきれて居ないのは、きっと事実だ。くだらないとか、相手にしないとか、どんな風に考えたとしても。
(僕は…)
 見ない振りをしていたその事実に、佳主馬が何かを思う前に、どんと力強く背を叩かれた。
「お前は、俺の自慢の孫だ。強く育てよ!」
 がははと笑う万助に、何故か佳主馬は涙が溢れた。
 下を向く。
 海も山も、空も広大だ。その中において、自分はなんと小さいことか。
 膝をかかえて、隅で座っている自分のなんと情けないことか。
「こいつは、これでも強いぜ。な」
「これでもたぁなんだ」
「よ、師匠!」
 友人らとどっと笑う万助を、佳主馬は濡れた視界をぬぐって呼んだ。
「師匠」
 口にすると、不思議と恥ずかしさはなく、自分の意識が少しすっとクリアになった気がした。
「ほら、孫に呼ばれるには格好いいだろ?」
「よ! 師匠!」
 周囲がはやし立てるが、万助はじっと佳主馬を見ていた。
「僕に、教えてよ。いや、教えてください」
「よぉし、よくいった!」
 万助は笑ってから、そっと言った。
「その代わり、俺になんだ、あのOZか? あの操作を教えてくれねぇか。あれの中でもなんだ、そういうの、できんだろ」
「え」
「すぐには習得できねぇからな」
「おめぇがOZ覚えるのとどっちがはえぇかだな」
「馬鹿やろうっ、男の本気をなめんな」
「おー! 頑張れ頑張れ」
 気がつけば、昇っている日差しに、肌がじりじりと焼けてくる。
 暑さを感じるが、それは嫌なものではなかった。
 どこか、その暑さにすら興奮するように、体の奥底から楽しさが込み上げてき、佳主馬もようやく一緒になって笑ったのだった。






捏造ですみません…。
漁船の話も軽くスルーしてよんでやってください(笑)