昼寝の距離



 カタカタカタと、軽快なリズムでパソコンのキータッチ音が狭い部屋に響く。
「………」
 ふと感じた視線に、キーボードの上で指を動かしたまま、佳主馬は後ろを振り向いた。戸口に立っていたのは、きょとんとした瞳をした加奈だった。
 無視をするのは簡単だったし、今はたまっているメールを打ってしまいたい。
 しかし、純粋な瞳にじっと見つめられているのはどこか心苦しかった。
「…なに」
 いつもよりは幾分穏やかな声で問いかければ、分かったのかトコトコと近寄ってくる。
 そしてぽすっとそのまだ柔らかい体が佳主馬の体にぶつかった。
「……」
 迷ったのは一瞬で、佳主馬はそのままひょいと加奈の脇をかかえて膝の上に載せる。他の子供達と違い、年齢のせいだけではなく加奈は大人しい。
「ちょっとまってて」
「んー」
 頷きながら、カタカタと音がして画面が変わっていくパソコン画面を加奈は興味深そうにじっと見ている。
 おとなしい加奈だからこそ、佳主馬も出来る芸当だ。
(軽いな)
 もうすぐ佳主馬には妹が出来る。その存在は、当然だが加奈よりもはるかに小さい。
 それを自分の手が抱える日が来ると思うと、少し怖い気持ちになる。
 母親の膨れていく腹を見るのも、不思議な気がしてならないが、先日その腹部にふれたときにハッキリと動いた感触は、未だに忘れられない。
 自分達が変わっていく存在であること――そもそも、『生き物』の一つであることを、その存在は教えてくる。
「ねぇね」
「何」
「なーに?」
「ウサギ」
「うさぎー?」
「そう、ウサギ」
 画面の端に居るキング・カズマをそう説明する。
 それを再びじっと加奈は見つめている。
 多分、子供は嫌いではない。それには親戚の、という言葉がついたとしても。
 騒がしい男の子らも、重要なときに邪魔をしなければいい。面倒だが、佳主馬も相手をしてやるときはある。万助達が、自分にそうしてくれていたように。
 昨日もひっくり返して遊んでいたら、それが気に入ったようで真緒に加奈までもが参加してきたのはさすがに驚いたが。
「ん?」
 ふと気付いたら、加奈はそのまますぅっと静かに眠りについていた。
(……)
 さてどうするべきか、と佳主馬は迷う。確かにもう少し打ってしまいたい。
 だが寝てしまったとなると、この音はうるさくないのだろうかと、考える。
「佳主馬くん?」
「し!」
 ひょいと現れた顔に思わず鋭く言い放てば、相手は驚いたように自分の口を押さえる。それからすぐに状況を把握したようで、もとからあまり引き締まってはいない顔を、更に崩して近づいてきた。
「わー…可愛いね」
「うん」
 それには素直に同意する。やってきた――健二は、親戚らしい親戚もいないらしく、小さな子供との距離方を分からないといっていたが、子供達からは絶好のからかい相手として既に認識されている。
 寝ている加奈には、純粋な可愛さを感じるのは、興味津々に覗き込んでいる。
「そうだ。おやつがあったんだけど…じゃあこっちに持ってくるね」
「別にいいよ」
「でもすごい美味しそうだったし。ちょっとまってて」
 言い争うこともうるさいだろうと、佳主馬は黙り、少し場所を移動して本棚に寄りかかるような形をとった。
 膝の上で加奈は穏やかに寝息を立てている。
(あったかい、な)
 ラブマシーンとの戦いも葬式も終わったが、毎日が酷く慌しい。
 キング・カズマとしてのOZでの対応もだが、現実世界でも掃除やら屋敷の復元やら親戚の対応で大忙しだ。
 空いた入り口から穏やかな風をかんじる。
 セミの声を聞きながら、ふと気付けば佳主馬の意識も遠のいていった。


「佳主馬く…」
 お盆を持ったままの健二は、部屋の中を見てすぐにその声をとめた。そして思わず笑ってしまう。
(可愛いなぁ)
 暫く入り口からじっと見てしまう。
 健二は一人っ子のため弟や妹は居ない。親戚づきあいもないため、こうして自分より小さな子供達と関わることはとても新鮮だった。
 どうしていいのか分からない、というのは正直な所だが、それでもやはりこうして可愛いと問答無用で思うことはある。
「あ! 健二くん」
「っ!」
 とんと後ろから聞こえた声に悲鳴をあげそうになったが、なんとか堪える。
 お盆の上の飲み物とお菓子をひっくり返さなかったことも、本当に自分を褒めてあげたい。
「な、夏希先輩?」
「にやにやして、どうしたの?」
「にやにや――いえ、あの、可愛いなぁって」
 思わず笑ってしまったのだが、にやにやといわれると何故か少し落ち込む。
 その言葉に興味を持ったのか、夏希も中をのぞいて納得した。
「うわ、これは確かに可愛い!」
「ですよね」
 そういえば、夏希も確か一人っ子だといっていた。
 だが実際にはこんな親戚がいるのだから、自分とは少し違うんだろうなとも思う。
「でも、健二くんも可愛いよね」
「は? ぼ、僕!?」
「うん。なんか可愛いよね。たまに。あ、あのリスのアバターも可愛いし」
「……は、ははは」
 反応に困りひとまず笑ってみた。
(可愛いのは、先輩の方です)
 言いたいが、それをサラリといえるようでは、きっと今の小磯健二がここに存在しているはずがない。
「健二くん、今何してたの?」
「さっきは荷物を整理していて。おやつを貰ったので、佳主馬くんにも差し入れようとして――」
「私台所に行くから、それ戻してこようか?」
「あ、でも」
「いいからいいから」
 奪われて夏希が上機嫌に去っていく。
 夏希ともう少し話をしたかったが、こういわれては付いて行くことも出来ない。
(えっと)
 暫く周囲を見回したが、ひとまずそっと二人に近づいてみた。
(そういえば、こういった視点からこの部屋を見たことなかったなぁ)
 いつも佳主馬と同じでパソコンに向かい合うか、この机のところで佳主馬と向き合うかだ。
 本棚に試しに背中を預け、佳主馬たちの横に並んでみる。
 すると、少しだけ何か新鮮な気持ちになる。ちょっとした冒険をした気分だ。
(――って、発想から地味か)
 そんな自分に苦笑いがもれるがそのとき、ストンと肩に重みがかかった。
 気付けば佳主馬が自分の肩に頭を傾けている。
「……」
 不思議な感覚だった。
 弟も親戚もろくにいず、両親は忙しく不在がちで仲もよくない。
 そんな中、こうして誰かに安心しきったように熱を預けられるということ。
(なん、だろう)
 健二はそれを考えるために目を瞑る。
 心地よい場所。何もかもが。
 そのまま、健二の思考もゆっくりと沈んでいった。


「健二くん?」
 葬式が終わってからも慌しい日々が続いていた。今日はようやく落ち着けた日で、万理子達からも外出の許可を貰っていた。何も言わずに出てしまえば、戻ってから怒られることは眼に見えていた。半端ではないほど、本当に忙しかったのだ。
 台所の女性陣にも出かける旨を伝え、いざ健二を誘おうと納戸に戻ってきた夏希がそこで足を止め、思わず笑ってしまった。
(なんか、いいな)
 しゃがみこんで入り口から見る。仲がよさそうに三人が眠っている。
 そのまま四つんばいに夏希は近づいて、健二の顔を見た。
 一年以上前から知っている顔だ。それでも、何故か今はそのどこかあどけなさも残る可愛い顔が、たまに格好よく見えるのは何故なのか。
「へへ」
 恥ずかしくてごまかすように笑った後、夏希は無防備に投げ出されている手にそっと触れてみた。
 健二の手は、やはり男で、自分よりも硬くて大きいのだと初めて手を取ったときに思った。
 今こうして触ってみてもそうだ。
 けれど、この手はとても優しい。
「健二くん、ありがと」
 小さく笑った後、今度は更に恥ずかしい気持ちになる。
 だが、そこでふと手が握られ、思わず体が硬直する。
「っ」
 慌てて顔を見るが、健二の顔は幸せそうで、まるで起きている気配はない。
「け、けんじくん?」
 反応は無い。
 夏希は意味も無く周囲を見回した後、さてどうするべきかと思う。
 健二の隣に並んで座るほどスペースは無い。
 けれどじっとここで座っているのも、情けない気がする。まるで自分だけがのけ者にされているような、疎外感を感じるのは何故なのか。
「…気持ちよさそう」
 皆が、安心しきったような心地よい顔をして眠っている。
 夏希も、実を言えば寝不足なのだ。この連日は本当に忙しく、夜は夜で親戚達が騒がしい。
 そうなると、子供達の面倒は必然的に夏希達が見るはめになる。
「あ」
 悪戯悪戯、と夏希はあくまでも自分に言い聞かせてその場に寝転んでみた。ちょうどつかまれていた手の方向もよかった。
 寝転び、健二の足を枕にしてみた。伺うが、彼は起きる気配がない。
(男の人の、膝枕?)
 妙にくすぐったくおかしい気持ちになるが、それでも目を瞑る。
 狭い納戸だ。体を少しまるめる。
(あ、気持ちいかも、しれない)
 薄暗い納戸。適度に感じる人の呼吸音。少し涼しい風。遠くでなる風鈴の音。
 気づけば、夏希の意識もそっと沈んでいった。



「あらあら」
「仲いいなー」
「デジカメに撮っておきましょうよ」
「…こいつら若いくせに、何してんだ?」
 親戚達からそれぞれの感想がもれる。しかしそれを破ったのは、何時もどおりの馬鹿大きい翔太の声だ。
「夏希! お前何してんだ! 起きろ!」
「うわ、煩いのが来た」
「うるさくねぇっ! 夏希っ、やめろ! 本気でそんな男やめておけっ」
 その騒動でまず目を覚ましたのは、加奈と佳主馬だ。佳主馬は状況を――自分がもたれかかっている相手と、其れを見ている親戚らを理解すると、顔をカッと一瞬で赤くした。
「…何してるの」
「あはは。おきちゃった? 可愛いじゃん」
「可愛くない!」
 そして続いては起きたのは健二だ。
「何…え、…。うわっ、え! ええええっ」
 健二の驚きはかずまより酷い。なんせ夏希が自分の足を枕にし、手を繋いで寝ているのだ。
 顔に血が上り倒れそうになる。
「ん」
 最後に起きたのが夏希で。
「……あれ?」
 まずは加奈と佳主馬と健二を見る。それから戸口から除いている親戚を見て、静かに――顔を真っ赤にさせた。
「な、なんでぇぇぇぇぇっ」
 素っ頓狂な声を出して、戸口から飛び出していく。
 さすがに勝手に膝枕をして、手を繋いで眠っていたのは、冷静になれば恥ずかしくてたまらなかったのだ。
「せ、先輩っ」
 健二が慌てて追おうとするが、足がしびれて思い切りひっくり返る。
「…健二さん、もう少し頑張りなよ」
「……しょ、しょうじんします」
「がははは。そうだ、お前さんもうちっと体鍛えろ」
「そうね。あんたもっと力つけないと、戦力にもなりゃしないわよ」
「…精進します……」
 こうして、平和な夏休みの午後が過ぎていくのだった。






ゼロの距離という単語が脳裏に浮かび、「昼寝?」ということでこんな話に(笑)
ラストの夏希と健二と佳主馬の会話がかきたかったのでした。えへ。