神さまのくれた恋



「じゃあまとめると」
 理香がずいっと体を前に乗り出すように呟いた。
「夏希がアメリカ留学前に別れを切り出した」
「うん」
「で、二年間、ここには来るようお願いをしていた」
「うん」
「で、今改めて付き合いを申し込んだ」
「うん」
「…最近の若い子って、パワーありますよね」
「自由すぎるわ、あんた」
 親戚一同、あまりにも勝手すぎる夏希の言い分に、怒る気力含め色々なものを抜かれてしまったようだった。
「あんた、健二くんのこと好きだったんでしょ」
 直美の言葉に、夏希は少しかわいらしく頬をそめてうなづく。
「うん」
「だって。よかったじゃない」
「え、ちょ、あの」
 展開においていかれていた健二は、ただ持つだけになっていた箸を置いた。結局健二は箸を持ったものの、まだ一口も食事は出来ていない。いつもならば、憧れと言って良いほどの時間をかけられた手料理が、自分達を満たすために並んでいるというのにだ。
(忘れるわけがない)
 ごくん、と健二は違う意味で喉を鳴らした。
 二年前の夏の日。
 喫茶店に呼び出され、少し緊張した顔の夏希。泣き出しそうな顔で、別れを切り出されたときに、健二に怒りなどはわかなかった。
 何かを思う前に、ただ、吸い寄せられた。夏希の表情に。
 激しく心に残り、何かをかきむしられた。
 セミがうるさい日で、店内に居るのに何故か健二はその音が聞こえ、カランとアイスコーヒーの氷が音を立てたことすら、数字とは関係のない話だというのに鮮明に健二は覚えている。
 夏希が居なくなってからの二年間。
 寂しくなかったわけではない。切なくなかったわけではない。
(けど)
「夏希、ぶちまけとけよ」
 健二のぐるぐると回る思考を中断させたのは、侘助の声だった。
 顔をあげるといつもの、掴み所のない笑みを浮かべているが、その目はじっと健二を見つめている。侘助は面倒くさいといいながらも、結局夏希には甘い。
 今回の留学も侘助を頼ったことを知っている。
(頼りがいは、あるよな…)
 健二自身、侘助のことは好きだった。
 何故か好感が持てる。決して優しくもないし、比較的健二はからかわれてもいる。それでも、この年の離れた頭の良すぎる男が、健二は好きだった。
「お、おじさんっ」
「こいつが、別れた理由をお前知ってるか?」
「や、やめてよぉぉっ」
 顔を真っ赤にして夏希が怒る。
「何よ、夏希。まだ言ってないことがあるなら、もう言っちゃいなさいよ」
「そうそう」
「昔から、隠すと失敗してたよね」
 だが皆から注目を浴びて、完全に言葉に詰まったようだ。
 数度深呼吸をしてから、夏希は元の位置にストンと座った。腹をくくったようで、じっと真面目な顔を健二に向けた。
「私と付き合ってて、健二くん楽しかった?」
「え」
 親戚一同は、始まった会話に再び黙る。
 大人ぶった態度で座っているが、なんてことはない。ただもう展開に興味津々なのだ。
 普通であれば二人っきりで行われるような若者の修羅場的な、盛り上がる展開だ。好奇心を煽られない訳がない。
 それに再び、夏希に嘘をつかれていたのだ。真実を知りたいという気持ちも全員にある。
 健二は、そんな露骨な視線に耐えかねる気持ちはあったものの、目の前の夏希の真剣さに引っ張られた。
「楽しかった、です」
 当時を思い出し、健二は真面目にうなずいた。
「うん、でもきっともっと楽しいこととか、幸せなことを、健二くんがわかっていなかったと思うの」
「へ?」
「私はこの家を助けてもらったし、二年間付き合ってもらった。楽しかったし、幸せだったよ? だから、二年間だけ健二くんに時間を渡したの。でも、縁が切れたら嫌だし…健二くん、うちの親戚を好きみたいだったから、アルバイトをお願いしました。ごめん!」
 夏希は何を言っているのか。
(もっと楽しいこと?)
 ずっと家では一人で、誰かの居る空間に居るだけで嬉しかった。
 こそばゆいが隣に誰か居るだけで、嬉しかった。
(そういえば)
 夏希が留学を決める前、よく思い悩んでいた。その時に言われた言葉がなかったか。
『健二くんが、私を好きでいてくれていることは分かってるの』
 その時の夏希もとてもつらそうで、自分の不甲斐なさを痛感した。
 何かをしたかった。ただ、その寂しさを辛さを感じられればと、夏希の手を握り締めた。温かくて柔らかい手。
『「私」じゃないと、駄目だよね?』
 そういった夏希は、泣きそうな顔で縋るような表情で、笑っていた。
(なんで、先輩がそんな顔をするんだろう)
 何か悩んでいることと関係して、不安になっているのだろうかと思っていた。
 けれど、あれは。
 あれは。
 ぐるぐると頭の中を、珍しく数字ではないものが回る。しかし健二の脳は数字以外のものはイマイチ上手く反応してくれない。
「健二さん」
「は!」
 そのままほうけそうになっていたが、佳主馬の声で我に返る。
 慌てて正座をしなおして夏希に向かいなおす。
 しかし夏希に手を取られ、健二は一瞬にして思考がとんだ。
 だが同時に、健二は酷く冷静にもなる。自分は伝えなくてはいけないことがあるのだ。
「夏希先輩」
「うん」
「…ごめんなさい!」
 健二は土下座するように頭を下げた。
「それは、なんに対する謝罪?」
「…色々、全てです。けど」
「付き合えないこと?」
「はい」
 健二は顔をあげた。
 健二の返答に、親戚一同が「ええええええ」と奇声のような声をあげる。健二は、確かに夏希を好きだった。それは誰が見ても明らかだったのだ。
 特に四年前のあの日。
 その翌年も。
「うん、大丈夫。知ってるから」
「そうで――えええええ!」
 再びひっくり返るのは健二だ。一世一代の勇気を振り絞ったのだが、夏希はそれ以上だった。
「だって、置いてった時点で分かってたもの。だから、宣戦布告よ」
 ウインクされて、健二はもはや言葉が出ない。
(け、けど)
 健二は今自分が頑張らないといけないことを知っている。
 だからこそ再び口を開こうとして。
「それ、相手間違えてるんじゃない」
 先に口を開いたのは、佳主馬だった。年を取ったものの、あまり賑やかな時に口を挟まないのは相変わらずで、親戚一同佳主馬に注目をする。
「かかかかか、佳主馬くんっ」
 健二が慌てて近寄り自分よりも背が高くなった口を塞ぐ。
「健二兄ちゃん、もててるの?」
「こら」
 真緒のきらきらした問いに、慌てて母親が口を塞ぐ。ずっと口を挟みたかったが、とうとう我慢が限界に達したらしい。
「やっぱりこいつ愉快犯だな」
「だー」
 慎吾が周囲を見て神妙に頷き、加奈がよく分からない同意をする。子供達は確実に愉快犯の意味を間違ったまま覚えている。
「けどさー佳主馬兄の方が『しゅらば』似合うよな」
 子供達の無邪気な言葉が、ぐさぐさと健二にささる。
 確かに佳主馬は格好よく成長をした。もてるのも確かだろう。
 陣内家の血なのか、すっとしながらも華やかな顔立ち。普段は、過去と同じ無口な性格もありどこか隠されているが、その分、気がついた時にはっとなる。この年には不必要とも思える艶さえ、見る者に与える。口を開けば、年頃の高校生だと分かっているとしても。
(って、その前に今のこの状況は修羅場なのか。いや、でももめてはないし! 違うし!)
「そういや、佳主馬は全然そんな話もってこないわねぇ」
 衝撃から立ち直ったのか、直美が煎餅を食べつつ口を挟む。
「あーだめだめ。うちの子、もうずっと結婚はしないって言ってるし」
「うわ、硬派ってやつ?」
「この性格じゃあ、女の子に相手にされないわよ」
「見た目で寄って来るって」
「うん、確かに年上の女性にもてそう」
 そんな会話に気を取られている隙に、当然だがあっさりと健二の腕は外された。
「俺、絶対負けないけど?」
 今までの会話など、耳に入っていないように佳主馬はじっと夏希をみて、珍しいことに少し口元を緩ませるように笑った。
 挑発する表情が酷く似合う。
「私だって」
 だが、相手も負けていない。
 年を重ね、更に美しく成長した、栄にもっとも似ているといわれる夏希も微笑む。
 微笑つつもにらみ合う二人に、健二はもはや完全に硬直した。
 その頃になり、ふと周囲の親戚達も何か不思議な状況になっていることに気づく。
「おいおい、佳主馬。幾らお前がなついているからって口を挟むなよ」
「夏希! こんな男は最初から止めておけっていったろっ」
「関係大有りだし」
 健二はこの一瞬を、死ぬまで後悔することになる。
 何が何でも、タックルしてても、皿をひっくり返してでも止めるべきだったのだ。
「俺がどれだけ、苦労して付き合ってもらったと思ってるの?」
 完全に、場は静まり返った。
 誰もが動かない。健二はもはや気を失いたかった。
 そう。
 健二には現在恋人がいる。その恋人は同性だ。
 普段は絶対にばれないように、気を使ってくれている恋人だが――彼が決して自分のような草食系ではないことを、健二はとてもよく知っている。
 縄張りに手を出すのならば、徹底的に戦う。
 健二はよろめいた瞬間、加奈のおもちゃに躓き、尻餅をついた。その音に、直美がポカンとしたまま先ほど子供達が騒いでいた言葉を呟いた。
「…修羅場、ね」
 はは、と誰かが乾いたような笑いをした。
「やーめったにないよねぇ、これは。長生きはするもんだ」
「ま、健二くんはおばあちゃんに認められているし、どっちがとってもいいのかもねぇ」
 親戚達の、再び突き抜けてしまったコメントは、完全に健二の頭を素通りする。
 幾らこの親戚達とも言え、もはや突き抜けるしかない。それ以外なんとコメントをしていいのか分からないのだ。
 しかし、健二は突然我に返る。
 そう、ここには親戚が居る。
 となると、当然佳主馬の母親である聖美が――。
「あんたはいいの?」
「あはは、いいわよいいわよ。一人で一生過ごされるよりはいいしねぇ。それに、本当この子って、健二くんばっかだったから。しょうがないわよ」
 けらけらとすまされてしまった内容に、健二はせっかく立ち上がったとうのに再び膝から倒れこんでしまう。
(なんだそれ)
 本当にそんなものでいいのか。
 自分の息子が同性と付き合っているときの反応として、正しいのか、それは。
「そういえば、昔から懐いてたな」
「小磯さんの後ばっかりついましたよね、そういえば」
 未だに唯一健二を名字で呼ぶ奈々も、呆然としつつもしっかりと頷く。
「ひとまず無事に卒業できたのも健二くんのおかげだしね。健二くんに嫌われるわよ、って言えば大抵なんでもやってたし」
 死にたい。
 健二は切にそう思う。しかし親戚達と切り離されたように、夏希と佳主馬はにらみ合い、侘助は少しにやついた笑みを口元にのせ、楽しそうにビールを飲んでいる。
「健二くん」
「!」
 肩を叩かれ、はっと顔をあげると理一が隣にいた。
「例のコツが効いた?」
「…効きすぎました……」
「おまえさんよ!」
「は、はいっ」
「佳主馬は、とっつきにくいかもしれねぇがいい子だ。大切にしてやってくれよ」
「は、はい!」
 万助の言葉に返事をした後に、あれっと思う。
 今、明らかにおかしい内容がまじっていなかっただろうか。
「ちょっと、変にたきつけないでよ」
「いいんだよ! あいつが、こうして他人さんに興味を持つことができたっってなら」
 確実に何か、大きな問題を吹き飛ばして万助が力説する。
 国語が得意ではない健二には上手く言えないが、確実に、皆根本的な問題を確実に見落としている気がする。
「まてよ、じいちゃん! 夏希だって可愛くて優しいし美人だろ! 好きっていってもぶっころすが、ふっても殺す!」
「ぐおえっ」
「翔太!」
 翔太にしめられ、太助が怒鳴る。
 畳の上に倒れこんだまま顔をあげると、綺麗な夏の青空が見えた。最後だと思っていたこの屋敷からの夏空。
(ああ)
 嬉しいのか悲しいのか分からないが、多分、自分はまだ見れる。
 見ることができるのだ。
「健二くん、本当にこんなヤツでいいの?」
「健二さん、夏希ねぇのどこが好きだったの?」
 このまま死んだ振りをしてはだめだろうか。
(もしくは、逃げ出すとか)
 そんなことを思いながらも、間違いなく健二は二人にすぐに捕まってしまう自分が想像ついてしまう。
 夏は終わることはない。派手に明るく、まだまだ――今年が終わっても、続いていくのだ。
「シシシ。頑張れよ、色男」
 それが、今年の夏の始まりの声だった。



END


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副題は「僕らの夏は終わらない」とかだね…
タイトルはシリーズとして考えていたタイトルなんですが、今回の話にはあわなかったと後悔…

そんなわけで、補足で説明させてください!(笑)


@健二と夏希が付き合う
A二年後夏希が健二と別れて留学
B留学中に佳主馬が今こそと猛アタックして、勝ち取る
C今回帰国し、夏希の宣戦布告

となるわけです。
夏希の心情とか、そういったもの含めまた後日色々書いていけたらなぁなんて。健二と佳主馬が付き合ってる話も。

今後、ワビナツにもなっていくんですけど、そこまで書けるかな。笑。
脳内ではそうなってます。えへ。