そして、賽は投げられた



「あんたは昔から、いやらしい子供だったわよね」
 あらわしが落ちた晩。何も片付けられないまま開かれた雑多な宴会の中、理香が自分に向けた言葉でどっと場が沸いた。その一瞬前に、離れた場所で誰よりも早く小さく笑う声を、理一は確かに聞いていた。



「侘助」
 事情を説明に出頭した侘助が開放されたのは、二日後のことだ。それもあくまでも「仮」という形で、更に戻る場所もこの実家に限定されたようで、本人は酷く気まずそうな顔をしながらこの家へと戻ってきた。
 それを偶然にも見つけたのは、理一だ。
 門の側で、動いている何かが視界に入った瞬間立ち上がり、そっとその場所へ向かっていた。
「お帰り」
「っ」
 侘助は全く気がついていなかったようで、言葉を呑んで顔をあげた。話かけてきた相手が、自分であることに、その目は再度僅かに見開かれる。
「泥棒の真似?」
「……うっせぇよ」
「ふぅん」
 気まずそうにしつつも、しっかりと悪態をつく相手を一度見る。
「ねぇちゃん、侘助帰ってきたー」
「ばっ、て、てめぇ!」
「うるさいんだろ?」
 少し口元を緩めて言えば、侘助はぐっと言葉に詰まったが、ふいっとそのまま理一の前を通り過ぎようとした。
「お前、本当変わんねーのな」
「俺は、侘助が変わってなくて驚いた」
「は? てめぇのどこが驚いてんだよ」
 そのまま逃げるよう屋敷の中に消える侘助の背中を、いつものように、今までのように見逃してもよかった。本当は口を聞かないままでもよかった。侘助もそれを、表面上では望んでいると分かっていた。
 だが、理一は侘助の腕を掴んだ。
 侘助自身、ここで理一に捕まえられるなど思っていなかったようで、本当につんのめりそうになっていて、思わず噴出してしまう。
「な…っ」
「いた! 侘助っ。あんたまたこっそりとっ。ちょっと、かーさん。侘助帰ってきたわよ!」
「っ」
「姉ちゃん、俺後で連れてくから。飯一人増やしといて」
「はいはーい」
 母さん、と叫びながらドタドタと慌しく理香が去っていく。夕飯の時間はもう近い。
 栄が不在になっても、この屋敷にいる限り全員で食事をするのはもはや決まりであり絶対のルールだ。
「……お前、急に何のつもりだよ」
 はぁと侘助が面倒そうに息をつく。
「別に」
「別にって…!」
 言いかけて侘助はやめる。
(懐かしいな)
 昔もずっとそうだった。自分は侘助をからかっているつもりも無い。
 ただ、侘助の方が、いつも勝手に何かを喚き、そして何かを諦めるように息を吐く。自分とは絶対に分かり合えないと、勝手に何かを括るのが、昔から不思議でとても興味深かった。
 彼は一度だけではなく、自分と話すたびに何度もそれをした。それなのに、何度も何度も口はきくのだ。
「……」
 掴んだままじっと見ていれば、侘助は一度口を開きかけて、そしてもう一度閉じた。
 それから、いつもの少しひねたような笑みを口元に浮かべる。
 それが、彼の鎧だと理一は十代の頃から知っている。
「家族ごっこか?」
「ごっこじゃない」
「…ばばぁの遺言だし」
「その前から、俺たちはお前をずっと家族だと思ってたけど」
「お前…っ!」
 侘助が苛立ったような声をあげる。
「ああ、癇に障ったなら悪い。じゃあ、俺はお前が好きだったってことで」
「……は?」
「ずっとな」
 軽く笑って言えば、侘助は面白い程ポカンとした間抜けな顔をした。
 その表情に、くくっと思わず笑ってしまう。
「お前、が?」
 呟きながらその顔が歪む。
「はぁ!? もっとマシな嘘をつけ」
「酷いな。これでも親戚の中では、お前が一番好きだった」
「は、はぁっ!?」
 より一層彼は素っ頓狂な声をあげる。
 淡々とした、自分でも子供らしくない子供だったとは思っている。それこそ、先日の宴会中の言葉通りだ。
 それでも、そんな自分だからこそ、見ていて面白かったのは侘助だった。
 欲しいのに欲しいといえない。いつまでも、いつまでもジレンマに囚われている子供。
 それが不思議でたまらなかったし、それが彼を酷く純粋な存在にも見せていた。
「侘助」
「…んだよ」
「お前が欲しかったものを、俺は昔から知ってた」
「……」
「知っていたさ」
 何故か、そう言うと侘助は少し緊張したような顔をした。
 彼は本当に家族に弱い。心がもう既に丸裸だ。
(よく、これで)
 ここまでやってこれたと思う。誰かに、この脆い存在を壊されなかったことは、奇跡に近いような気すらした。
 同時に、彼は本当に自分が愛した存在のままなのだと思った。
「見えないものが欲しかったのに、お前は見えないものは信じられなかった」
「……うるせぇ、よ」
 理一は素早くトンと侘助の胸を叩いた。そしてその上にそっと手を当てる。
 侘助が驚いた顔でその手を見る。
「次は、何を知りたい?」
「…っ、て、めぇ」
「もっと、知りたいんだろ?」
 うっすらと笑うと、侘助が一目で分かる程硬直した。
 これ以上は得策ではないと、理一は一歩引いて小さく笑う。
「ところで、俺は独身なわけ。ずっと」
「は?」
「結構分かりやすいと思うけど」
「はぁ? いきなり何を…」
「いや、お前が一番好きだったって」
 悪戯っぽく、理一はもう一度そう言って笑う。
(そう)
 だから壊さないように、引いた。彼に近づけば、きっと脆い彼は壊れてしまうだろうと思った。だから傍観者でよかったのだ。
 彼が欲しいものを知っていても、自分ではどうしようもないと分かっていた。
 自分に出来ることは、彼をこの手で壊さないことだけだった。
(けど、賽は投げられた)
 あらわしが落ちたことでも、栄が死んだことでも、遺言も関係ない。
 ただ、彼が。
「今もね」
 侘助は、顎が外れそうな程間抜けな顔をしていた。それがおかしくて、理一は結局噴出してしまう。
 その声で我にかえったのか、屈辱を感じたのかかーっと顔が真っ赤になり、悔しさで顔が歪んでいる。
「お、おまっ」
「ハイハイ。まずは、飯だ」
 がっと腕で相手の首を取る。
「だーからっ」
「だから、飯だって」
「違くて!」
「お前が、ここに帰ってきた勇気に乾杯しないとな」
 侘助が言葉を息ごと飲み込んだ。
「俺は、それが嬉しいから、この十年チャラにしてもいいさ」
 言いながら、違うことを考える。
(そう、ただ)
 彼が。
 あらわしが落ちた晩の、ありえないボロボロの夕飯時に。侘助が声を出して笑ったから。
 自分のことで、彼が笑い声をあげたから。
 一番最初に、笑っていたから。賽を投げてしまったから。
「は、はぁ!? てめぇに関係は…」
「あるよ」
「ねぇ!」
「これから宜しく」
「だーからっ」
「宜しく」
 強く言えば、侘助はびくっと震えた。それからそっぽを向く。
 宜しくと返って来るのはさすがに無理だと分かっていたが、彼の足が居間へと素直に向かうことに、今は満足をする。
「…重めぇよ」
「ひ弱」
「……」
 彼はひとまず家族を知った。
 それを信じる心を、強さを、欠片程度にしても手に入れたのだ。
(長かったな)
 理一はそっと笑う。
 最低の準備は整い、賽も投げられた。ようやく、これで戦いが始められる。
「いやらしい子供だったしね」
「……分かってんじゃねぇの」
 馬鹿な男は、二日前と同じ言葉に、小さく子供のように笑った。
 圧倒的に自分の方が強いが、やはり勝負の行方は分からない。
(そう。だから、勝負はやっぱり全力でだ)
 綺麗な笑みを浮かべれば、視界に入ったのか侘助がビクリと震えたことが分かる。その後怪訝な顔をして、自分の気配を探っている。
 久しぶりの戦いに、どんな戦略を立てるべきか、軽い足取りで居間へと向かいながら理一は考えていた。









捏造な上、ちょっと変なお話ですみません…
今はこれで精一杯。りわびってその良さを書ききれない…!(力不足)

理一さんは侘助に対しては、笑顔の裏で酷い人(てかエス体質)でいてほしい。
感情に鈍い(自分のものとしては受け取れない)理一と、敏感すぎる侘助。みたいな組み合わせで。
…もう、そう…

どんな話だ。これ本当。